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花柚子のジャム

花柚子をたくさん頂いた。
花柚子は、花の香りを楽しむためのもので、実には香りはないのだそう。お風呂に入れても、香りもしないのだとか。
「花柚子だけどいーい?」
新しい友人は「ジャムがいいのよ」そう言って袋いっぱいくれた。

前に作ったことあったっけ。種と実を袋に入れて一緒に煮た覚えがあるなぁ。念のため、ネットで検索してみる。これにしてみよう・・・でも、少し我流を加えてみる。やっぱ、白いわたわたも取らないとね。刻んで湯がくより、湯がいてから刻もう。砂糖の量もちょっと減らした。少なければいいというものじゃない。フルーツソースでなくジャムなのだから。

で、こんな感じ。
*花柚子 500gとして 砂糖220g(グラニュー糖が少ししかなかったので、混ぜた^^;)

1.皮と実に分け、実は絞ってジュースを取っておく。
 皮は、2,3回茹でこぼし、白いところをこそげて(ざっとでいい)、刻んで、もう一度柔らかく茹で、数時間水にさらす。

2.実だけはうまく取れないので、種も袋も一緒に、数分ほどレンジにかけたあと、裏ごしをする。
*そんなに必死にしなくても、スプーン(大)に2杯ほど取れれば大丈夫。

裏ごし器の裏についた実をヘラでこそげたものと(緑色できれい)、ジュース、刻んだ皮、砂糖を加え、混ぜてしばらく置いておく。

3.鍋に入れ、焦げ付かないようにかき混ぜながら、10分ほど煮る。冷めると固くなるので、煮詰めなくてもいい。
熱いうちに、煮沸消毒した瓶に詰めるのもよし、簡単にジプロっくで冷凍という手もある。

作るときはアップしようなんて考えないものだから、途中経過の写真がなくてm(_ _)m

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柚子の味がしっかりした、とっても美味しいジャムになった^^
お店屋さんのみたい、と自画自賛する。
その友人は、ただ刻んでお砂糖入れて煮るだけよ、苦いところがいいの、と言っていたけれど。

こちらは3月に作った金柑ジャム。似てる?でも、違うよ。
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宮崎の「たまたま」という、あまーーくて美味しい大きな金柑。ジャムにするには勿体無かったけど、娘が来た時に食べさせたかったので。
きれいな金柑色。
薄く切った全粒粉のパンにつけても、ふわふわのパンでも、最高だった。
#スプーンが置いてあるのは、金柑の大きさをわかってもらうため。

#おまけ:「桃栗3年 柿8年」ここまでは誰でも知っているけど、続き、「柚子の大馬鹿18年」と言うんだって。
柚子の大馬鹿、って・・・T_T
柚木は大木になるなんだってね。だから家に庭には「花柚子」が多いのだとか。

スタイ

今は、「よだれかけ」や「あぶちゃん」などと言わず、「スタイ」と言うらしい。

先日、手芸屋さんの2割引セールに行ったら、Wガーゼの可愛い生地が目に付いた。よだれかけの見本もある。これで「スタイ」を作って、先月生まれた次男の子に贈ろう。

ネットで検索したら、まぁ、レースやリボン、衿が付いていたり、パンダや熊さんの形をしたもの、男の子用にはネクタイがついていたり、色どりみどり、可愛いというより、やり過ぎなような気もしなうもないけど、今や、よだれかけも、アクセサリー、洋服の一部になっているのかな、とも思う。
無料型紙がダウンロードできるサイトもあって、便利なものだ。

ガーゼは柔らかくて、肌触りもいいけれど、ちょっと涎が多かったり、こぼしたりすると、びしょびしょになって、服まで濡れてしまう・・・という経験ありますよね。「透湿性防水シート」というのを、その手芸屋さんで見つけて、それも買ってきたので、間に挟んで、いくつか作ってみた。

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30センチの布で出来るので、調子に乗って何枚も。
娘だったら、そのうち使うから、と全部押し付けるのだけど、お嫁さん相手だと、ちょっと遠慮する^^;
こんなに同じようなものが何枚もあっても邪魔だろうと、3枚だけにして、日曜日、ご招待を受けたので、手土産の一つにした。

ちょうど生後一ヶ月になる孫は、すやすや眠って、帰るまでの2時間、結局一度も目を覚まさなかったT_Tさすが女の子・・・。
目鼻立ちがしっかりして、お嫁さんに言わせると、「気の強い子になりそう」だそうで、ま、親が言うんなら、いいでしょう。女の子は強いくらいがいいんだよ・・・

