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なぜか2度目の熊本_阿蘇神社と銀杏

4時半に目が覚めてしまった。
外は真っ暗だ。このままカーテンを開けておこう・・・
昨日の夕焼け雲は、廊下から撮ったから、部屋は東向きのはず。

家ではよくこういうことあるんだ。ふと目を覚ますと、3時半だったり4時だったり。
そういう時、黒柳徹子さんは、無理にもう一度寝ようとしたりせず、この時間が一日の始まりということにして、本を読んだり、何か書いたりしながら過ごすのだそう。
その話を聞いてから、私も!と、作りかけの箱を仕上げたり、刺繍をして過ごすことが多い。
疲れたらPCでゲームをする。フリーセルとか麻雀とか^^;
音楽をかけたり動画を見るというのは、ほとんどしない。音がない方が好き。PCも普段は、ミュートにしている。
そんな時間を過ごすから、頭ボーっとして、寝ないと持たないのかもね。

ホテルに泊まると、こういう時、困るんだよね。
本、持ってこなかった。熊本の本屋さんで買おうと思っていたんだもの。
荷物を入れなおしたり、お湯を沸かして、まずいお茶を飲んだり・・コーヒー持って来れば良かったな・・

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あ!山の向こうが明るい。稜線がオレンジに光っている。
今日は、きっと、最高のお天気!昨日よりも、もっと。

帰りの日のことは、その時に決めようと思っていたけど、あの空を見たら、どこかに行かないわけないじゃないですか。
空港までの時間を考えたら、阿蘇神社くらいしかないけれど。
荷物を入れ直し、朝食が済んだら、パッと出られるよう準備をする。
あ、でも、菅波先生見なくちゃ・・

前日のホテルで、やっぱり朝ドラ見て即出たら、向こうから同じタイミングで、カチッとドアを開ける音がして、エレベーターで一緒になった御夫婦。私より少し若そうな奥様に、「テレビですか?」と声をかけたら、同じです!と話が盛り上がり
「主人は早く出ようと急かしていたけど、これを見てからにして、と言ったんです」「そうですよね。このために今まで見てきたんですもの」・・・と、横にいたご主人、苦虫を潰したような顔をしていた。
すみません。お喋りな通りすがりで。
菅波先生=坂口健太郎。

宮地駅から阿蘇神社まで歩きます。
前来た時は、随分歩いたような気がしたけど、あっという間だった。こんなに近かったっけ。 空、嘘みたいに青い。
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神社は本殿も修復が済み、参拝しやすくなったけど、周りはまだ工事中で、立ち入り禁止の所も多い。
ちらりほらり、参拝する人はいる。
扇子おみくじだの、糸みくじだの、趣向を凝らした(?)おみくじが並ぶけど、私には用がない。お守りも絵馬も、ここではいい。
やることないや・・・全く信仰心のない私。
湧き水の所に行ってみる。コロナ対策で柄杓は置いていないのはわかる。空のペットボトルも一応用意してきたけど、どうなんでしょ。こういう時の水。湧き水だから心配はないのだろうけど。
周りには汲む人もなく、取り残されたような湧き水。寂しいね。

ここの参道は、横参道と言って、全国でも珍しのだそう。本殿も横、参道と並行に向いていたような。
あ、この看板!4年前来たとき、感動して、何度も読んだ看板だ。
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あの後、満開の桜の下、みんなでお花見は、出来たのでしょうか。
このコロナ禍、せっかく復活したお花見は、なくなってしまったのでしょか。続けられましたか?
今もこの看板を掲げている心を思う。
桜の頃に来てみたいです。・・・無理ですが。

時間も早く、まだ営業前のお店も多い。
あたりを少し歩いてみる。案外覚えているものですね。でも、なんだか「水基」も元気がないような。
あの時は、閉まったままの店ばかりだったけど、店構えも面白く、ここは何屋さんなんだろうと、やたら写真を撮ったっけ。。
今は「あか牛」ばっかり・・・。難しんだろうな。観光地の経営も。

シュークリームがとっても美味しくて、次に来たら、絶対寄ろうと決めていた洋菓子屋さん。やっている!
外にまでいい香りがする。メニュー、増えたんだ。パフェ食べたいけど・・我慢。小さなシュークリームは健在だ。
ご主人に、「4年前も来たんですよ。あの時はまだ、閉まっている店も多くて、ここが開いているのに感動して、コーヒーとシュークリームを頂いたら、シュークリームが美味しくて、また感動して、今度阿蘇に来ることがあったら、また来ようと思っていたんです」・・・私ってお喋り?
ご主人は嬉しそうに、「お陰さまで。」
あれから持ち直して・・やっとと思ったのに、またこのコロナで・・でも、頑張ります、って。

そうですよね。コロナウイルス。災害に遭ったこともない私にも降りかかった、いわば人と所かまわず襲う「災害」。
立ち直りかけたところをまた襲う災害。
目に見えず、収束も復興も、形のわからない災害。
大変ですね、なんて、通り一遍に言葉をかけたところで何になる。
私は、シュークリームを買うしか。

「シュークリーム持って帰りたいけど、無理ですよね」「飛行機乗るから」「でも、この100円の保冷剤で4時間持ちます。夏ではないし、大丈夫だと思います」
4時間じゃ家につかないよー、なんて逆らわない。じゃ、4つ・・この小さいのを4つ?私ってケチね。だって、生ものを「大丈夫だと思うけど」などと言いながら人様に配れないじゃない。

途中、文房具や雑貨を置いてある店があった。「ジャージー牛乳ドロップス」だって。
ドロップスの缶に、くまモンの絵柄を印刷した紙が、ぐるっと巻いてある。紙を剥がせば何もない缶・・
ハハ、(最初だけ)大人気だった拓ちゃんドロップと同じ作りだ!それだけの理由で一缶買う。

なんだかシュークリームとドロップを持っているのが嬉しくて、ルンルンと駅まで歩く。
空は真っ青だ。スコンと青い。歩くと汗ばむほどのいい天気。
曇や雨もあったけど、案外お天気に恵まれていたのかもしれないこの旅行。最終的には「私はついている」んだ。

高校の時、担任に言われた。
「塀の上を歩いていて、危なかっしそうでも、お前は絶対向こうには落ない。こっちに降りる」って。
意味わからんちゃ。
ただ、自分でも思う。私は、いい加減で、めちゃめちゃだけど、破滅はしないだろう。
私は今、自分の死ぬ年を202○年かも知れないと決めているけど、気がついたらその年は過ぎているのかもしれない。
2泊3日の旅行で、何かが変わるとは思わないけれど、でも、シュークリームのご主人に約束した。「また来ます」って。

帰り道、美味しそうなミカンが店先に並んでた。つい・・。だから、買わないんだってば。どうやって持って帰るのよ、これ以上。

空港までのバスの中、眠くて眠くて。引き込まれそうに眠い。
なんだろう、この眠気。帰るから安心したのかな。緊張が解けたのかな。一泊目も2泊目も、全然眠れなかったのに。
緊張している旅行なんて変だけど、乗り遅れたら、間に合わなかったら、と気が気じゃなかったのかもしれない。
くーっと寝てしまい、運転手さんが渋滞の問い合わせをする声で目が覚めた。空港の少し手前。なんでもなそうだ。ただの渋滞。すぐにそこは通り抜けて、無事空港に着いた。
まだ工事の途中なのでしょう。殺風景な白い塀に囲まれている。

出発は、少し遅れるのだそうだ。ふーーん。
あ!私、お昼食べていなかった!
検査所入っちゃったから、お店は、家の近くにも何軒かあるコーヒーのチェーン店しかない。何もここで、そこに入らなくってって。
待合の椅子に腰掛けて、そっとシュークリームの箱を開ける。
小さな箱より大きな保冷剤。保冷袋にも包んで、丁寧に包装してあった。
食べちゃえ!クリームがトロッと柔らかい。さすがに4つは・・・2つ、缶コーヒーとでお昼にしちゃった。

10分遅れた出発だったのに、強い追い風にも助けられて、定刻より早い到着だったのだそう。
よく喋る機長さんだった。
次も旅行、行けるかな・・
行くなら、やっぱり一人がいい、と思いながらも、ひとり旅はもう難しいのじゃないか、とも感じた旅行でした。

天草で、草千里で、私は、ベンチに座って一人、ソフトクリームなんか食べている変なお婆さんだったかもしれないし、
お店のレジで、袋いりますか?聞かれて、お土産なのに?ムスっと顔に出たかもしれない。
なにか、すぐ突っかかりたくなる。。
町の散策が自信なくて、なんで草千里には行ける?・・勝手だね。
自分で思うほど、私は若くない。あれ?というヘマをする。テキパキ動けない。疲れる。
私は、心身ともにみすぼらしくなっているのかもしれないなー。
次のためにも、健康に明るく過ごさなくちゃ、と思うのだけれど、自信ないや。

勿論、行って良かったのです。
かけがえのな時をくれた。
もう残り少ない私のノートに、キラリと光る1ページを、また一枚。
振り返ったとき、私は、すぐにそのページを取り出すことが出来るのでしょう。だって、きらりと光っているのだもの。


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阿蘇の道の駅で買った銀杏。
すごくきれいな緑色。写真がツヤツヤしているのは、油でコロコロしたから。
この銀杏は、割った時から、実の入り方が違って、あ、これ、絶対美味しい!
その通り。天草の塩で味付けしたら、柔らかく美味しくて、評判いいこと。
もっと買ってくれば良かった。

