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ワン・モア__桜木柴乃

友人との待ち合わせに少し長い時間電車に乗る。そういう時は拓郎聴こうと・・・あ、iPodの充電忘れた!
乗り換え口のコンコースにある本屋に寄った。手軽に読める薄い小説がいい。ぱっと手に取り、ぱらっとめくったら「拓郎」の名前が飛び込んできた。登場人物に「拓郎」がいる。それだけのことで、この本に決めた。桜木柴乃さん、わりと好きだし。

いい小説だった。
短編が積み重なる長編小説。最初の「十六夜」を読んだときは、遅れて漂う「ためらい月」のような物語かと思ったけど。まぁ、「上弦の月」のような。いえ、月でなく「おひさま」のような。人が死ぬのに、先を信じられうような。

「拓郎」がでてくるたびに、なぜか照れてしまう。後半「拓郎ちゃん」などと呼ばれるのだもの。「拓郎ちゃん」の歌が浮かんだり、きゃっきゃと恥ずかしがったり。
平凡でいい人で、余計なことは何も言わないけれど、死を受け入れなければならない人の傍らに自然にいる。いいな、こういう人が最後にいたら。

だいたい、作家が「拓郎」という名の人物を設定したからといって、吉田拓郎を意識しているわけはない。繋げてしまうのは、私の勝手だ。勝手だけれど、「志田拓郎」って、「よ」をつけたら拓郎じゃん、と思ってしまうT_Tこんな小説の読み方をする人っていないよね。
「分類設定」を「本」にしたけれど、「拓郎」にした方がよかったかしら。

・・・などということ抜きにして、私はこの小説が好きだ。短編一つ一つにも味わいがあって。織り成される長編は力強い。それぞれがどんな思いを抱えようと、子犬を抱いて記念写真に納まる最後も・・・「はい。チーズ」と。
ありきたりといえばありきたりだけれど、負担にならない小説の良さ。読後感が心地よい。
ホントは、最初の「十六夜」に一番惹かれているのかもしれなけど、いいんだ、漂う思いは。「朝陽がサン」で。


「朝陽がサン」オフ会のみんなは元気だろうか。

頭の上、時が流れる

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気分転換に青木和子さんのバラを刺繍していたら、遊びに来ていた孫が寄ってきて、「いいなぁ、私、綺麗なものが好きなの」・・「そう、じゃ、もうすぐ誕生日だから、プレゼント、これにしようか?」
クリスマス、お正月、誕生日・・・プレゼントづくしから、そろそろ抜けたいな、と思っていた。大体、今の子はおもちゃのもらいすぎだ!

額に入れて飾るより、あの子は、たぶん、布として触りたいのだろう。タオルやハンカチでお人形と遊ぶのが大好きだから。クチャクチャになって、糸も切れてしまうかもしれない。キルト綿を貼って、周りにボーダー付けたら・・・。ギリギリの大きさの布に刺していたから、幅は広く取れない。中途半端だけど、ま、いいか。
これは、タペストリーなんかでなく、ぬいぐるみの、ちょっと豪華なお布団になってしまうんだろうな・・・


そんなこんなをしていたら、携帯が鳴る。知らない番号は出ない・・・けど、鳴り方が何か違うような。出てみたら、夫の高校時代の友人だった。
定年後の再就職で東京に出ていたけれど、その勤めも終って、いよいよ3月、故郷に帰ることになった。その前にお線香をあげに来たいという。
そして、昨日、電車を乗り継いで来てくださった。

夫の最大の悪友。私もあだ名で呼ばせてもらって、帰省のたびに、何度かお会いしている。20年くらい前だったか、夫、義母、そのチョッケイさん、私と4人で食事をしたとき、お酒の勢いも手伝ったのか、私に、結婚当初の雰囲気と違う、という。「老けてすみません」笑ったっけ・・・・内心笑い事じゃなかったけどねT_T 気さくに私ともそんな話のできる仲だった。

酒も煙草も、高校時代、二人で覚えた話。大学は別だったけど、帰省していたとき、急に思い立って、ボロ車を調達し、10日間、二人で全国あちこち旅をした話。
それにしても早すぎる。何度も繰り返して言う。これからゆっくりできたのに。