ここしばらく、サンタ作りや、クリスマス用カードや、箱作りや洋裁・・・机の上は、ミシンだのボンドだのカッターだのが、順繰りに占領していて、パソコンは、テーブルの隅に押しやられていた。
やっと、プレゼント作りも終わったので、材料は全てしまい込んだ。さすがに、年末年始の準備に取り掛からねば。夢中になって、いろんなものを作ってばかりいては、時間がいくらあっても足りない。

それに、明日は、拓郎のテレビだ!
PCも机の上に復帰した。
メールも、ちょっと書いた。
拓郎モードにならないと。

馬鹿みたいにたくさん作った「鎌倉スワニーさん」のサンタクロース。キットを手本に、手持ちの生地で勝手に数を増やすという^^;
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これは、私なりの拓郎バージョン。
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紙にパンチでステッチ用の穴が開いているカードも見つけたので、子供たち用に、せっせと刺繍もした。小さなイニシャルで誰用かわかるようにした。プレゼントを受けとったら、カードはオーナメントにしてね、との伝言付けて。

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なんだかんだで、私のクリスマスは、イブを待たずに完了。
いいんだ。拓郎モードの年の瀬で。

町内ミニミニ文化祭

3年ほど前、何の気なしに刺繍の額を出展したことから、町内の人達とだんだん繋がりを持つようになり、今年の文化祭では、いつの間にか私も委員になっていたT_T
前日の会場設営と飾り付け。こういうことをするのは何年ぶりだろう。ウロウロするばっかりでたいして役に立たないのだけど。
当日の受付当番も、人の顔も名前もわからないのだから、お飾りのようなものだったけど。

展示品も見に来る人も、年々減って、ほんとのミニミニだけれど、その分、じっくり見れば、どの作品も味わい深い。
もう絵筆は持てないからと、若い時の絵を出してくれた人。書や俳画は、さすが、年輪を感じさせる。男性は、写真の出展が多いね。

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ご高齢のおばあちゃんが、数年前まで夢中になっていた鎌倉彫。しまいっぱなしでは勿体ないからとお嫁さんが、桜を彫った美しい手鏡を出してくれて、当日、杖をついてお嫁さんに付き添われて来たおばあちゃんは、自分の手鏡が飾ってあるのを見て、目を細めていた。

編み物や折り紙や、ビーズの花、ポタニカルアート、ちぎり絵、墨絵・・・みんな、すごい!才能のある人というのは、どこにもいるものですね。お孫さんが作ったダンボールの家、高校生の篆刻・・・。

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私が感心したのは、繭の話。取った細い糸をペットボトルに巻いて、可愛いランプにしていた。

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ここの小学校では、3年生になると、蚕を飼って、育て、繭から糸を取る、という体験学習をするのだとか。その手伝いをするうち、自分がはまっちゃって、と、そのお母さんは、自宅のリビングで毎年蚕を飼っていて、その様子を展示してくれた。

昔、養蚕が盛んだったというこの地域には、まだポツンポツンと桑畑が残っていて、特にその小学校用の桑を育て下さっている家もあるのだそうです。
夏の朝、ボランティアのお母さんたちが桑の葉を狩って、学校に運ぶと、子供たちが、わっと寄ってきて、桑の葉を持っていく。ほらほらお食べ・・あぁ、いいなぁ、その光景、目に浮かぶようだわ。

桑は当然無農薬。「蚕も殺虫剤、煙草の煙、一切ダメだから、蚊取り線香も焚けないのよ」「リビングでは育てるの大変でしょう」
小さい頃、福島のお爺ちゃんの家に行くと、2階が養蚕室になってて、天井上から、がさごそがさこそ・・・怖くて眠れなかったことを思い出す。「怖くない?」「全然、可愛いよ」

「糸は、取ったあとどうするの?」あれこれ質問していているうち、生糸にならなかったものは、真綿になるという話になり・・・えっ!真綿って絹なの?私、コットンフラワー、木綿だと思っていた」・・・
こういう話になったらお年寄りは強い^^;皆さんが寄ってきて、真綿はとても暖かく、昔は、もめん綿の上に、一枚、薄く真綿を重ねて布団を作ったものだ。真綿は贅沢でねぇ、などと口々に話してくれる。
そうか、真綿は絹なのか・・この年まで知らなかった。恥ずかしい。
♪真綿色したシクラメンほど・・・
じゃあ、布施明の歌、真綿を勘違いして聞いていた人多かったかもね・・・そんな話をしたら、みんなキョトン、通じなかったT_T 若い人はその歌を知らない。うんと年配の人も知らない。