銀杏は、封筒に入れて電子レンジでチン!、という人多いけど、私は、昔のまま、パチンパチンと割る。
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夫が結婚前から使っていた古臭いペンチみたいな胡桃割り。銀杏を収まる所に挟んで、パチン。
もう45年くらい使ってるのだろうか。変な道具をいっぱい持っている人だったなぁ・・私のだんなさん。

割れ目がついたら手で剥いて、薄皮は、炒めるのだったら、低めの油の中で、網杓子で、ころころ。
茶碗蒸しなどに入れるのだったら、お湯の中でコロコロ。そうするときれいに薄皮が剥がれてくれる。
そこまでしておいて冷凍すると、ちょっと使いたい時に重宝。
もっとも我が家は、そのままツマミにパクパク食べるものだから、冷凍などしている暇もない。

銀杏たくさん食べると、オシッコが銀杏臭い。
Aさんが、銀杏を食べ過ぎて救急車で運ばれた友人の話をしてくれたことがあったっけ。
皆さんもお気を付けを。

なぜか2度目の熊本_草千里ヶ浜

バスは緩やかな登山道を登ります。
これなら、私でも登れそうって、4年前思ったことと同じことを思う。
街さえ歩くのをやめたくせに、登れるわけ無いじゃん。

周りもバスの中も静かです。
あの時は乗合バスじゃなかったっけ?運転席も近く、だから、運転手さん、いろいろ話してくれたんだよね。
すっかり豪華な観光バスになって、運転席も遠い。やたら話しかけたり出来ないようになっている。
途中、要所要所、女性の声で案内のテープが流れます。左手に見える山は・・・というふうに。近代的だ。
おじさんの解説など昔の出来事になっちゃった。
熊本駅も、駅周辺も、驚く程綺麗に生まれ変わった。この阿蘇火口線バスも。
震災の被害に遭われて、まだまだ元の生活には戻れない方も大勢いらっしゃる中、不謹慎かもしれないけど、復興というのはこういうことなんだと知らされたような気がする。
新しくなることなんだ、と。
せっかくの改修、新しく、これまで直せなかった部分も取り戻して、先に進もう、と。

バスは阿蘇火山博物館前に着く。バスの乗客は二人だったけど、着いてみれば、結構大勢の人。皆さん、車で来ているのでしょう。
広ーい駐車場が出来て、バス停も大きくわかりやすい。博物館も新しくて綺麗です。

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空は、真っ青。大きな雲が浮かんでる。
いいなぁ、やっぱりここの空と山。
道路を渡って下に降りる。あれ?馬や牛がいない・・糞はあるから、どこかで休んでいるのかな。
そういえば、来る途中も、牛の姿がポツンポツンと見えただけ。何かが変わっているのかな。コロナの影響でなければいいけれど。


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ぐるうっと、周りを見渡す。あの山が何、この山は、という解説は私にはできないけれど、大きく、広く、山に囲まれているのです。
あの白い煙がモクモクしてるのは中岳かな?
山に囲まれて、それ以上に空は高く、ずーーっと広がっている。

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真ん中あたりに、丘のような道が続いている。
変な写真^^;
ここ、歩きたくなるんだよね。 
ポツリポツリと人が登っている。 
私も歩こう。

♪あの山のむこうに 
    何がある 何がある 
 あの海のむこうに・
    何がある 何がある
    あー、行ってみよか 
 あの雲のむこうに・・・

こういう時浮かぶのは、こんな拓郎の、ちょっとした歌だ。
拓郎の歌は、小品にこそ、と思った時期もあった。
この歌、「何もないのです」というタイトルなんだけどね。
懐かしな。こういう歌。

何もなくても行ってみるのです。
歩いてる人は、みんな、二人連れだ。何を話しながら歩いているんだろう。
私も誰かと、積もる話をしながら、ゆっくりずーっと歩きたいかな・・一緒に歩く人なんて、もういない。積もる話なんて、あるのかどうか。
一人で歩いて、あー、空きれいだな、とか、雲大きいな、とか、それだけ。考えることもありゃしない。

旅行は一人がいいのだけど、連れ合いを失くすというのはこういうことなんだと身にしみることもある。
・・ま、いいか。省略。
「何もない」ことを確認せず、引き返した。

でも、この草千里は、ただ立っているだけでも飽きないのです。ただ山があって、空があるだけなんだけど。
来てよかった! 朝の雨は嘘のように、こんなに晴れている。
暖かいのは幸せだ。

「草千里展望台」というのがありました。
前もあったっけ?震災で壊れていかも。
階段のような坂道を登る。大丈夫?私、大丈夫だぁ、私。
ゆっくり、滑らないように、躓かないように、登ります。歳とったね、私。
着いた! 四角い洗濯物干しのような展望台。回りが見下ろせる。良い眺め!
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だけど、正直言って、この大きな景色は見下ろしても、見上げても、そう変わらない。
見上げたほうが好きだったりもする。
同じ空だから。

さて、バスの時間まで、ソフトクリームでも食べていよう。
この辺、阿部牧場のが多いね。
ベンチに座って、ぼーっと景色を眺めながら食べてると、団体さんのバスが3台も。
ぞろぞろと子供たちが降りてくる。修学旅行じゃないの?どこからか声がする。
そうか、このあたりは、もうそういうことが出来るんだ。
このまま感染が収まって、春に、いっぱいの子供たちを迎えられたらいいですね。

帰りのバスは、私一人。
降りるとき、一人ですみません。自家用車みたいで。と言ったら、運転手さん優しく笑った。いい人だー。

ホテルに行く前、「道の駅」に寄った。
里芋もさつま芋も美味しそう。だけど、こんなの買ったら、また帰りがえらいことになる。
鹿児島に行ったとき、桜島で売っていた小さな早生のミカン。欲張ってふた袋も買ったら、もうふーふー、大変だった。
苦労の甲斐あって美味しかったけどさ。
軽くて小さいのにしよう。銀杏と、白キクラゲと、キウィのジャムと・・・野菜はやめた。

ファイル 71-5.jpgホテルに着いて、すぐに温泉に入り、着替えていたら、夕焼けだ!急いで撮った。
明日は、きっといい天気。明日、帰る。
どうやって過ごそう。

なぜか2度目の熊本_熊本城

4年前、加藤神社から熊本城修復の様子を眺めていた。お城が見えたわけじゃない。クレーン車を遠目に見ていただけなのだけど、お城を目の当たりにしていたような錯覚を覚えていた。
加藤神社まで登る坂道の左手には、崩れた石垣も見えたのではなかったかしら?
初めての熊本。お城を見たこともなかった。
なのに、自分が大事にしていたものを崩されてしまったような気持ちがしたのはなぜなんだろう。
こちらでも、ごくたまにやる熊本城修復のニュースが、なにか、嬉しかった。

災害って、所詮、他人事です。
これまで何度台風や水害、災害のニュースに接したことだろう。その度に、大変だの、気の毒だの、一応のことは口にするのだけど、すぐに次のニュースん関心が移ってしまい・・例えば、広島の土砂崩れ、何時何処のことだったかさえ、忘れてる。
東北の震災は、夫の実家があるだけに、他人事では済まされなかったけど、逆に、災害そのものより、親戚とのあれこれの方が心に重かったりした。

まさか、熊本で地震?
阿蘇の牧場の乳製品を頂いたことがある。牛乳もアイスクリームも濃くて美味しかったなぁ・・何度か話題にもなった西原村は、そのあたりじゃなかったかしら?

娘から孫の七五三のお祝いに呼ばれたとき、夫ももういないのだし、九州ついでにちょっと熊本に行ってみようか、と思った。テレビで見た震災の様子、その後の様子。
外から見た人は、なんであんな重い屋根瓦、とか、水の蓄えもないのか、とか、避難所に入らず車の中で過ごすのを非難したり、勝手なことを言うけれど、そこにはそこの事情というものがある
私も熊本の事情に詳しいわけではないし、特に応援するということもなく、義援金も出さない勝手な人間だけれど、災害を受けた土地を悪く言うなんて。
その土地に行ってみる、バスに乗ったり、ホテルに泊まったり、食べたかった物を食べたり・・私は、そっちを選ぼう。

そして、今回。
もう一度行くことに決めて、あれこれ見ていたら、天守閣の見学が、コロナで中止になっていたのを、10月1日から再開するというニュースが・・ラッキー!すぐに見学のWEB予約をしました。
お城見たかったんです。
あの時、遠くから眺めていたクレーン車の先にあったものが、美しい姿を見せてくれるんです。

ファイル 70-1.jpg 前の日の夕方。市役所14階から見た熊本城。
生憎の空模様でしたが。
係りのおじさんが、「見てやって下さい」とうれしそうだった。帰り、エレベーターまで送ってくれて、「ありがとうございます」って。

市役所、良い所にあるね。役所があって、市電が通って、お城がある。誰でも自由に14階まで行ってお城を見ることが出来る。それが熊本市。

天守閣見学は、朝9時からの予約でした。順番に入っていいのかと思ったら「暫くお待ちください。ファイル 70-2.jpg
待っていると、武将の格好をした人が3人登場して、入門の儀式ですって。諸注意が始まる。マスク着用。鼻あて、と言い直した!ソーシャルディスタンス、これは言い換えないのね。
エイエイオーッ!と拳を上げて、いざ!変なの。でも、ふふ、と笑って私もエイエイオーッ!
入ったあとは、もう自由。めいめい好きに見て回ります。
熊本城の歴史。へーっと驚き、感心もします。
すごいんだ。加藤清正。熊本城の石垣。一つ一つが勉強になる・・・すぐに忘れるんだけどT_T
ファイル 70-3.jpg

西南戦争のあたりに一部焼失した熊本城が、83年の時を経て1960年に天守閣が再建される。60年て・・安保の年だ。
当時、こういうニュースも流れたんだろうか。何も知らない・・・

それ以後も定期的な修理が行われ、平成元年に宇土櫓の保存修理・・あの櫓? 積み重ねてきた修理と復元。それが、あの平成26年(2016)の震災で崩れてしまうのね。
当時の被害の状況、天守閣復旧のあゆみ。
私は、それを見ただけでも来た甲斐があるように思った。

ファイル 70-4.jpg    
今はエレベーターも備えられ、バリアフリーで、誰でも最上階からの眺めを楽しめる・・・ほんとそうだ。
生憎の雨模様。
それでも時折覗く太陽。
あーあ、私も写真上手なら良かったのに。
中央の四角い建物が市役所。
 ファイル 70-5.jpg  遠くには山々も見える。何の山?