夫はそのままの年なのに、同級生は歳を重ねる。当たり前のことにしみじみする。

そうですか。再定年なんですね。生きていたら、あの人も第三の人生だったかなぁ・・・。奥様とどうぞ仲良く。

駅までお送りして、見送ったら、もうチョッケイさんとも会わなくなるのかな・・・少し寂しくなった。
夫が亡くなって、消えたもの。その一つになってしまうのかもしれないな、って。
どうして私の携帯の番号、知っていたんですか。聞きそびれた。

私の記憶が消えないうちに__吉田日出子

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学生時代、男子達の間で、吉田日出子の話題で持ち切りだったことがある。歌がすごい・・・私は、歌手だと思っていた。いつしか、そんなことも忘れ、時折、目にする名前に、「俳優さんだったんだ・・・。」
10数年前、第二回フォークジャンボリーのフィルムが見つかり、公開されるというので見に行ったことがある。その時、あれ?司会のようなことをしているのは吉田日出子さん?・・・そうか、それであの時、話題になっていたんだ・・・かっこいい女性旗手のように言われていた。今、そのことに触れている記述は、あまり見当たらないけれど。

この本「私の記憶が消えないうちに」は、吉田日出子の記憶が消えないうちに、周り人たちが、吉田日出子という人、その自由劇場について記し、残しておこうという本なのかもしれない。高次脳機能障害という病が深刻化する前から長年にわたり行われてきたインタビュー。本人の肉声という感じがしないのは、彼女はもうこういう言葉では語れない、語っていないということを感じてしまっているからだろうか。

それにしても、自分の記憶が欠け落ちてゆく・・・それを知ってしまう恐怖は、どれほどのものだろう。それを受け止め、受け入れ、越えてゆく勇気・・・私だったら、とても持てそうにない。

2007年、「いつもの道がわからない」意識がストンと穴にでも落ちたかのような恐ろしさ、台詞がぼろボロこぼれ落ちてゆく悲しさ。病院で検査を受けた吉田日出子さんは、「高次脳機能障害」との診断を受け、舞台を降板します。

そして、2010年、16年ぶりの再演「上海バンスキング」での復帰を果たすのですが。各公演当日開演一時間前にその日の配役が発表されるという異例の公演。主役がいつでも降板できるように、降板を前提とした、と言ってもいいかもしれない。共演者たちのフォロー、特製プロンプター
・・・。
31年前の初演当時、若かった共演者達は、皆もういい年だ。脚本を書いた串田和美さんが言う。「僕は最近耳が聞こえにくくなってね・・・デコは記憶力が弱っているんだろう。みんな、それぞれ何かあるんだから、お互い助け合って、面白い芝居にしようよ」。
実は高次脳機能障害であることを打ち明けた彼女に、舞台を務められるような演出を最大限考える。千秋楽まで全公演を演っ切った彼女は、もちろん素晴らしいけれど、支え合うみんなが素敵だ。誰が欠けても実現できなかった奇跡の復帰だったのかもしれない。


復帰は、元通りではないのですよね。あれからまた、突然歌を忘れるという悲しさに直面したり、でも、そこを乗り越え、また急に歌が蘇ったり。様々な波にもまれ、波乗りを楽しむこともあれば、波にさらわれそうになったり、それでも彼女は泳いでいる。

「記憶障害も注意障害も、遂行機能障害も社会的行動障害も恥ずかしいことではない」、「障害や認知症を恐れているばかりではつまらないでしょう。障害や認知症のある、なしで境界線を引かずに、ありのままの自分、相手を受け入れてやっていきませんか」

これから高齢化が進み、5人に一人は認知症になるとも言われている。どんなに健康な身体に生まれ、知力体力充実した陽のあたる道を歩いてこようと、次に何が待っているのか、誰にもわからない。若くても、事故で損傷を受けることもあるかもしれない。その時、自分はどう生きるのか。生きていけるのか。
それを考えたら、いま障害を持つ人をよそ者のように排除することなんて出来ないはず。いつか自分も通る道なのかもしれないのだから。

吉田日出子の肉声のように聞こえない、と書いてしまったけど、彼女が今一番思うことを、精一杯伝えようと周りにいる人たちが書かずにいられなかった「吉田日出子伝」。
彼女の言葉そのものなのかもしれない。