来場者はポツンポツン。
時間がゆるゆると流れ、こういうミニミニ文化祭もいいなぁ・・・
皆さん、ゆっくりと眺め、思い出話などをしてゆく。一緒に受付をしてくれたベテランさんが、私も話に引き込んで下さる。
あぁ、そうなのか、この町内はそういう歴史があるのか。50年前は陸の孤島と言われ、電話も一本しかなかった。50年前と言ったら、オリンピックの年じゃない。新幹線、高速道路で湧いていた東京。その当時、ここには、全く違う暮らしがあったんだ。
ここは、町内会でなく自治会という。みんなで会を立ち上げてゆく様子など、興味深い。
お孫さんと娘さんが同級生だったという年齢超えた思い出話も、面白かった。うちの子は留学してて、うちの孫は浪人してて、うちの孫は、うちの子は・・懐かしいね、連れてくればよかったね・・・いいなぁ、この地に歴史のある人は。

ところで、高野さん、何歳?・・え?あの・・・言いよどんでいると、「老人会に入ってくれないかな、と思って。ほんとは65からだけど、60歳からも入れるよ」・・・60歳はとうのとうに超えているけど、基準はずっと前にクリアしてるけど、でもねぇ・・「もう少し待ってください。」 
だって、老人会に入ったら、ほんとに老人になりそうだもの。
老人会には「さくら会」という素敵な名前がある。「さくら会」ならいいかな。もういつまでも拓郎拓郎言わずに、地域で静かに暮らす時が来ているのかも。

私が出したのは、フェルトのおままごと「回転寿司」とクロスステッチの額。
結構人気だったよ。

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カルトナージュな毎日 続き

あれは、2002年頃でしょうか。拓郎がサントリープレミアムモルツのCMに出ていたのを、といってもテレビに出るわけでなく、ポスターだけでしたが、皆さん、覚えていらっしゃいますか?

マハロからのプレゼントでプレミアムモルツが2本?送られてくる・・・私は、ちょうど引越しの最中で、届かなくて、悔しかったのを、よーく覚えています。
あれから、私たちは、外でビールを飲む時は、必ずプレミアムモルツ、ということにしているのだけど。

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あの時、6本買うと、缶とハンカチがついてきた。


缶は、すっかり色あせてしまったけど、なんとなく窓辺に置きっぱなしで、貯金箱にする予定が、一円もお金、入っていない^^;

ビンテージデザインハンカチとやらは、とても持って出られそうになく、しまいっぱなし。いつも捨てようと思うのだけど、わざわざ捨てるに忍びず、これまたなんとなく、引き出しの奥に入っていた。
そのハンカチを、この小さな箱なら足りるかと貼ってみたのです。
一枚で二つできました。

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丁度、カードの入る大きさなので、前にいっぱい作ってしまった缶バッチと一緒に、TYISカードを入れておくことにしました。これなら毎回探さずに済む^0^
もう一つは、少し深めにして、カードを立てて入れられる大きさにしました。頂いた名刺や、あまり使わない診察券などを入れておこうかなぁ。

冴えない感じだと思っていたけど、こうして箱にしてみると、案外派手。裁断の都合で、こんな柄になってしまった。
生地が薄くて歪んでいるので、貼るのに少し苦労したけど、まー、思い出の品みたくなったかな。

今は、プレミアムといえば永ちゃんで、ちょっと悔しい。
私は、でもやっぱり、表ではプレミアムモルツを注文するのです。
あれから、もう14年も経つのですね。Sさんの力作デカポスターが懐かしいです。

カルトナージュな毎日

コーヒーのペーパーフィルターを入れる物が欲しくて、娘がい以前作っていたトールペイントで絵を描いた三角形の入れ物をおねだりしました。そしたら、「でも、あれ、埃が入るから結局引き出しや棚にしまうことになって、あまり意味ないよ」
それじゃぁ、と自分で作ることにしました。
フィルターをトレースして、サイズと形を測り、カルトナージュの多少の知識を駆使して作ってみました。
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ファイル 37-2.jpg ふたを開けるとフィルターが出てくるという苦心作です。


これを見た次男が、うちにも。120枚入って、もう少しスリムなのを。スリムったって、120枚もいれるんじゃ細くならないわよ。
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考えて図面を引くのは面白かったけど、出来上がりには、多少の不満も。もう一度習いに行きたいな・・・

というわけで春先から、また教室に通い始めたのです。
今度の先生は、ちょっとタイプが違って、細かいことは言わず気分良く作らせてくれる。出来あがってみれば、ちゃんと教えてもらっているんだー、というなかなかの教え上手です。
前の「0.2ミリとも言えない」と図面や裁断に厳しかった先生には、基礎を教えて頂いて、感謝だけれど。