このあとは、歩けそうだったら坪井川沿いに歩いて、疲れるなら市電に乗って、洗馬橋、新町・古町、あたりを散策しようと思っていました。さっき、加藤清正の城下町の作り方を見て、また興味が沸いたし、最初は別の場所にお城があったというのを知って、古城公園にも行きたくなったし。
雨は、それほど強くもなく、昼過ぎには止みそう・・・
だけど、市電乗り場まで階段を下りて行く自分の足元、なにかおぼつかない・・踏み外しそうで怖い。
私、大丈夫かなぁ、歩けるかなぁ・・

金曜日の軽い怪我とは別に、ずっと体調はあまり良くなかったのです。
医師に言わせれば「みんなそう」「運動不足」「老化」「多少の不整脈は当たり前」ということなのだけど、少し頑張って家事をしたあと、食事のあと、横にならないと持たない。
頭がボーッとしたり、フラフラしたり、気持ち悪くなったり、外出のあとは、いつも少し寝る。何度も横になりながら一日を過ごす。
でも、サークルの時などはシャンとするから、旅行の時はシャンとしていられるかと思った。単なる怠け病なのは確か。気分が変わったら元気いっぱいで過ごせるのだろと。
甘かったかな。
お天気こんなだし。傘さして、知らない街で、家や店を探して見て回る、出来るかな。
横になりたい・・・ホテルはチエックアウトしちゃったし、教えてもらったお茶の飲める店は、まだまだ開店しない。いっそ、このまま駅まで行って、列車に乗って阿蘇まで行ってしまおうか。列車の中で寝る、とか。
時間を見る。まだ10時前だ。

その日は、阿蘇に泊まる予定でした。もう一度行きたかった草千里はパスして、熊本市内をゆっくり散策してから、阿蘇に行くつもりにしていました。前回、行かれなかった場所、町、教えてもらったのに行かなかった店・・宿題が残っていたから。
だけど、宿題、また今度でいーい?私、ただ、ぼーっと座っていたい。動き回りたくない。
きっと阿蘇に着いたらお天気だ。
せっかくの雨上がりをバスや列車の中で過ごすなら、雨降りの今のうち移動して、向こうでお天気を迎えるのが得じゃない?
何、計算高いことしてるんでしょ。
申し訳ないと思いながら、私は預けてあった荷物を受け取り、駅に向かう。

2度目の駅だもの、もう迷わないよ^^ なんだけどね。乗車券の買い方が^^; 女性の係員さんが一人一人丁寧にサポートしてる。
私もちょっと聞いてみる。「特急券も一緒に買わないとダメですよね。」「一緒にやりましょう。」なんて親切なんだろう。
PASMOを取り出す。と、「すみません。それは阿蘇までは使えないんです」いっぱい入金してきたのにな。
一緒に操作してもらってよかった。自分でしていたら、PASMOが戻ってきたと慌てるところだった。
今はなんでも機械化されて楽なんだけど、私でさえ?まごつくんだもの、初めてその機械に接する年寄りは大変だ。こんなふうに親切に補助する係員さん、東京には、あまりいないような。

特急が出るまで、時間がたっぷり。動きたくないはずなのに「肥後よかモン市場」で、お土産見たり、ホテルでの夕食用にお弁当買ったり、お酒まで店員さんと相談して300mlの冷酒買ったり、
そうだ!気になっていた海鮮丼も食べてしまおう。・・ほんと、現金なんだから。

ご飯を半分にして下さい、と言うのを忘れていた。
店員さんが「タレです」と小瓶を持ってくる。「お醤油じゃなくて?」「タレです」
わさびを入れて溶いて、それをかける・・・。
九州のお醤油って甘いんですよね。初めて食べたとき、お刺身に甘い醤油というのがピンと来なくて、その時一緒だった娘の義理のお父さんにあたる人が、奥さんに、普通の醤油!と偉そうに注文付けていたのを思い出す。
定員さんに頼もうとするのを、普通のお醤油もありますよ、と調味料入れから取り出して渡した覚えがある。もう!なんでも奥さんに言えばいいと思って。ちゃんと食卓に乗っているじゃない。自分で探せ!
夫だったら、人前で偉そうにしない、外面良い人だったからね。九州のお醤油知ってたし。

あら?美味しい!かき混ぜたご飯が美味しい。これは生醤油では出せない味。お刺身がこりっとしている。新鮮なんだぁ・・
天草に行ったのに、天草の新鮮なお魚、食べていないもんね。ここで食べられて良かった!
食事をしたら、また、頭がぼぅーとしてくる。大丈夫、汽車の中で寝るから。

うつらうつらして、時折外を見ると、空が明るくなっている。
復興支援ありがとうの看板があちこちに立っているのが、窓から見える。豊肥線、全線開通のお礼看板もある。
そうなんだ・・この辺、被害大きかったものね。
肥後大津で列車はスイッチバックした。次の駅までの勾配がきつく、そうしないと登れないのだそう。

阿蘇駅について、思い切りの青空に深呼吸する。
10分ほどでバスが来る。草千里ヶ浜の先は、中岳の噴火で通行止めになっていているけれど、私は草千里にさえ行ければ。
重い荷物を急いでコインロッカーに入れる。うっ!100円玉しか使えないんだって。500円玉ダメなんだ。駅員さんに「これ両替してもらえますか?」
あっさりと、はい、100円玉にしてくれた。「両替は出来ません」そんなこと言わないんだ・・。

4年前、私は何度この阿蘇駅でバスを待ったろう。バスでしか移動できないことが多かったから。
あの時、眺めていた噴水はもうない。確か牛だったと思うけれど、今はなんとかいう像が建っていた。向こうに見える「道の駅」は、変わらないかな。帰りに寄ってみよう。
さぁ、バスが来た。くまモンのシートがかかっている。すっかり観光バスだ。あの時のおじさんが運転しているわけはない。
あの時と同じ、乗客は二人だったけど。

なぜか2度目の熊本_A列車で行こう②

前日の天気予報では「晴れ」だったので、よし!と思ったのだけど、一晩経ったら「曇り」に変わっていたT_T
A列車は、沿線の御輿来(おこしき)海岸や雲仙普賢岳を見られるというのも楽しみの一つだったけど、曇り空に加えて、私の知識のなさでは、どこかどうなのかよくわからない。列車は速く走るしね。
とりあえず撮ってはみたのだけど、どこの何を撮ったのかT_T

三角駅に着いて、クルーズ船に乗ります。
列車と船は連携するように組まれているから楽。その分自由な予定が組めないのだけど。
少し迷ったのですよ。三角西港に行くか、天草に渡るか。どちらにしても、そう長い時間は取れない。
なんとなく明るく楽しそうな方を取りました。もともと特に観光は考えていなかったし、天草の入り口で、海に触れて、アイスでも食べながらボーっとしてればいいかな、って。

曇り空だけれど、灰色の海というわけではない。グリーンがかった渋いブルーの海でした。
デッキに座って、風に吹かれているのも気持ちいいもんだ。
松島と言ったら、日本三景の松島しか思い浮かばない私で、松島港という名前が??だったけど、ファイル 69-2.jpg
海に浮かぶ小さな島々を見て納得しました。松島だぁ!
ちなみに私は、宮城の松島に行ったことがありませんT_T

船が海岸に近づくと、わっ!遠目にも驚く程大勢のの人。賑わい。家族連れやカップルや、年配のグループや・・・みんな、どこから来たんだろう。
お洒落なショップも出来ていて、休日のひと時を楽しんでいる。
可愛い小物を売っている店もあり、私は、サンタの置物を買いそうになってしまった。クリスマスに良いと思ったのだけど、東京にもあるかもしれないじゃん、慌てて商品を元に戻す。
天草の塩を使ったというパンには行列が出来ている。
そういえば、A列車開通10周年記念とかで、一割引の券もらったっけ。使わなきゃ、と欲を出す。
天草のガーリックソルトと、天草の塩飴と、サークルには軽くて安く、枚数も入っているクッキーにしよう。
レジも並んでた。「袋要りますか?」と聞かれて、ここでもか・・

もうひとつの、前からあるらしい店は、置いてあるものが少し渋めだった。ウニソースやタコの桜漬け美味しそう・・・だけど、時々痛風の発作が出る息子にそんなもの買って行ったらイヤミでしかない。
天草更紗のコースター、可愛い。手作りの袋もあr。これの生地だけ欲しいな。製品にする前の生地なんておいてあるわけないよね。

子供たちが走り回っている。建物の上に登っていく子もいいたので、眺めがいいのかと、私も登ってみる。
あたりをちょっと散策してみる。奥には行けないよね。暑くもなく寒くもなく、良い気候だ。曇り空なんて気にならない。
あっちにもこっちにも海に向かって椅子やベンチが並べられている。私もアイス食べながら海を見よう・・・天草の塩を使ったソフトにした。
ソフトクリームって美味しいよね。