それにしても、本の後半に出てくる亡くなった人達の名前、あの人もこの人も。なんと多くの俳優さん、演劇関係者の方たちが亡くなっていることか。客席から身を乗り出すように声援を送り、「デコ、よかったね」と涙を流して復帰を喜んでくれた中村勘三郎さん、自分がまさか先に逝くなんて、思ってもみなかったことでしょう。
人は悲しいね。悲しいけど、生きている間は生きなきゃね。その時、どんな形でいようと・・・ちょっと自信ないけど^^;

「明日からはまた観客のひとりとして、ステージで歌う日出子さんを観る日が来るのを待ちたい」___ライター小峰敦子さんの後書きより。

うそ

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木鷽(きうそ)
      

知らず知らずのうちについたすべての嘘を天神さまの誠心に替え、また、これまでの悪いことを嘘(うそ)にして今年の吉に取り替える


以前読んだ小説に、主人公が恋人と湯島天神に行き、「鷽」を買い求めるくだりがあった。
「災いを嘘に替える」ことよりも、「ついた嘘を替えてもらう」というところに心惹かれ、「鷽」、どんなものなんだろう、ずっと気にかかっていた。

4年前、夫と初詣に天満宮に行ったとき、「あ!うそがある!」 小さな木彫りの人形。素朴で可愛い。破魔矢よりもお守りよりも、私は、「こっちがいい」。夫は「何?それ?」と笑っていたけれど。だって、私、よく嘘をつくから・・

今年、ようやく神社に行った。
その時の破魔矢がそのままだった。手術のあと、初詣に行かなかった。一昨年は暮れから入院したのでお正月を家で過ごすことが出来ず、一時退院の時、行く?と聞いたら、「治ってから行くよ」・・・

そのまま置いておこうかとも思ったけど。夫と最後の初詣だったから。無くなるのは寂しいような気もしたから。でも、やっぱりいけない。お納めして残された者の健康、お祈りしてこよう。

テレビの脇に置いてある「木鷽」は、しょっちゅう見当たらなくて、あら?と思うと、猫が転がして遊んでいる。また、こんな所に・・・拾って戻しても、戻しても、前足で、ちょんちょんとつついて落としては、転がす。
「この鷽は返さなくていいかなぁ・・」 あれだけジーナが転がしてくれていたら、嘘も転がるわ。
あんまり転がすので、頭がはげかかっている^^;

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「鷽」というのは、こういう鳥。

「うそ」という漢字は、「學」の中が鳥になっている。私は、初めて見たとき、「鶯」の真似だから「うそ」なのかと思ってしまった^^; 学問の神様の「學」に鳥なんだよね。
菅原道真が蜂に襲われた時に、ウソの大群が飛んできて助かったという言い伝えがあって、それで「鷽」。
梅や桜の実を食べてしまうので、困った鳥でもあるらしい。

かた焼きそば

娘一家も来て、大勢でお昼にする。こういう時は、作っておいて、ぱっと出せるものに限る。ラーメンなどにしようものなら、小さい子には熱すぎず、大人は伸びないように・・・そのうち、一歳半の子が、自分も食べたいと泣き出したりして、てんやわんやになる。パスタだったら、ミートソースのように、茹でてかけるだけ、にしないと。「子供の大人も喜んでバクバク食べる」は最低条件。

この「かた焼きそば」は、麺さえ揚げておけば、大量に「あん」を作り、揃ったところでかければいいので、一斉に食べ始められて、楽だし・・・何が「楽」かというのは人によって違うと思うけど、私の場合、作る手間は苦ではない。マイペースで作って置けるなら、楽なのです。煮物とか煮込み料理もそうだよね。

麺は、自分で揚げるに限る。手間を省こうと、市販の揚げた麺も数回試したことがあるけど、スカスカだったり、パリパリしていなくて物足りなかった。
マルちゃんの3食入りラーメンを使うことが多い。麺だけ買うより安いし、こだわりの麺を使う理由もない。醤油味は少し細め、味噌味だとちょっと太め。