初心者向けなのに、手が込んで見える小さなジュエリーケース。10×6×3cmくらいの大きさです。家にどっさり残つているハギレで出来るのが楽しくて、2.5cmの小さなタッセルを見つけて買い込んだら、生地との取り合わせにはまってしまったT_T

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こんなに作ってどうするの?・・・おもちゃの指輪を買って孫にプレゼントくらいしか・・・^^;

でーー、調子に乗って、こんなものを作ってしまいました。
ファイル 37-5.jpg_1  なんの布だかわかる人、どのくらいいるでしょうか。
ここは6つまでしか画像載せられないんですね。
というわけで、続きは次ページに。

映画を見る

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先週のことだけど、映画を見に行ったら、「この世界の片隅で」の予告編をやっていた。公開は、まだ先なのじゃなかったっけ。

バックに流れる音楽は「悲しくてやりきれない」だった。
「どうしてこんなに悲しいんだろう」じゃないんだ・・・


テアトル新宿は、すごーーく久しぶりだ。「赤目四十八滝心中未遂」以来じゃなかったかしら?もう10年以上も前だよね。車谷長吉さんの原作に一言、「吉田拓郎」の名前が出てくる、それだけの理由で小説を読み、全く関係ないのに、映画も見た、という単純さ^^;その車谷長吉さんが、昨年亡くなった時、読み返そうと思ったら、私はドサドサ本も処分して
いたのでした。

で、見た映画は「リップヴァンウィンクルの花嫁」。
う~ん、話の筋が予想と違っていたかな。少女漫画みたい、と思った。監督は黒木華さん撮りたかっただけなのかもね。
映像も綺麗で、黒木華さんのウエディング姿は美しく、綾野剛はぴったりの役柄で、結構面白くて、3時間はあっという間だったけど。

Coccoが、こんなところにいたんだ、と懐かしいような、新発見のような。いつの間にか消えた、と思っていたら、ちゃんといた・・・
全くどうでもいいけど、私、学生時代4人グループの中で「こっこ」と呼ばれていた^^; それでCoccoが出てきた時、あれ?っと思ったんだけど。
こっこ↓と下がるのでなく、こっこ↑と上がる感じ?初めてピザを食べたのも、初めてカンパリソーダを飲んだのも、彼女達とだった。「大いなる人」発売よりもずっと前からカンパリ飲んでたよ、と変な自慢。その誰とも、今の苗字も住所も知らない。いつも待ち合わせしていた銀座阪急デパートも、もうないんだっけ。


そんなに映画は見ないけど、映画館に閉じ込められる感じ、この家から脱出している感じ、それが味わいたくて、何か見るものないかなぁ、と探すことがある。
綾野剛さんには、重たい役もやってほしい。

4/20 あなたとハッピー

拓郎のラジオ出演、楽しみにしていたのですけど、熊本の地震で、なんだか気持ちが離れてしまって、聴かなくてもいいかな、なんて思ってしまいました。
昨日の夜、でもまぁ録音はしておこうかと、寝る直前になって、ラジオ(デジタルファイルで録音できる)を出してみたら、AMが受信できないT_T うんともすんとも音がしないんです。ミニコンポは接続、外しっぱなしだし・・・明日でいいや、と寝てしまって、朝、つけてみたら、やっぱりダメ。
こうなると、なんとしてでも聴かなきゃ、聴かないわけにはいかない、と思ってしまうものですね。

radikoで聴けるんだけど、録音ソフトが入っていなかった・・・T_T
今朝は出かける用があるので、何時に出演するかわからないから録音しないと・・・慌ててインストールして、試し録音してみたり・・・なんとも慌ただしい朝でした。8時からって、結構忙しいですよね。
帰ってきて無事録音されているので、ホッとしました。

リスナーからのお便りとか、森永卓郎さんの様子とか、みんなが拓郎の出番を、ワクワクとっても楽しみにしているのが、伝わってきて、私もドキドキでした。
拓郎の声は、落ち着いて、素敵でした。
報道ステーションでもそうでしたが、大人のカッコよさが滲み出ている。

垣花さんは、さすが垣花さん。
先日の報道ステーションの話に触れ、「あの時のネットニュースの見出し知ってます?」
「本当は、俺はジュリー側の人間だ、ですよ」・・そこから話を持っていくところがにくいです。