昔はお蕎麦屋さんで売っていたの、みんな知らないだろうな。衛生上なんとかで販売禁止になって、ソフトクリームは、しばし、懐かしの食べ物になっていた。見つけると嬉しかったなぁ。
今じゃ、どこでもかしこでも「ソフトクリーム」

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さて、帰りのフェリーは三角港に着きます。
傾きかけた太陽を雲が覆って、これが晴れだったらどんなに綺麗だっただろう・・

列車まで少し時間があったので、船の待合室まで行ってみる。
白い円錐形の目立つ建物で、行きにも通ったけど、素通りしていた場所だ。
ピアノを弾いている人がいた。駅の広場とかで誰でも自由に弾けるピアノが置いているのを、時々テレビ見ることある。
ひとつのブームにもなっているのか。こういう所にも。
上の方にずっと螺旋状に登っていけるらしく、先の方に人がいる。私も登ってみる。怖くはない。コンクリートの坂道をグルグルと。何メートルあるんだろう。
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さっきのピアノの音が追いかけてくる。弾いているというより練習なのでしょう。つかえたり、戻ったり・・
上手ではないのかもしれないけれど、こんな建物の中でピアノの音が響いているというのも、いいもんだ。
男性が一人、隣のベンチに座って、ずっと付き添ってるのは、先生なのか、彼なのか。素敵な光景。

ところどころドアがあって、表に出られるようになっている。危なくないのかな。
そっと、一つドアを開けて外に出てみる。危なくないようになっている。
眼下に海が広がる。港が見える。
雲も暗い海だけど、これも思い出の風景になるのでしょう。こういう海だったよ、と私の中で。
一番上まで登ってみる自信はなくて、もう少しというところで降りてしまったけど。

行きは一号車だったので、帰りは2号車にしてみた。
う~ん、2号車は、ちょっと内装に凝った普通の列車だよね。
それに、後ろには、先ほどの団体さんが^^;2,30人いただろうか。良かっのかな。早くも解禁のツアー。

途中、干潟の覗く海が・・あ、おこしき海岸だ!スマホを取り出す余裕もなかった。
どこどこ?周りには立ち上がって、首を伸ばす人もいた。
こういうのって、少し早めにアナウンスしてくれたらいいのに。
おこしき海岸。画像を盗むわけにも行かないので、アクセスしてみて下さい。
https://tabijikan.jp/okoshiki-kaigan-coast-11885/

特急で行くほどの距離でもないので、普通列車に乗って途中下車も考えたんだけどね。
A列車が運行されるときは、普通列車がその分なくなるし、三角で夕方まで一人でいるのも不安だし。
おとなしくA列車で熊本まで戻り、市役所の14階が解放されているというので、そこでトワイライトタイムの熊本城でも見ようと考えたのでした。
お天気が悪いのは想定外だったし、まして選挙の期日前投票の会場になって、一部しかいられないとは考えもしなかったけど。
だいたい、夕焼け、夕焼け騒いでいたけど、どこが西方向なのかも調べてなかったT_T

駅から市電に乗ります。
熊本駅は新しく生まれ変わり、街中の様子も変わった。
スッキリきれいになったね。駅構内もわかりやすく、便利になったなぁ・・・でもね、私には、それも初めてなの。

4年前は、まだ震災からの復旧半ばで、売店も2箇所。2階にも何かありそうと上がっていけばお店が締まっていたり。
マゴマゴしつつも、お土産を買い、娘の所に行く切符を買い、列車に乗った。
市電も地図を見ながら、今はこの駅、次はこの駅、と珍しい駅名確認しながら乗ったっけ。駅に着いた時には、ここが熊本駅なんだ!と感激に近いものも。

今回はバスで来たのだけど、降りて、どこを渡ったらいいのか、あたりをキョロキョロ。あ、あっちだ!
駅前の広場は、日曜日だったせいか、たぶん阿蘇から連れてきた動物達が子供達と遊び・・・駅はどっちだろう・・・新式コインロルカーの使い方にもアタフタ。
私が鈍いだけ・・年と共にますます鈍くなったということなのでしょう。

人様に戴いた写真を勝手に。 「今の熊本駅」 素敵ですよね。
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なぜか2度目の熊本_A列車で行こう①

一時、九州豪華列車の旅、というのがブームになっていた。なかなか予約がとれないとか、一度は乗ってみたいものだとか。
私は「豪華・・」にはそれほど惹かれないけれど、九州にいた娘一家が、わりと熊本あたりに家族で出かけることが多く、小さかった孫がお父さんと「あそぼーい!」に乗った、とキーホルダーを見せてくれた時は、いいな、私は「A列車で行こう!」に乗ってみたいな、なんて思っていた。画像で見るステンドグラス、大人の雰囲気の車内の様子、何よりバーカウンターがあって、ハイボールが飲めるなんて良いじゃない?娘達が九州にいる間に、ぜひもう一度熊本まで行って・・なんて考えていた。

それが、新型コロナウイルス感染というとんでもない事態となり、旅行どころか、娘達と行き来することも難しくなった。
そうこうするうち、娘一家は関東に転勤となり、九州を離れる。近くに来てくれるのは嬉しけどさ。
もう私は九州に行くこともないんだろうな、JR九州の何かの会員にもなっていたけど、それも解約しなくちゃ・・
それが、なぜか、もう一度熊本に行こう、と思ってしまった。
きっかけは沢田研二さんのコンサートで、東京のチケットは取れないから長野なんてどうだろう・・見ているうちに、長野までの新幹線料金で、格安航空券なら九州まで行ける。チケット代で宿泊も取れる。
考えてみれば、私、ファンじゃないしさ・・・ファンの方、ごめん。

9月。感染が収まるのかどうかも分からず、一度小休止になるのだろうけど、の頃。
たぶん、中旬か末に、緊急事態宣言が解除となり、10月は最も動きやすい時期になる、そんな予測を教えてくれた人がいた。
世の中には、解除となって早くgoto何とやらを、との声も上がり始めている。
私は、その前に行ってしまおう。gotoは、真っ平御免。混み合うのは嫌だ。飛行機も宿泊も、今ならまだ取りやすく、安い。
そんな恩恵受けなくても、手軽に自分で行くことはできる、なんちゃって、随分と人様の上手なアドバイスを受けているのだけど。

とにもかくにも、A列車の予約を取ってしまった。土日しか運行しないから、自分のことでは平日しか動かないはずが、日曜日からの日程など立ててしまい、一か月前からの予約を待って、その日のうちに・・先客はいるもので、窓際最前列は取れなかったけどさ。
前回行きそびれた所にも行かなくちゃ、修復なった熊本城はどんな様子だろう、感激をした「草千里」にも、もう一度行きたい。ハチャメチャのスケジュールを組んだりして。

だいたい私は、地理・歴史に疎いのです。
拓郎のコンサートを観ても、良かった、素敵だった、少し声が、とか、選曲がねぇ、とか、そんな感想しか言えないのと同じように、旅行したって、綺麗!、素敵だった、楽しかった、くらしか出て来ない。
旅行記など書けないのです。
泳げないし、山歩きも苦手。車の運転もしない一人旅だから、私の海や山は「車窓からの眺め」しかないのだし。
今回も、いいんだ。列車に乗れば。海見て、景色眺めて・・・特に観光しなくても、それで十分。それが、私の贅沢。

実言うと、二日前の金曜日に、あることで体をぶつけたのです。オデコが少し切れて、体も痛いといえば痛い。まぁ、どうってことないのだけど。
そのせいかどうか、何かリズムが崩れたようで、どこかバラバラしている。当日の朝も、なにやってんのか、もう少しで飛行機、乗り遅れるところだったT_T

そうは言っても、ちゃんと間に合うところが、私の運の良さ、というか。
当日、朝一番の飛行機で熊本まで行き、昼のA列車に乗る。その間、熊本ラーメンも食べるという・・・
ほんとは、教えてもらった店まで行こうと思っていたのです。時間は大丈夫。
歩き始めたのだけど、どこか怖い。店まで歩いて行って、食べて、列車に乗り遅れたらどうしよう、迷子になったりして。急に自信がなくなり、引き返す。こんなふうに、どこか身体がちぐはぐな時は、動かない方がいいかもしれない。。駅の店にしよう。

熊本駅は、4年前とすっかり様子も変わり、「肥後よかモン市場」というのが出来て、地元の美味しいものだの、お土産だの、ラーメンの有名店も入っているのです。
「桂花」という、私でも名前だけは知っている、東京にも進出してる(第一号?)の店にしました。
イメージより食べやすい。スープもギラギラしてなくて、飲みやすい。
麺が・・・固めと店員さんも言っていたけど、固めというのとまた違う・・真っ直ぐなんです。ちょっと茶色っぽい。「そば」という感じ。「中華そば」というのだから、「そば」なんだけど。
最近は「ちじれ麺」が多いような気がするから。「かん水」も今は使わないのかな。あの茹でるとお湯が黄色くなる感じが、苦手だったんだけど。

私が子供の時、家の裏手、空いている場所を叔父一家に貸していたことがあって、叔父はそこでラーメン店始めたんです。修行なんかしたことないくせに。
私が学校から帰ってくると、ラーメン食べるか、って、おやつに、いつもラーメン出してくれた。
私は、やっぱり、おやつは、ドーナツやお菓子がいい。ラーメン飽きちゃって、渋々食べていた。
そんなこともあって、実は、私は、あまりラーメン好きじゃないT_T
もう50年も60年も前の話、その頃のラーメンは、お醤油味の、メンマとナルトとノリの乗っかった、なんてない物だったけど。35円くらいだったかな。
その後、叔父は引っ越して、というか、いつまでも居候で居づらくなって出ていき、別の場所でラーメン店始めたけど、相変わらず美味しくない、という噂だった。
と、またどうでもいいこと書いていますが、私が一人でラーメン食べに入るなんて、ほんと、初めてかも。
せっかくの熊本ですもの、熊本ラーメン食べなきゃね。
美味しかったです。