油は新しいものを使います。温度?計ったことない。ちぎった麺を入れてみて、すぐに浮いてくるくらい。パラパラとほぐしながら入れて、時々箸で、中にも火が通るようつついてあげる。麺を入れてそれっきりじゃ、くっついた揚げそばになってしまう。
火加減は中火かなぁ・・何度も揚げているうち、油も疲れてくるし、量も減ってくるので、その辺は適当に。
何分なんて言えないよね。こんがり、いい色になって、麺の周りで油がプチプチ言わなくなったら出来上がり。

ファイル 15-1.jpgこんなふうに山と積む。
これで6食分。もう少し揚げる。

揚げたてをつまみ食いするのが美味しいんだと、揚げていると、皆寄ってきてはつまんでいく。「もうっ!なくなっちゃうでしょ!」言いながら、その分を見越して多目に揚げる。残った麺を、ぽりぽり「つまみ」に飲むのが夫も大好きだった。

「あん」の材料は冷蔵庫の掃除に近い^^; 肉、キャベツ、にんじん、ピーマン、残っているキノコ、ネギ、残っているナンタラカンタラ、冷凍庫の「イカのゲソ」「小エビ」、かまぼこがなければちくわ、よそ行き用には「うずら」の卵が欠かせないけど、今回のように、買い物に行けなかったときは、ちょっと彩りも悪くなる。

中華鍋に溢れるほど作ったけど、たっぷりにはならなかった。男性軍は、この量をおかわりするのだもの。
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辛子をつけたり、お酢をかけたり、案外いけるのが「ウスターソース」。


娘にいつも言われる。「作り方教わろうと思っても、いつも、適当しか言わないんだもの」・・だって、適当にしか作ったことない。レシピなんて書けない。

五輪さん

ある歌詞の検索をしていたら、面白いブログに行きあたった。
若そうな女で、歌のコーナーには童謡が多いのだけど、時折、私にも懐かしいような歌が。多分、リアルタイムには聴いていない。その距離感が心地よい。
その中に、五輪真弓の「恋人よ」があった。
「この歌は、木田高介の死に悲嘆する、葬儀での彼の妻の姿を書いている。」

そうだったのか。木田さんといえば、拓郎のアルバム「人間なんて」で、加藤和彦さんと共にディレクター、アレンジャーとして載っている。31歳の若さで、交通事故で・・
五輪真弓にとっても、最初のプロデューサーでもあったらしい。
その葬儀で目の当たりにした妻の悲痛な姿が、この歌を書かせた。


♪恋人よ そばにいて こごえる私のそばにいてよ

亡くなった夫に「恋人よ」と呼びかける過酷さ。

♪そしてひとこと この別れ話が
 冗談だよと笑い飛ばして

なんという悲痛な叫びなんだろう。


五輪真弓最大、もしかしたら唯一のヒット曲「恋人よ」。
そんなに好きではなかった。何度も耳にしていたけれど、少々ドスの効いた声で、歌い上げるのを聴いていると、「この歌しかないのか」という^^;
だから、有名なのかもしれないこのエピソードを知らなかったんだね。

私は、もしかしたら、五輪真弓のアルバムを借りて、この歌をじっくり聴くことになるかも知れない。
そして、「この別れ話が 冗談だよと」・・・泣いてしまうかな。


72、3年頃、私は買ったばかりの、五輪真弓の「少女よ」というアルバムを、喫茶店に置き忘れたことがあった。
1,2度聴いて、貸して、返してもらった時だったんだろうか。
あ!と気がついたけど、取りに戻らなかった。
電車にもう乗っていたから。面倒くさい、いいや、と。
私は、ただ、今度こういう歌手が、という話題に乗りたかっただけなのかもしれないし、少々お小遣いに不自由していなかった当時、買って、みんなに回す、その役目を買って出たかっただけなのかもしれないし・・・
だって、どんな歌だったのか、すでに忘れている・・・

それにしても、加藤さんと、木田さん、「人間なんて」のディレクター、二人共亡くなってしまっているのだと、改めて。

右肋骨

気がついたら床に投げ出され、痛い痛いと唸っていたのです。
起き上がれない・・・ようやく身体を起こすと、ジーナと目が合った。側にいてくれたんだ。物音にびっくりしてたかな、いい子、いい子・・・