「吉田拓郎という人物をすかすのがうまい」
「またみんなをケムにまこうとしてる」

報道ステーションを見たときに、私(たち?)が感じたことを、上手に表現してくれて、やっぱ言葉を使う本職+拓郎をよく知っている人は違う、と感心しました。

70才、という年にも触れます。
拓郎:「第三者的に見たときに、吉田拓郎70才は想像できない」
「でも、(70才という)現実はある」
60才の時よりも、拓郎は素直に70才を受け入れているように思います。


バスに乗っている間に、ここまで聴けたので、そのまま最後まで聴けたらいいな、と思っていたら、前編後編に分かれてました。おかげで、道迷ってしまって、延々歩く羽目に・・遅刻しましたT_T

後半には、ツアー、新曲の話があります。「待ってました!」かな。

曲作っていると、知らずに自分の曲を盗作していたりするんですって^^
「若い時の自分の歌が、懐かしいし、うれしい。」
「自分の曲を聴き漁っている。」
「よくこんなの入れたな」と思う曲も多々あるらしく、それは、どの歌なんでしょうね^^

「逆に、今、そういう(ダメな)歌を引っ張り上げて、ライブで救ってやりたい」

私は、今回の放送で、この言葉が一番か2番にうれしく、感激しました。このメールがテキストでないなら太字、大文字で書きたいです。
ものすごくツアーが楽しみ。

ただ、やっぱり「足を伸ばす」ことはないみたいよ。車で行って車で帰ってきたい、って。
なぜなら「アイツが好きだから」「好きなんですよね、アイツが」

もう一つの、一番か二番に感激した言葉は・・・そっち↑おのろけじゃなくて、これ

『音楽と一緒にいたい』
『音楽のそばにいられれば幸せ』
『音楽の世界に一緒にいようね』

あの声で、「音楽の世界に一緒にいようね」なんて言われたら・・・もうメロメロです。

最後に、拓郎さんリクエストの吉田拓郎の歌は
「いくつになっても happy baithday 」でした。
私も、遅ればせながら、今やっと、「70才の誕生日おめでとう」


聴いたら元気になる。心が晴れる。
気が乗らないなぁ・・・なんて、聴かないでいなくて良かった。
垣花さん言うように、70才なりの若さがある。老熟とはまた違うんですよね。

#聞きそびれた方、YouTubeにアップされているみたいです。

「教えてハワイ」_1996.8.1 TOKYO FM 出版

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私の遅れてきた青春のようなラジオ番組「クラブ25」「26]で、確かに拓郎は、みんなでハワイに行こう!と言っていた。冗談かと思ったら、ほんとだった・・・らしい。「らしい」というのは、他人事にように聞いていたから。遠くの遠くのことだと聞き流していたから。ほんとにハワイでファンと50才の誕生日を迎えるなんて、ご本人も実現するとは思っていなかったかもしれない。

募集はあったのだと思う。けど、ハナから縁のないことだと思っていた私は、いつどんな風に募集があり、いつどんな風に決まって出発したのか、まったく覚えていない・・・
気が付けば、「教えてハワイ」という本が刊行され、私は、その本を買っていた。
いつか、私も、拓郎があんなに素晴らしいと言っているハワイに行くことがあるかもしれないと、本棚に飾っていた。

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それから何年。ニッポン放送でもハワイ旅行の企画があった。
3回ほど続いたのだろうか。私の周りに、拓郎とハワイに行った人が増えてくる。写真を見せてもらい、レポートを読ませてもらい・・・僻むことなんてなく、ただ、いいなぁ、素敵だろうなぁ、と素直に私も喜んでいた・・・と思う。

居酒屋で煮込みをつつきながら、「今は行かれないけど、夫が定年になったら、絶対一緒にハワイに行くんだぁ」と言ったら、その時は僕たちがプランニングさせてもらいますから、とハワイ行き常連の男性たちが言ってくれて、乾杯した日のこと、今でも目に浮かぶ。
もう「教えてハワイ」の本は古いかもしれないけど、あれが私の夢なんだ・・・

そのハワイから、締め出されたような気持ちになっていったのは、いつから、どうしてだったんだろう。私は、「お裾分けでいい」と喜んでいたはずなのに。
「ハワイなんて、誰にでも行ける。行かないだけだ。」ある女性ファンが言い切った言葉が、今でも響く。
そう、行かないだけなのかもしれないけど。あの時、無理に貯金を下ろしたり、ローンを組んででもハワイに行けば、今頃、ローンは返し終わって、思い出だけが残っていたかもしれない。だけど、そんなこと出来ない事情というものもある。いえ、お金の問題じゃない。飛び越えられないものもあるのですよ・・・