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で、ラーメンに満足して、早めにホームに行ったら、列車、止まっていました。
すでに何人か写真を撮る人がいた。

おばさん、と言って失礼だったら、そこそこ年配の女性が一人、誰かを捕まえちゃぁ、列車をバックに写真撮ってもらってた。
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一号車、2号車、正面だの、横だの、場所を変えては、そこにいる人に頼んで。嬉しそうだった。

私は、そんな勇気ないないなぁ。写りたくもないもの・・・。

席に着いたら、その人、私の前だった。景色を見るならこっちという窓際の2列目。頑張って取ったんだろうな。大きなカメラも持っていた。

発車までの間、みんな、車内をあっちこっち、見たり撮ったり。

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なんで、みんな、ハイボール飲まないんだろう。せっかくなのに。
コロナでアルコールの提供はなくなっているかと心配した私は、勿論、喜んで、飲みましたよ。
「ヘベ ハイボール」というのがあった。
なんですか?と聞いたら、「へべす」という柑橘類の果汁が入っています、って。
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はは、「へべれけ」ハイボールのわけないじゃんね^0^
乗っているのは、40分少々と短い。
降りる前に飲み切るよう、一生懸命、頑張って飲みました。
これでもう大満足のA列車。

Voyage

私が好きでよく使うアメリカンコットンのメーカーは、月に一度新柄を出す。売り切れると再販はされないので、好みの柄を買いそびれないようチェックは欠かせない。
街にある大手の手芸店は、反物で生地を扱うことが少なくなって、カットクロスばかりでつまらないけれど、その分ネットサイトが充実してきていて、暇に任せてあれこれ見ている。
買ってはWEBと色合いが違うとガッカリしたり、思った以上に素敵!と喜んだり・・・すごく無駄遣いしているかもしれないT_T 

この前、面白いパッチワーク柄を見つけた。パッチワーク柄にありがちな子供っぽさがなくて、派手なのか地味なのか。少々和風の雰囲気もあり、さすが外国!ならではの鮮やかさも。

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これでどんな箱を作ろか。赤と青を買って、あれこれ作ってみる。
青い生地でテッシュボックスを作ったら寄木細工の箱みたいのなった。

「今度はこれを作りましょう」 試作品を見せて、希望を募り、材料の準備をする。
私の手芸会も3年になり、メンバーは10人を超えている。正直、ちょっと大変になってきているんだけどね。
人数が増えたので分散させようと月1を2回にしたら、2回とも出たいという人、多数。余計大変になっちゃった。
公民館の施設を借りる会場費とは別に、諸経費として一回50円をもらう。材料実費。手間賃とって下さいと言われるけれど、多少上乗せして、これで100円、200円・・今月はいくら浮いた・・そんなの嫌だもんね。
私も楽しませてもらっているのだし、講習料など取らないから多少の間違いも、私の大雑把ないい加減さも許されるT_T
みんなが気を使って差し入れてくれるお菓子が美味しいし^^

で、ふと気が付いた。この生地は「bon voyage」というタイトルがついていた。シリーズには、旅する人と馬の図柄の生地もあるにせよ、なんでこのパッチワークが「bon voyage」いい旅を!行ってらっしゃい!?
拓郎ファンの皆様にはおわかりでしょ。私はvoyageつながりでツアー「Country Life is a Voyage」を思い浮かべてしまったのです。
あの船のマーク、素敵でしたよね。なんでも拓郎に結びつける馬鹿^^;

たまたま先日2007年のツアーのことを書いていて、逆にこの生地を思い出し、引っ張り出してきた、というわけ。
まだ少し残っている。
拓郎聴きながら箱を作り始めました。

手芸などをしながら拓郎を聴くって、すごーーく久しぶり。
ずっと拓郎聴いていなかった。聴いて思うあれこれと向かい合うのが面倒だった。書くのも、もういい。手芸サークルの準備にひたすら時間を割いていた。
アクセスログなど取っていないから、訪問があるのかないのかもわからない。もうあの人もこの人も読んでいないんだろうな・・
時折ある「伝言」に、ホッとするけれど。伝言板はすっかり「独り言版」。
借りているサーバー会社も何やらオカシイし。まー、消えるならそれはそれで。
ラジオはそれなりに面白かったりもするけれど、時々文句を言いたくもなり。けど、それを書いてどうする。月に一回拓郎の声を聞くのが何よりの楽しみ、という人もいる。
楽しみでないなら、静かにしていることだ。

iTunesでなにげにクリックしたら「無人島で・・」。少し重いかな。選んだのは「From T」・・ちょうどいいい感じ。
この5月の日差しと、ボール紙や布と格闘している私と。少し大きめの音で流れる明るい拓郎。拓郎の歌はBGMにならないと、ずっと言って来たけれど、「ながら」聴くのに丁度良かった。
知らな歌はないのだし、歌に引っ張られてカッターで手を切ってしまうこともなく、作るのに夢中になって歌が聞こえなくなってしまうことは少しあったけど、すぐに歌に戻れる。
「今」は「今」に合う音というのもあるのかもしれないな、と、なんとなく、拓郎がこのアルバムを作ったのがわかるような気がした。

また拓郎聴いて書く日々に戻れるのかどうかはわからない。
日に三度も昼寝をしてしまう。出かけることも多いけど、帰ってくればグッタリ。庭木の手入れをすれば、クラクラする。年なんだよねー。
パソコンに向かっていると引っ張られるような眠気が襲って来るし。
拓郎のことも、背伸びしなくてもいいかな、と思う。今は、たまたま拓郎モードにいるけれど、書くために聴くこともないし、聴くために書くこともない。
それに、この数日、なにか悲しいのです。
嬉しい毎日が戻ってきたようで楽しいはずなのに、なぜか、涙が滲む。
この先「ない」ことが、わかるからなのでしょうか。私自身から、いろんなものがどんどん消えていくのが見えるからでしょうか。

上の写真、左手横にあるのは「お薬手帳入れです。オリジナル。手帳入れが欲しいという希望を聞いて、作ってみたのです。

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右にお薬手帳を挟み、左のポケットには診察券など。
A5が半分の大きさなので、処方箋も挟める。評判良くて、20以上、材料切ったのじゃないかしら?一つ一つ布の配色なども考えて、いろいろな色と柄で。

調子に乗って、近所の人に見せたら、「100均のジッパー付き透明袋に入れるのが一番簡単よ」
まー、デジタルお薬手帳になったら、こんなのもいらないんだけどね。


ここに最後に書いたのは2019年7月なのね。
その年の暮には、コロナが発生してる。同じ年とは思えない。
2007年のことは、つい最近のような気がするのに、2年前がずっと昔のことのように思えて、今と結びつかないのははなぜ?

餃子

朝、帰る前に、宇都宮二荒山神社に行った。
本当は、一泊したら、日光に寄って帰ろうと思っていた。夫と行った日光も懐かしく。けど、のんびり旅行なんかしていられない事情が出来て、早く帰らなきゃ。せめて神社でお参りして帰ろう。

神社にはお願いをしに行くのでなく、お礼を言いに。そういうけれど、やっぱりお願いをする。願ってしまう。家族が、乗り越えて行けますよう、健康に、働いて、穏やかに暮らしていけますよう・・・

おみくじをひいた。餃子神籤?
あれこれ凝ったおみくじは、あんまり好きじゃないけど、面白いじゃん。餃子だから箸でひくんだよ。

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「予想外の出来事が起きやすい。例えば思いがけない人に出会うとか、物が急に集まってきてまたさっと散っていくという雰囲気です」
まるで、このツアーの私の人間関係みたい。

「この偶然の出会いを大切に受け止めて幸運をつかむようにしましょう」
幸運につながるかどうかはわからないけど。

おみくじは占うのでなく、その中に、何か自分に響く言葉があれば、そう思っている。
人が集まってきて、また散ってゆく・・・ツアーがなければ、会えない人もいる・・

前の晩、一人で食べた餃子は、あんまり美味しくなかった。
なんであんなにペチャンコなんだろう。羽根つき餃子は、いつからか定番になったけど、うどんこ水をあとからかけて焼くだけじゃん。

誰かと一緒にビールでも飲んで食べたら美味しかったのかしら?
だけど、一人で行ったんだもの。
「誰が誘ってくれるというのでしょうか」(東京の長い夜、の節で」

鹿児島(3)

ホテルに着くと、タクシーに人が寄って来る。わ!なになに?・・・ドアを開けてくれる。女性のスタッフが荷物を持って先に立ってくれる。あぁ、ここはホテルなんだ。さすが、昨晩泊まったビジネスホテルとは違うわね。慣れてないので戸惑ってしまう。
「お名前をお呼びしますので、ここに座ってお持ちください」 チェックインが混んでいるのに、ただ立って待たせておくようなことはしない。キビキビと感じが良い。

鹿児島に行こうと思ったのは、新聞の小さなコラムを読んだのが直接のきっかけでした。

「鹿児島で会議が終わって、空港行のバスまでに2時間ほど余裕があったので、タクシー城山まで向かった。
そこには桜島と錦江湾を一望できるホテルがあったはず。10年ほど前、そこのティールームでお茶を飲んだのを思い出したのだ。
ホテルに着くと、記憶通り桜島を望む庭に向かって静かなカフェがあった・・・」というような内容でした。
街の木々の美しさ。ホテルのシャトルバスの窓ガラスがピカピカに磨かれていたことなども書いてありました。
そこに、以前読ませていただいた友人の鹿児島旅行記が重なったのです。
いわゆる名所巡りというのではなく、自分が必要とする場所だけに行き、そこに思いを寄せるような・・・「余計なもは要らない」というのはパンのCM^^;  どこかさっぱりと小気味良く、けれど、深く思いの残る旅行記でした。
娘の所に行く機会があったら、今度は鹿児島に行こう、そう思っていました。