歩けるかな・・そろそろと階段を下りて、片付けものでも、と籠に手を伸ばしたら、ギクッ、持てない。これは医者に行ったほうがいいのじゃないかと、いつもなら、このくらい平気よ、と適当に我慢してしまう私も、さすがに心配になる。
息子からは、病院に行ってレントゲン撮って下さい、とのメール。
帰ってきて、病院行っていないとわかると怒るだろうな・・・行くか・・

初めて行った整形外科の医師は、若くて怖い。
「いつから?」「今日の午後一時くらい」「さっき?」
様子も見ないで即病院に来すぎ!とでも言いたげな表情で、触診もせず「レントゲン撮りましょう。」
「骨、二本ヒビ入ってましたよ」「バンドでもするか」
シャツをたくし上げる私に、「もっと胸上げて!」
胸?あげるって?意味が飲み込めない私。ここは、介助する看護師もいないのね。「痛いのは、もっと上でしょ!」
シャツを上までたくし上げるのも痛いんだってば。胸を上げる意味がわからないので、胸張ってやった^0^
医師も若い子でなきゃ、触りもしないんだから。
バンドで締めて、少し楽になったけど。

で、調剤薬局に行ったら、座る椅子とカウンター、少し距離があって、名前呼ばれても、すぐに立てない。ようやく気がついた薬剤師、あ!お持ちしましょうか?・・・もう、目の前まで来てるんですが。整形受診で、湿布と痛み止め、少し察しなさいよ。

痛い時に、一人で来るのは間違いだったかな。
でも、一人だよね、普通。昼間は。
長男という同居人がいても、私は一人。夫に先立たれた独り者、それも年寄りなんだ・・・そんなこと思った。
テレビ買う時の、Y電気、若い店員の小馬鹿にするような態度にも。
これで十分じゃないんですかあぁ・・・山済みにされた広告の品、35インチの液晶。3万ちょい。説明等なし。私だって、多少機能比べたいわよ、違い、見たいわよ。そんな店で買うもんか・・・


心配になってネットで調べたら、肋骨のヒビ、骨折、よくある話、どうってないらしい。
どうってないんだけどね・・・朝、起き上がるのに一苦労なんだ。身体、起こせないのです。
刺繍ができない!残りのカレンダー作れない!クリスマスに間に合わない!子供たちにもプレゼントが・・・


高い所に手を伸ばそうと、椅子に乗った。落ちて、思いきり床に身体を打ち付けた。折れたかと思った・・・
「キャスター付きに乗ったら、滑るの当たり前だろ」
息子は怒ってる。

びえんこ

久しぶりのお天気、どこかに紅葉見に行きたいな・・・
けれど、たまった洗濯物を干したり、掃除をしたり、なんだかんだしていると、あっという間にお昼・・・朝起きるのは早いのだけどね。ボーっとしてる時間が長いのかしら^^; これじゃ、もう遠出は出来ない。

簡単にお昼を済ませ、ジーナにおやつをやって、公園にでも・・・。自転車を走らせていたら、ふと、自治会の掲示板にあった博物館のポスターを思い出す。
鼻煙壺(びえんこ)という小さなガラスの嗅ぎ煙草入れが並んでいた。嗅ぎ煙草?

そのポスターを見ながら、私、2002年のことを思い出していたんだ。
NHKスタジオに行くのに、坂の途中にある渋谷の「たばこと塩の博物館」で待ち合わせをしたこと。
我ながらいい場所を見つけたものだと悦にいっていたら、待ちわせの時間にはもう閉館で、真っ暗。わー、どうしよう・・・と、待ちわせをした人は、ひょい!と暗い植え込みの中から現れてくれて、ホッとした。そこから歩き始めたその日のLIVEへの道。

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何年か前、その「たばこと塩の博物館」が移転になると知って、渋谷に行くついでに、寄ってみたことがある。
派手なピンク色のカフェが隣に出来ていて、えー、雰囲気違う・・・中に入ってみたら、もう移転の準備なのか、お土産物のバーゲンなどしていて、私は小さなメモ差しを買った・・・それが、あの日の想い出になるというわけでもないのだけど。

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遠くに行かなくても、案外こんないつも通る川べりの木が素敵。