あのハワイでのファンとの50歳バースディは、その後の拓郎のファンとの付き合いも変えたと思う。良い時間が持てたのですよね。
「教えてハワイ」の本には、参加できたファンのメッセージやレポが名前と写真入りで載っている。今じゃ考えられないけど、あの頃は、まだそいうことにうるさくなく、ローカルな手作りの味わい残していたのですね。
そういえば、ウクレレ、回っていたみたい。98年頃MLで読んだ。でも、私、手を上げなかったけど。だって、私には、縁の無い話しと思っていたのだもの。

震災の時、拓郎のハワイ中止のことを口にしたら、息子にうんと叱られたっけ。
夫は定年になったけど、死んじまったのでは、一緒にハワイなど行けるわけもない。
私は、きっとこのままハワイに行かずに終わるんだろうな。
「教えてハワイ」の本、欲しい人に譲ろうと思いながら、なんでしぶとくとっているんだろう。


拓郎が、なぜか20年前のハワイの話をしている。
まさか、また「みんなで行こう」なんて言い出さないよね。
もし、そういうことがあったら・・・でも、やっぱり私は応募しないのだろう。そんな集まりに、私の居場所があるわけないじゃん。

誕生日おめでとう。素敵な70歳でありますように。

広島旅行(4)

朝、ホテルのチェックアウトまでの時間に、広島城と広島護国神社に行った。

護国神社でお参りして、思いを新たにする。
信仰とか信条とかでなく、手を合わせていたら、何も考えない心に、今回の旅行で見た様々なことがふーっと浮かんできた、ということだ。

広島城では、天守閣まで登った。
男の人って、お城好きだよね。家族旅行でどこかに行くと、夫は必ずお城に行く。
展示物などを見ながら、ゆっくり進んで行くので、ただ天守閣に登りたいだけの子供達、歴史モノには興味のない私には退屈で、「早く!」などと急かしたものだ。
その私が、やけにゆっくり見て回る。時間ないのに、説明ビデオなども見てしまう。毛利、浅野・・・横いたら延々解説しそうな夫の代わりかな。
別名「鯉城」とも言うのだそうで、だから広島カープなのだと、初めて知る。「知らなかったの?」これまた夫がいたら、馬鹿にされそうだ・・・


空港までは、案外時間がかかる。
お昼に「尾道ラーメン」を食べて、お土産買って・・・空は上天気。
機長のアナウンスがある。どこどこ?真っ白な雲の向こうに、三角の真っ白な雲みたいな富士山が見えた。
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平和記念公園で見たもの、感じたこと、私は殊更に言うことはないだろう。
どこかに向かって発言したり、行動することもないと思う。
それでは意味がない、と思う人もいるかもしれない。
ただ、私の心に刻まれた、それだけのことだけれど、
私の心にあるものなんて、死んでしまえば消えてしまうだけだけど、
人それぞれの心にあるもの、それに意味がないとは思わない。


良い旅行だった。
親孝行に感謝しなければ。
私は、母に旅行のプレゼントなんてしたことない。

広島旅行(3)_8年目の歌碑

3月中旬、学生さんたちが一番少ない時期だったんだろうか。人影も、一つ二つ・・・並木道の葉はすっかり落ちてまだ新芽も見えない。あの夏のきらめく緑が嘘のようだ。

ちょっとそこまで買い物に来たという風情で、日傘をゆらゆらさせていたYさん・・・話を聞けば、本当に、ご主人には、「ちょっと出てくる」と言って駅まで送ってもらったのだそう・・・まさか新幹線に乗って広島まで来ているとは思いもよらないでしょう、と涼しく笑って、こちらが驚いた。
電車に乗り遅れた、と汗だくだったKさん。そのKさん迎えに行くために、私はこの坂をフーフー行ったり来たりしていたんだっけ。坂、きつかったよね。こんなに駅から近かったっけ。全然きつくないじゃん。

歌碑はどの辺だったかな。途中、案内板を見るけれど「吉田拓郎歌碑」なんて書いていない・・そりゃそうか。
探しまくってウロウロするのも、遠くに見える人影捕まえて聞くのも恥ずかしい。見つからなかったらどうしよう・・・と、あら!坂を上ったら、すぐそこにあった。なんだ、わかりやすい場所に。

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2008年8月2日。炎天下。
わーっ、こんなに立派なんだ!大きい!見たとたん、驚きの歓声があがった。歌碑といったら、普通、石碑に歌詞が書いてあるだけのものが多いじゃない。こんなふうに、本人の写真を沢山貼ったパネルのような歌碑、見たことない。
裏、表、何度も往復して、触ってみたり、写真を撮ったり・・・思いがけず出会った初対面のMさんには、歌碑を前にした全員集合の写真も撮っていただいた。