行くならそのホテルに泊まりたいけど、私には無理かなぁ。曜日によっては格安で泊まれるプランがあることを教えて頂きました。早速検索したら、希望の日に一室だけ残ってる。眺望もなくていい、ビジネスホテル並みの設備で十分。錦江湾と桜島を一望できるとう露天風呂に入ればいいのだもの。あのホテルに泊まれる・・・それだけでワクワクしました。

早い時間にチェックインして、何度もお風呂に入ろう。時間によって変化する桜島の表情。雲の流れ。午後と夕暮れどきと、陽が落ちる様子と・・・星と月と・・・そう思っていたのに、、何バタバタしてたんでしょう。ギリギリでホテルに飛び込み、大急ぎで温泉に行き、時計を見ながら支度して、時間スレスレにレストランに入る。ふーぅ間に合った、なんて時間の使い方。馬鹿だなぁ。
それでも、日が暮れようとするラウンジからは、桜島がこんもりと黒い姿をまだ残してくれていて、店員さんの応対も静かで心地よく、7時まではドリンク半額に乗せられて^^;カクテルもお代わりしてしまうのです。

7時までのドリンクメニューには、カクテルは、テキーラ・サンライズとコスモミュールしか載っていない。
♪テキーラ・サンライズ~ は浜省(夏の終わり)。やっぱ浜省より拓郎でしょう。
コスモミュール・・・ポピュラーな、でも懐かしいカクテルを頼みます。

10数年前、拓郎が通っているという評判で、現に拓郎に遭遇したファンもいたらしい、とあるバーに、みんなと時々行っていた。
拓郎抜きにしても、雰囲気もよく、料理もお酒も美味しくて、くつろげるバーだったから。
誰かがコスモミュールを勧める。だって、あれ、甘いでしょ。ここのは違うんだよ。本格的なんだから。それで賞も取ったことあるんだから。ふうん、じゃ、それ。
銅のカップ!?これがほんとなんだ、とその人は自慢げに言う。一口飲んで、あら、美味しい!少しも甘くなんかなく、さっぱりとライムの香りがする。ウオッカベースでほんとは強いカクテルなんですよね。
銅のカップに入ったコスモミュールを、それ以来飲んでいない。他の店ではグラスで出てくるばかりなので、つまらなくて、注文しなくなっていた。

拓郎は、とっくにその店には行っていないのでしょう。あの時一緒だった人たちも、みんな、私の周りから消えた。
私たちの中でブームになって、必ず注文したフローズンダイキリは、この季節、なんのフルーツなのかしら・・・そもそも、その店が、今も同じにあるのかどうか・・・
そんなことを思い出していた。

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運ばれてきたコスモミュールは、あっ!銅のカップに入っている!うれしかった。すこーし甘かったけどね。


和食の店でなく、なぜか、ここで簡単な洋食のコースを頼んでいる。だって、桜島の見えるところに座りたかったんだもの。外は真っ暗になり、水色と白のイルミネーションがチカチカと輝き、景色なんて全く見えなくなっているのに。
オードブル、美味しかった。トマトのペンネも私にはちょうどいい。黒豚と何の肉と言ったっけ?ワインを煮詰めたというソースは、ちょっと濃かったけど。黒豚のトロっとした脂身には合うのかな?ビールと、2杯のコスモミュールと。酔ったはずはないけれど、味、よくわからないや。
部屋に戻り、ベッドにバタン。女性専用というそのお得な部屋は、シングルにしては広いんです。ベッドは大きくふかふか。マッサージチェアと丸いテーブルもある。白いタンスと飲み物とカップの置かれた棚と。カップは、ブランドわからないけど、とても綺麗なの。トイレのドアには白い大きな花も描かれていたっけ。

そうだ!お風呂に行かなくちゃ。私もしぶといですね。寝たのが起き上がって温泉に行く。温泉専用のエレベータがあって、それに乗るときに限り、部屋着とスリッパでいいの。

広島から何度も来ているという女性が、こうして湧いているお湯を、少し熱いから手に取って、手のひらで冷ましてから、ちょんちょんと顔に塗るの。ここのお湯は肌にいいからツルツルになるよ、と教えてくれた。
広島から?そう家族で車で。ここ、好きなのよ。何度も来てる。こともなげにおっしゃる。広島から鹿児島、温泉に入るだけのためには遠いような気もするけど・・・朝食も美味しいのよ。あ、私も頼みました。ここの朝ごはんは一番だからね。
さっき一緒にいたのは娘さんかぁ。言葉遣いからするとお嫁さんかな。言うだけあって、お肌が綺麗で年がわからない。私も顔にちょんちょんとお湯を塗る。

朝、露天風呂で日の出を見たんです。西の国は、日の出が遅い。夫が初めて九州に転勤で来たとき、なかなか日が暮れないから酒がなかなか飲めない、とぼやいていたっけ。
桜島の噴煙がピンクに染まって綺麗だった。
みんな裸で(当たり前^^;)お湯の中に突っ立って日の出を見る・・それは壮観でしたよ。

大きな宴会場の大朝食ブッフェは、客さばきもメニューも、見事というしかない。
私はなんでコーヒーとパンにしているんだろう。慌てて、白和えだの揚げたてさつま揚げだの、鹿児島っぽいものを取りに行く。

どのくらいの宿泊客数なのでしょうね。スタッフは、皆気持ちよくテキパキとして、私はそのテキパキに乗せられて、いつの間にかバスターミナルに来ていた。
出る前に、ちょっとホテルの周りを散歩しようと思っていたのに。時間余っちゃったなぁー。駅前で買い物なんかしてもしょうがないし。遅いより早いほうがいいでしょ。空港に行く。
こういう時のバスは、早いんだよね。あっという間に着いてしまった。鹿児島空港、なんにもなかった

また、鹿児島行きたい・・・錦江湾と桜島に、心を捉えられちゃった。
もう、バスで回ろうなんて考えない。ただ、温泉入って景色を眺め、城山散歩したり。のんびりくつろぐの。
桜島くらいなら行ってもいいかもしれない。港からフェリーで15分だもの。足湯に入りにだけ行くのもいい。今度は観光客いっぱいでさ、大勢が一斉に足を突っ込む。芋の子ならぬ、こんな大根洗うような足湯は嫌だ!ってブーたれたりして。
来年は、わけあって九州に行く機会が増えるかも知れない。そしたら熊本や鹿児島回って帰るんだ。
佐多岬にも行ってみたい。最南端の海は、きっともっと深く青い。寄り道じゃ済まなくなるけどね。
・・・来年は、拓郎ツアーで、その年の予算は、拓郎で使い果たすんだったT_T

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フェリーから見た桜島

鹿児島(2)

*写真、クリックすると大きくなります・・・知ってるか^^

市交通局のカゴシマシティビュー一日乗車券を使って回ることにしました。一日600円で乗り降り自由、主な観光地を回ってくれて、いくつか施設の割引券もついてる、市電にも乗れる。
欲言うと、今年1月に『西郷どん大河ドラマ館』のオープンにあわせて運行コースが変わったらしいのだけど、変わる前の城山方面と磯方面に別れる二つのコースが良かったです。だって、新しいコースはグルグル回るだけで、逆方向に行かれないんですもの。


山は開館時間などないから朝早くから行動したかったけど、始発が8:30。遅いなぁ、と思うなら、路線バスや市電を使って動き始めればいいのに、一日乗車券にこだわって、バスの時間までただぼーっと過ごしてしまう。
バスは満員。まずは「西郷銅像前」で降ります。

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この銅像って、申し訳ないけど、生き生きしていないですよね。ただ突っ立っているように見える。
と思ったら、ごめんなさい。渋谷の忠犬ハチ公を作った鹿児島出身の彫刻家安藤照氏制作なのですね。
陸軍大将の正装で直立不動、高さ8メートルもの大きな銅像というのは、上野の西郷像を意識してのことだったのかもしれません。でも、もうちょっと磨いてあげてね。

「照国神社」まで歩きます。どこにあるんだろう、と思ったら、すぐそこに大きな大きな鳥居。照国通りというのがあるんですね。
島津斉彬公を祀っています。
資料館に入ります。ひっそりと誰もいない。友人に教えて頂かなかったら、資料館、通り過ぎていただろうな。

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斉彬に多大な影響を与えたと言われる曽祖父、島津重豪が書かれたローマ字がある。


1800年代のあの時代に、すでにローマ字を書いていたという驚き。
オランダ語も話せたとか。

「海を見ていた島津家と薩摩」という映画を観ます。同じものを集成館でも見たけれど、「海を見ていた」という表現が、島津家にぴったり。
南に大きく開かれた海があった、それが明治維新に繋がる多くの偉人たちを出した薩摩という国だったのですよね。
神社には島津斉彬の像もあり、「明治維新薩摩殉職志士・戊辰戦没者銘碑」というのもありました。

鶴丸城跡を見たかったけど、御楼門は工事中。黎明館、館内には入らず、外の天璋院篤姫の像を見るだけにしました。
もう少し歩くと、シティビュー「薩摩義士碑前」のバス停に出ます。ほんとに通りは広く大きくて、鹿児島のイメージ一新です。