博物館に行ってみよう・・・市役所に自転車止めて、スマホで検索する。
あまりこういうふうに使うことないんだけど、便利なものですね。2分後に目の前のバス停からバスが出る。そしたら博物館前で降りて、歩いて7分。見事に案内してくれた。
バスに乗るつもりではなかったけど、それも遠足っぽくていいかもね。
初めて乗る路線のバスは、いつもドキドキする。降りそびれやしないか、目も耳もとんがる。

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こんな雑木林の横に看板があったのでした。
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小さなものは5センチほどの、ガラス瓶。
ガラスを切り出し、形にし、中にまっすぐ穴を開けたら、少しずつ掘り広げ、瓶にするのですって。
そして、内画(うちえ)は、細い細い筆で中から彩色する。
被せ(きせ)ガラス、彫琢(ちょうたく)・・・
後ろにも細かな細工が施してあるのに、見られるような陳列になっているのは、少ししかないのが残念。

家に帰ってチラシを見たら、撮影OKだった。なんだ、気に入った鼻煙壺、撮ればよかった・・・
「びえんこ」って、外国語みたいだけれど、れっきとした日本語だそう。だれがそんな名前をつけたのか。
嗅ぎ煙草って、なんだか麻薬っぽい雰囲気だし、煙草はもう御免だけれど、こんな小さな綺麗な瓶が部屋にあったら、想像が広がるよね。
100円ショップで買った瓶に、「時代屋の女房」に出てくる「涙壺」よろしく、「涙瓶」などと名付けて面白がっていたこともあったっけ・・・

30日には講演会もある。講師は、「たばこと塩の博物館主任学芸員」!私がポスター見たとたん、渋谷の博物館思い出したのは、合っていたんだ・・・もう一度行く?いえ、行かない。今日見たものは今日のまま。


飛行機も宿泊も、スケジュール、全部立てたのに、行かれなかった秋の一人プチ旅行。
理由が猫の世話というのだから、あーあ。
けど、一日や2日、放っておけばいいと、割り切れなかった。出て行かれないのが今の私。
こんな2時間のプチプチでは、代わりにならないけれど、いいや、もうすぐ拓郎のCD+DVDが届く。それを見ていれば、すぐに年末。お正月。
今年の秋は帰らないけれど、来年の春にはきっと、どこか行く。

無料貸本屋とは言わない

ここに越して来てから、よく図書館を利用する。
昔は、本は買って読む物だと思っていたけど。
それほど取っておきたいような本を読むわけじゃなし、溜まった本の処分にも苦労するのだし。
売るのにも抵抗あれば、ゴミに出すのにも心が痛む。何度、あーあ、と思いながら、紐で縛って集積所に運んだことか。
すっきり暮らそうと思ったら、本は要らない・・・。ネットで予約して、メールで「資料確保のお知らせ」が届いたら取りに行く。
利用勝手もいいのです。

売れっ子作家の人気本は、予約者数300とか、400とか。図書館側もそういう本は20冊とか30冊とか。
取り敢えず予約しておけば、忘れた頃には読めるのです。何か月待ってもいいような本は、だいたい、読まなきゃならないような本でもないから。

で、今回4冊いっぺんに「確保のお知らせ」が来て、借りたばかりの本もあるので、2週間で5冊。「寝る前の睡眠薬代わりの読書」では、読み切れないので、昼も読む。
そうすると、単純な私は、本の世界から抜け出せなくて、ぼーっとしてしまうのですよ。
ふと、顔をあげると、今何時だっけ?・・・慌てて冷蔵庫開けて、ばたばた・・・頭の中は読んだ本でいっぱい、というように。

読んでいたのは、そんなに大変な本ではない。
発売されてすぐに予約したので、そう待たずに読めた。

角田光代「笹の舟で海を渡る」、川上弘美「水声」、篠田節子「長女たち」・・・うーっ、偏っている。

角田光代さんは、出来不出来と言ったら申し訳ない。好き嫌いかな・・・結構差があって、今回の「笹の舟・・・」は、なんだかな、の部類です。
こういうことを書こうとテーマを持って、ほんとのところあまり理解できていない世代を主人公に持ってくると、ぎくしゃくしてしまう。「ツリーハウス」もそうだった。
出す本、出す本、毎回何らかの賞をもらうけど、どうなんでしょ。私は、やっぱり「空中庭園」が好き。