あの時、私たち、なんでここまで来たのだろう。広島修道大に拓郎の歌碑が出来て、その除幕式に拓郎が出席するらしい。そんな噂をどこで知ったのだろう。「らしい」「来るわけない」「来たらいいね」、その程度のことで、広島まで行こうと決めたのは、どうしてだったんだろう。
特に呼びかけたわけでもなく、行くの?あ、じゃ、一緒に、ということになって、行くと決めたら、「来るかもしれない」が「絶対来る!」に変わって、気が付けば、一緒に自転車置き場で並んでいたんだよね。

前年の2007年、ツアーが中断したあと、拓郎は姿を見せていなかった。「歩道橋の上で」というツアーの模様を納めたDVDと、途中までのCDと、雑文集を、私達に届けたまま。
沈黙を守る拓郎が、こういう席に顔を出す?ひと目でも姿を見ることが出来たら・・・それだけの思いで、駆り立てられるようにやってきたのだった。

何人くらいの人が並んでいたんだろう。ぎっしりと幾つもの列が出来ていたような記憶があるのだけど。レポートを書いたのに、消してしまった。ただ覚えてるのは、柵にしがみついて除幕式の始まりを待っていたら・・・もう始まっていたのかもしれない・・・あたりがざわざわし始め、どこからともなく、あの車だ!拓郎だ!という声が聞こえてきて・・・・すーっと
回ってきた黒い車、最初に島ちゃんが降りてきたのだっけ。拓郎は、どんなふうに歩いてきたんだろう。気が付けば、そこに拓郎がいた。

サングラスをかけ、胸元に赤い花をつけた半袖の黒いシャツ。伸びる腕が真っ白で、細くて細くて。現れた拓郎の鮮烈な印象が忘れられない。拓郎って、こんなに細かった?色、白かった?
受け取ったオレンジ色の花束を高々と掲げ、去っていった。ほんの数分。一瞬の拓郎。
どんな挨拶だったのか、何を話したのか、もう覚えちゃいないのに、目を瞑ると、あの折れそうに細く白かった腕が浮かぶ。

誘われて、出待ちをしたことはある。車の中の拓郎を遠くから、たぶんあれがそうなのだろう、という程度には、見た。どこぞの店で遭遇した、握手をした、今はあの店が行きつけらしい・・・教えてもらって一緒に行ったところで、「私が」遭遇するわけなどなく、あの席に座っていたんだよ、という話を聞くだけだ。
ファンミーティングにもハワイにも縁がない。一般ファンでしかない私が、初めて見た、ステージ以外の拓郎。一瞬なのに、長いステージを見終わったあとのような幸福感でいっぱいだった。

歌碑は変わらずにそこにある。あの時、春は桜、秋は紅葉に彩られた歌碑を想像したけれど、周りには何もなかったんだ。ただ、空の下、芝生の上に並んでいるだけ。
触ってみると、心なしか埃っぽいような。磨く人なんているわけないのだし。今、どれだけの人がこの歌碑の前に足を止めるのだろう。私のような物好きが、年に何人訪れるのか。

以前、YouTubeで、拓郎に憧れて広島修道大に入学した若者、というのを見た。ワオ!と思った。
この歌碑の行方なんて、考えないことにしよう。
バイバイ、またね。いつまた来るかわからないけれど、来た時は、また同じにあってね。


寂しいほど静かな坂を下りてゆく。左手に一軒レストランが見える。あの店でビール飲んだよね。ここでお別れという地元のNさんと乾杯するために。ビール一杯ずつとウインナーひと皿、みんなでつついた。Hさんが自慢げに取り出した発売されたばかりのiPhoneが珍しく、画面をひゅっと大きくしてみては、感嘆の声をあげる。帰りの電車が迫っているというのに、わざわざ立ち寄って挨拶をして下さったSさん。Sさんも初対面だった。
この歌碑除幕式にあったたくさんの出会いと再会。あの頃、私達は、06つま恋の余韻と、「Life is a Voyage」の行方を探して、みんなでいることを求めていたのかもしれない。一人では心細く、絶対にまた拓郎に会えると信じる心を分かち合いたくて。03年も、このあとも、何度も・・・

市内に出ると、Nさんお勧めのお好み焼き屋で、飲んで食べて、帰りに「力」の前を通ったけれど、お腹いっぱいで食べられないのを残念がって、河合楽器に喜んで、天満屋では応援団よろしく、のっそのっそとフロア押し歩いて、傍から見たら、何やってんだろの4人組は、その後、カラオケ屋に行くのです。
Kさんの恒例「替え歌」にお腹抱えて笑い転げた・・・