バスは来ない・・・予定時刻をだいぶ過ぎているのに。鹿児島交通という市の交通局と間際らしいバスは来るけれど、同じコースを行くのに、乗車券の互換性はないのです。ケチなので、市バスが来るまで待ちます。
朝のバスで一緒だったのか、見たことのある外人さんがサッサと歩いている。白人系の外人さんて、一人か二人で行動することが多く、軽装で、バスまで時間があると思うと、待ったりせず、さっと歩き始めるんですよね。
年配の夫婦らしき人が、義士碑の前でお互いの写真を撮っている。こんなところで記念写真撮ってどうするんだろう。証拠写真か・・・余計なお世話ですよね。小姑みたいな私ですT_T

「西郷洞窟前」まで来ました。なんてない洞窟でした。二つ並んでいて、どっちがそうなのか、わからないや。
「城山」までは歩こう。
このくらいなら最初から歩けたな。歩けば良かった。展望台には、ごっちゃり人がいました。観光客がいるところといないところの差が激しいT_T
城山の展望台からは、眼下に街並みと、遠くに桜島が見えます。

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またもやバス停でぼーっと周遊バスを待つ。ホテルのシャトルバスが向こうの坂道を降りて行きます。
時間の無駄をしているような、こうしてただ座っているのも悪くないような。
鳥が鳴いて、バラバラバラっと小石が降ってくる。鳥のいたずらなのか、桜島が噴いたのか。


「 西郷南洲顕彰館」
一口に言うと、西郷さんのことがよくわかる資料館です。
「ツン」を連れた「西郷さぁ」のメモ帳など買ってしまった。
今回の旅行に際して「南洲翁遺訓」などを、ちょっと読んでみた。・・・今も読んでいる。枕元に置いて、たまに手に取り、目に付いた項目を一つ。そういう読み方でもいいのかな、と思ったから。特にそれを教訓とするわけではないのだけど、いい睡眠導入剤にはなるT_T
大体、私は、南洲翁が西郷さんであることを、最近まで知らなかった。無知だねぇ・・
顕彰館を出ると、バスの時間まで5分。ちょうどいい・・けど、私は、まだ墓地に行っていない。どうせバスは遅れるのだから、さっと見てくる・・・そういうものじゃないよね。次のバスにしよう。

南洲墓地は不思議な空間でした。
西郷さんのお墓を守るかのように、無数の灰色の墓碑が並んでいる。明るい陽射しが降り注ぐ。向こうには桜島が見える。西郷さんたちのお墓は、城山に守られ、桜島を見つめているのですね。
時折人が訪れ、手を合わせてゆく。花が供えてあるのは、私でも名前を知っている有名志士達の墓。下の方に、まだ10代の若さで命を落とした者たちの墓が並んでいる。そういう若者たちの墓は墓碑も小さいのです。かたまって並んでいるのを見ると、胸を突かれる。
市内数箇所に仮埋葬されていた西郷さんたちの墓をここに改葬したあと、九州各地に散在していた西郷軍の遺骨を集められたのだそうです。2023名が葬られているのだとか。
上の方に登って言ったら城山に出るのかな。時間もあるから行ってみようと思ったけど、戻ってこられなくなったら困るT_T 
ちょっと今風のお土産屋さんがあった。手作りだという2019年の手帳を買う。こうやって時間があると無駄遣いをするんですよね。
家で見たらそれほど素敵ではなかったけど^^;鹿児島の記念に来年一年はこれを使うんだぁ。先週は、6月のスケジュールも書き込んだんだよね^^

さて、西郷さんを巡る旅は、ここで一旦休止。もう一時。バスに乗り、桜島フェリー乗り場まで。
石橋記念公園て、つい久留米の石橋文化センターと結びつけてしまっていたけど、昨日行った甲突川の、災害で流された「石橋」が保存されているのだそう。「かんまちあ」ってなんだろう・・・
流れ作用のように、「水族館前」で降りて、気が付くと、フェリーに乗っていた。そうだ!私、まだお昼食べていない!フェリーの中で、名物という「うどん」を食べた。即席麺のような食感だったけど、美味しかったです。たぶん、もう食べる機会ないですもの。記念の「おうどん」


桜島でも、「アイランドビュー」という周遊バスを利用します。島の東側をグルッと回って、景色の良いところでは数分停まってくれる。車のない私にはうってつけだわ、と思ったけど、甘かったかも^^;
一周60分。立っているのはしんどそうだから、座れるよう早めにバス停で並んでました。
やっぱり外人さんが、時刻表と時計を見て、さっさと歩いて行きます。どこへ歩くんだろう・・・
席は楽に座れました。後ろの方、たくさん並んでいたんですね。どんどん人が乗ってきて、大きなスーツケースなどを持ち込む人もいて、ギュウギュウになってくる。

最初の「烏島展望所」に着きました。5分停車というのが慌ただしそうで、私は「いいや」と、降りずに座ってました。と・・・思わぬ光景が。人が降りたところに、別の人が座ってしまうのですね。
確かに、観光バスでもなく、座席指定ではない。普通のバスかもしれない。だけど、景色を見たらまた戻ってくる、という乗り降り自由の周遊バス。最初の席に戻るというのは暗黙の了解だと思ってた。席を外したから座ってしまう、といのは、私の理解を超えている。戻った人は、自分の席がなくなっているのに戸惑い、仕方なく立っている。

次は「赤水展望広場」8分の停車。
「長淵剛さんの記念碑が・・・」そという説明があります。そういえば、十数年前、桜島でオールナイトコンサートやったっけ。
長淵剛には興味ないので、記念のモニュメントなど無視して、景色だけ見て、さっさとバスに戻る。席は無事だ、ホッ。

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景色、良かったです。

三番目の「湯之平展望所」。15分という長い停車をするだけあって、確かにいい眺め。桜島にいるのに桜島を見ているって、なんか不思議ですよね。山肌も間近に迫って見える。
けど、展望台は、人が多く、すれ違うのがやっと。観光バスなどもひしめいて、乗務員さんたちが「停車渋滞起こしとるで」などとと会話していたっけ。
下に降りて少し歩くと、人気もなく静かに美しい海が広がってる。きれいだなぁ・・・けど、ゆっくり景色に浸れない。何か落ち着かない。早めにバスに戻ってしまった。

私の了見が狭いんだろうか。外人さんたちと感覚が違うんだろうか。ここまで座っていたから、次はどうぞ、と譲り合ったら良かったんだろうか。友達とだったらそうしたよね。交代しよう、って。


桜島港に戻ったバスを降りて、「足湯」にいきました。桜島溶岩なぎさ公園。100メートルもの長い足湯です。
足湯は好きじゃない、なんて言っていたけど、気持ちい~い。少し熱めの赤褐色のお湯。私はちゃんとタオルと替えのソックス持ってきましたよ。

3組くらいしか人がいません。静かです。こういう所にはあまり来ないのかな。
今日はほんとにいい天気。景色を眺めながらぼーっと足をお湯に浸らせていると時間を忘れそう。

そうもしていられないので、フェリー乗り場まで歩き始めたら、道路の向こうに「コープ」の文字が見える。友人が以前言っていた「スーパーで買ったミカンが美味しかった」というのは、ここだろうか。
果物売り場に「早生」と書かれた小さなミカンと、普通の大きさの柔らかそうなミカンと。どちらも美味しそうなので両方買い求める。小さなリュックにミカンをふた袋入れたら、まるで買い出しのおばさんだ。
歩きながら一つ小さい方を食べてみたら、甘い!ミカンの味が小さな中にギュッと詰まっている。こういうミカン、子供たちにも食べさせたいな。お店に戻って、もっと買いたくなる。諦めたけど。
レジで店員さんに聞いたら「桜島小みかん」が出回るのはもう少し先で、これは違うのだそうだけど、美味しいミカンでした。
家に帰ってテーブルに出しておいたら、普段あまり果物を食べない息子が手を伸ばし、あっという間になくなりましたよ。


周遊バスで手軽に回ろうなどとせず、遊歩道を歩けば良かった。周りの景色を眺めながら歩けるところまで歩いて、戻ったら、ミカンを買って、足湯に行く。
ミカンを食べながら、足湯に浸かり、寝そべって、空を眺めたり、海を見たり、何十分でも一時間でも・・・私の桜島観光は、それだけで十分心に刻まれたかもしれないのに。


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ほんとに、空も海も真っ青だったんです。この景色の前に、何をごちゃごちゃ言うか、なんですけどね。


フェリーを降りてバス停に行ったら、「カゴシマシティビュー」は、行ったばかりみたい。こんなところで20分も30分も待っていられない。ホテルでは6時に夕食の予約をしてある。食事の前に露天風呂に入って、夕暮れの錦江湾と桜島を見たいのだもの。
違うバスが来た。先に並んでいた御夫婦は市バスまで待つつもりらしいけど、一日乗車券が使えなくったっていい。そのバスに飛び乗った。道はとても混んでいて、この運転手さんも上手にバスを操りながら、車と車の隙間を縫うように走らせる。プロはすごい!変に感心しちゃった。
ホテルまではタクシーにした。

途中、甲突川のほとりに立つ大久保利通の銅像が見えた。
私には、明治維新も西郷隆盛も大久保利通も、実のところよくわからない。「だんなさんが鹿児島出身」の友達のように、大久保憎し、みたいなことは、簡単には言えない。
大久保さんの像の周りには、夕暮れどきの空が広がるだけ。山にも何にも囲まれてるないの。この目はどこに向いているんだろう・・・なんだか可哀想だった。

鹿児島(1)

孫の七五三で福岡に行くついでに、ちょっと足を伸ばして鹿児島経由で帰ってくる・・・そんな私のささやかな旅行。お天気に恵まれ、キラキラ輝く錦江湾と煙のたなびくゆったりと大きな桜島。空も海もどこまでも青いのです。
その景色だけでも皆さんに見ていただきたいと思っていたのに、書く事にすっかり不精になってしまっています。こうして、書き始めてるのだから「ました」かな^^書いたら長い・・いつものことですm(_ _)m

娘の三番目の子、5歳のお祝いでした。夫の葬儀の時、臨月で娘のお腹にいた子です。その3週間後に生まれました。から、5歳。あぁ、もう丸5年か、6年目か・・・と思います。七五三、行ってあげなきゃ、と思いました。
男の子だから生まれ変わり、なんてことは全くなく、少しも夫に似ていないんですけどね。

良いお参りでした。

娘達が予約してくれたお店で頂いたお昼ご飯の美味しかったこと!

書けばキリがないので、割愛^0^


久留米から鹿児島中央駅までは新幹線です。
九州新幹線に乗るのは初めてです。

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豪華な車両、、ゆったりとした座席、新幹線といったら狭くて窮屈な車両しか思い浮かばない私には、新鮮でした。

だけどもガラガラ・・・平日の10時に乗る人も少ないのでしょう。なんだか心配にもなってしまいます。採算取れているのかしら、なんて、余計なお世話ですね^^;


鹿児島中央駅に着きましたら、心配御無用。賑やかで大きな駅なのでした。
その日は、お天気だったら桜島。曇りや雨だったら仙巌園、と思っていました。
新幹線の中から眺める空は、なんだかどんよりして、これは仙巌園かなぁ・・・その判断が良かったのかどうか。

仙巌園までは、観光案内所が「まち巡りバス」を勧めるのに逆らって、路線バスで行くことにしました。だって、仙巌園に行くのに城山経由というのが、ピンと来なかったんですもの。
バスは遅れるもの、道は混むもの、という当たり前のことを、後々思い知るのですけどね。鹿児島中央駅は、大都会なのです。

仙巌園、たいそう賑わっていました。今は、どの観光地も平日だから静か、ということはないのですね。どういうお庭かというのは、私などが書いても、コピーでしかない。検索して見てくださいね、
https://www.senganen.jp/
・・・と逃げるT_T

ご主人が鹿児島出身だという友達からは、両棒餅(ぢゃんぼもち)を絶対食べるように、と言われていました。彼女はそれをお昼ご飯にしたのだそう。確かに美味しそうではあるけれど・・・今の私は、お餅のようなものをたくさんは食べられない。お団子一本を食べきれなかったりするのです。1、2本、売ってくれればいいのにな。それに、大勢の人に混じって、みたらし団子のようなものを一人で食べる若さもないT_T
上の方まで登っていって、見晴らしの良いレストランで、鹿児島の郷土料理が味わえるセットにすることにしました。
カウンター席の目の前は大きなガラス戸になっていて、錦江湾に浮かぶ桜島が真正面なのです。

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海は、日差しで銀色にキラキラと、眩しくかすむほど光っています。
桜島は、大きく噴煙をはき、朝からの雲は、まだ残っているけれど、その雲の流れで、景色を変えます。雲が流れて、山頂が覗いたかと思うと、また隠れてしまう。まだ桜島全体の姿は見えません。
キビナゴのお刺身と、さつま揚げと・・・煮物は、澄んだお汁で上品な味付けでした。

さて、もう一度入口に戻り、最初から。
「反射炉跡」というのがあります。
歴史に疎い私は、島津斉彬について、特に知っているわけではないけれど、あの時代に西洋列強の脅威を感じ、その技術を取り入れて、日本独自の道を切り開いていこうと実験を重ねる。
こういう人物を藩主に持つ薩摩という国。ちょうどテレビでは「西郷どん!」をやっていて、少々ブームでもありました。あのドラマ多少の疑問を持たないわけではなかったけど、改めて明治維新というものを考えるきっかけにはなり、少し本を読み始めていました。西郷隆盛についても少し知ろうと、しているところでした。

順番に見て回ります。お屋敷にも入ります。空はすっかり晴れて、お庭のビューポイントというところまで歩いてみると、わーっ!ほんとにほんとに綺麗でした。何枚撮っても、その景色のままは撮れない。
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こんなに晴れるなら、桜島に行けたのに、と思うけれど、ここで、こんなに綺麗な桜島を見られたのだから、仙巌園にしてよかったのかもしれません。

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ずーっと上の方まで歩いて行って、神社でお参りしたり、橋を渡ったり。広大な庭園を歩くのは、まるでハイキングです。
荷物は駅のコインロッカーに預け、小さなリュック一つ、足元はスニーカー。逆にそいうのが年寄りくさいんですけどね。

手にはスマホさえあれば、なんだけど、やたら桜島の写真を撮っていたら、バッテリーの残量が・・・なんで携帯用のバッテリー準備していないんだろう。いつも同じ過ちを繰り返す。
尚古集成館近くには、スタバがあるという。そこにいけば電源あるかな。ちょっと入ってみます・・・こういう店には人が集まるんだよね。結構混んでいて、ざっと店内回ってみたけど、それらしきものはない。ま、、いや、写真撮らなければいいんだから。
尚古集成館は、道路を渡って、仙巌園のチケットかパンフを見せて入るのです。だから、すぐ取り出せるようにしておきなさい、って。

島津家歴代の当主によって受け継がれてきた仙巌園は、島津斉彬によって、さらに重要な意味を持つようになります。尚古集成館には、その息吹が詰まっている。さながら博物館・・・て、博物館なんですけどね。模型を見たり、シアターを見たり、集成館のパンフはないかと探したけど、そんなものはなくて、書籍を売っている^^;
薩摩切子の工場も見て・・・薩摩切子はどんなに綺麗でも買えないけど・・・どのくらいここにいたんだろう。いくら時間があっても足りない仙巌園・尚古集成館です。

これから天文館通りで「しろくま」を食べて、「維新ふるさと館」にも行かなくちゃ。「維新ふるさと館」はパスしてもいいのだけど、ここがお勧めよ、と、パンフまで送ってくれた「鹿児島が実家のダンナさんを持つ」友達は、行かなかったと言ったら気を悪くするだろう。
11時には着いていたから楽勝かと思っていたけど、押せ押せだ。

バスに乗る。磯海水浴場の横を通ったら、あまりの美しさに感動する。
これがバスじゃなかったら、もしも夫の運転する車だったら、車を停めて、桜島の見える海岸を散歩したり、波打ち際で遊んだり・・・海の向こうに見える桜島は大きくて、とっても綺麗で・・・仕方ないよね。一人だもの。一緒に車で旅してくれるような人、いないもの

天文館、大きな繁華街でした。広島でも熊本でも、市電の通る大きな商店街というのはあったけど、少し趣が違う。何が違うんだろう・・・検証なんかしている暇はない。「むじゃき」を探さなきゃ。
「シロクマ」、一人で時計を見い見いかき込むものじゃないわ。そんなにしてまで食べる必要あったかな、というのが正直な感想m(_ _)m

市電で「高見橋」まで行く予定だったけど、びゅんびゅんゴーゴーと走る市電の勢いに圧倒されて、目の前のバスに乗ってしまう。どのバスだって駅まで行くんだもの、と思ったけど、甘かったですね。バスロータリーは、いろんなバスが行き交って、運転手さんは、離れ業のようにバスを止めるけど、停まったバス停から向こうに渡るのに大変だった。維新館、矢印はあるけど、その矢印がどこを指すのかわかんないじゃない。ようやく橋を見つけ、これが甲突川。あれが記念館だ。開館は5時まで。4時には中に入りたい。

走り始めて嫌な予感が・・・高校生の集団がゾロゾロと入ってゆく。何グループあったんだろう。列が途切れず、なかなか中に入れない。すみません、いいですか、列の横から入れてもらう。受付でチケっト買ったら、シアターホールは立ち見席のみ、って。さっきの高校生達が予約済みだからということ?少しおかしくな?まず高校生たちの席を確保して、一般客は立ち見ってt_t。ま、いいや。画面でわかる維新の歩みでも見ていよう。けど、狭い館内、さっきの高校生達で溢れ、あちこちのジオラマの前は陣取られ、私など、触れることもできない。シアターで映画が始まり、高校生たちが吸い込まれて行く。静かになった館内をようやく見て回ります。「翔ぶが如く」のコーナーがあった。こういうドラマがあったんだ。昔はNHK大河なんて見なかったなぁ。司馬遼太郎さんは、大久保利通をどう書いたんだろう。帰ったら読んでみようか。
修学旅行の高校生たちが悪いのではない。一般客に迷惑をかけないようシアターも最後の上映時間を選んだのでしょう。未来の若者優先。あんな時間に入った私が悪かった、かち合ったのは運が悪かった、ということに。

甲突川の辺を歩きます。大きな川。架かる橋は、どれも大きな通りになっており、車も多いです。
「維新生誕の地」というような旗がずらっと並べられ、「西郷どん!」ブームを盛り上げようとしてるのかな。西郷隆盛、大久保利通生誕の地をはじめとした明治維新の偉人たちの史跡がきれいに整備されています。きれいすぎて作り物っぽいT_T
今は花のない季節のせいか、そういう旗がかえって寂しくも感じられたけれど。昼間の明るい時間に散歩したら、また違っていたのかもしれません。
写真がないのはバッテリーが心細かったから^^

初日に仙巌園に行ってしまったので、もう一度プランを練り直します。練るほどのプランでもないですがT_T
明日は、城山に行ってから桜島にしようかな。そしたら駅のコインロッカーに荷物預けて一日身軽に回れるし、もう一度仙巌園の前を通るのも悪くない。あの桜島の浮かぶ海岸をまた見たかったのです。


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