あぁ、楽しい・・・ウキウキと歩いていたら、ん?街から外れてない?遠くに山が見えるような・・・ぎゃ!私、高速バスに乗って高知に行かなきゃならないのに!時間が!Hさんが即調べてくれて、路面電車に私を押し込む。このまま乗って、紙屋町西というところで降りて下さいね。わけわからず、ハイ、ハイ、と頷き、みんなに見送られ、手を振る。なんだか故郷を離れる人みたい・・・「またね」・・・閉まるドア・・・その時の光景が、今でも焼きついて、テレビなどで、たまたま広島の路面電車が映ると、懐かしさにいっぱいになる。
ここがどこで、そこがいくつ目なのかもわからず、ちゃんと降りられるか、心配でたまらなかったけど、無事着いて、デパートの中にあるバスセンター?お土産横目に、とにかく突っ走る。携帯が鳴る。誰よ、こんな時に。
20分くらい前だったのかしら?フー、間に合った。
瀬戸内海を渡る頃は、すっかり日も落ちて、海に浮かぶ船、向こう岸の家々の灯りが、キラキラと綺麗だった。

歌碑をもう一度見に行った・・・それだけで、こんなにたくさんのことを思い出す。私には、あんなに素敵な拓郎があったんだ。楽しい仲間があの時もいたんだ。
いいじゃないの、特別なことが何もなくても。

思えば、Kさんにとって、それが最後の拓郎になったのですね。09年、2列目が当たった!とKさんが大喜びで待ち望んでいた「つま恋」は中止となり、その後病に倒れた彼は、すぐに余命宣告されてしまったから。
最後に書いてくれたメール。「自分は、緑がいっぱいのコンサートには行かれないかもしれないけど・・・」

あの日、暑い暑い、とみんなで並んだ自転車置き場には、数台のバイクが止まったきり。ここでコンサートがあったのかもしれないんだよ、とKさんに呼びかける。
あの替え歌、何度ANNDXに投稿しようと思ったことか。もう一度みんなで笑い転げたかった。
もしも、あなたがここを読んでいるなら、あなた達と会いたいと彼が望んでいたことを、お伝えしたいです。

様々な拓郎、それぞれの心に残る拓郎。
Kさんの語る拓郎は、いつも楽しくて、元気いっぱいだった。あの除幕式の拓郎は、どんなふうに彼の中に刻まれたのだろうか。
でも、よかったよね。会えたのだもの。一瞬の拓郎に。

帰りのアストラムラインは、その車両に私しか乗っていなかった・・・


さて、もう少し時間がある。比治山に登ろうか・・・あの「丘」は、比治山だとも黄金山だとも、二つの説がある。中村雅俊さんとの広島の旅で、丘に登り、「ここじゃない!」と叫んだのは、どちらだったのだろう・・・どっちだって構いやしない。登れば、そこが私の「丘」なのだ!なんちって。

と、急に空が黒くなり、雨がポツリポツリ降り出す。人気のない山道は、怖いようだ・・・。昼間見た祈念館の再現ビデオ、焼けただれ、血だらけの姿で、比治山に逃げるイラストが、突然浮かんでくる。たくさんの人が、比治山に横たわり、治療を待っていた・・・ここはそういう山でもあったのだ・・・やめよう。路面電車で戻る。


にわか雨の上がった明るい街。小腹が空いてきたような。お昼、ケーキだけだったものね。息子との約束7時までは、だいぶ時間がある。「力」でうどん、食べちゃおうか。
番組の真似をして「肉うどん」と「おはぎ」の取り合わせにしたいけど、食べられるかな、と思ったら、ミニ、というのがあるのですね。これなら、私でも。


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うどんは柔らかく、お汁は薄味。煮付けた肉は、西のこちらではやっぱり「牛」で、甘くて。これが拓郎のソウルフードの一つ。美味しいね。
おはぎも小ぶりで、ほんのりと食べやすい。隣の女性は、肉うどんにおはぎを二つ。やはりこの組み合わせは王道なんだ。
拓郎が食べたものを食べる・・・それだけで幸せ。なんて単純なんでしょう。


息子が予約してくれた店で食べる牡蠣。食べたことがないほど大きかった。もうお酒も飲めると注文したレモンハイ。広島レモンたっぷりで、酸っぱかった。
遠回りをして帰る途中、夜空に浮かぶ原爆ドームを見る。
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