川上弘美さん「水声」・・・水の声って、なんんなのだろう。水の音・・・音ではない、「声」なのだから。
流れるものも発する声、溜まりゆくものの声なき声。
きっと、姉と弟の、という形に囚われてはいけないのだと思う、そういう関係に読むほうが惑わされては。
1969年、96年、間の86年。時は行きつ戻りつ、亡くなった「ママ」は、消えつ、現れつ・・・

ゆっくり読み返す、それが出来ないのが図書館で借りた限界かな。惹かれた言葉を、ここに写すことも出来ない。


篠田節子「長女たち」 一日で読み終わってしまった。
家と親を抱えて生きて行かなきゃならない3人の長女を描いた物語です。


偶然にも似たような(違うけどT_T)3冊を読んで、共通して思ったのは、「誰と暮らす」ということ。
誰かと暮らす、暮らしてきた。
これからは?
この先、長男と二人で暮らして行くのは、お互いあまりいいことじゃないなぁ、と思うのだけど。
「長女たち」のように長男がならないようにしなくては。と言って、「笹の舟・・・」の左織のような選択は納得行かない・・。

出来ることなら、「時々」あなたと暮らしたい、なんて思うこともあったのは、遠い昔のこと。
好きな人と一緒にいる・・・一緒にいれば、好きでなくなる、ということも知ってしまった今、誰とも暮らせない。これまで一緒に暮らしたことのない人とは、例え姉妹親子でも、きっと疲れる。
感がえてみれば、一人暮らしをしたことのない私。取りあえず、今は長男か・・・T_T

「水声」は、甘美だけれど、倫理にはずれていて、だからこそ、こういう暮らしもあるのかもしれないと・・・きっと自然でいたいのです。


「金田一家、日本語百年のひみつ」は、面白かったです。買おうかと思ってしまった。
でも、よくよく読めば、面白いけど、ちょっと底が浅い。そこが三代目の限界かな。

子供の時、なんだかわからないけど、目に触れた辞書にある金田一京助の名に憧れに似たものを持ったのよね。大学に行って、国語の勉強したい、って小学生の時思ったのです。親は、「可愛くない!」と。
初代は、いつだって偉大なのです。


一番面白かったのは、桜庭一樹「ほんとうの花を見せにきた」

これって、若い子が読むような本かもしれないけど。少女漫画みたいなのかもしれないけど。
バンブーという吸血鬼に助けられ、育てられる「梗ちゃん」。大人になるというのは、切ないことのです。ムスタファへの想い、大人になれば知らずに遠ざかる想いに、胸きゅんとして、年老いれば、やっぱり帰る昔。
抗う(あらがう)何度も出てくるこの言葉。生きることは「抗う」。

・・・拓郎の「RONIN」の歌詞♪我が友の苦しみに 我が友のあがらいに
この「あがらい」は、「あらがい」の間違いじゃないか、と突っ込んだあなたを思い出す・・・

3つの連作からなっているけど、どれも好き。どれも繋がっている、廻っている。

直木賞受賞の「私の男」を買いに行って、そっちよりもこっちだ、と買った「赤朽葉家の伝説」、やっぱり捨てられずに本箱にある。

それで、何を書きたかったというと、図書館は、有難いのです。
けど、ふと思う。30冊も購入した本、流行の本はすたれるのも早い。あとは、どうするのだろうか、と。CDだってDVDだって、借りるののお金がいる。発売してすぐは、取り決めでレンタル出来ない。
本は・・・文化だから?
確かにそうだけど、買えない本を無料で借りられるのは有難いけど、これって、もしかして公的無料貸本屋?とも思ってしまうのです。
利用しておいて、何を言うか、だけど。
確かに、300ものリクエストがある本、2冊くらいでは、借りるのに何年もかかってしまう。市民のリクエストにお応えするために、そうなのだろう。
借りられるから買わない。買わないで借りるから、どんどん希望者が増える。本は売れない。それなのに、街の本屋で扱っていないようなある本を探したとき、図書館になくて、取り寄せて買ったことがある。案外調べ物が出来なかったりする。
図書館て、なんだろうか、と。
これから、ますます年金暮らしの年寄りが増えて、利用者も増える一方になるのでしょう。老人福祉のためにも役に立つ。
けど、ちょっと立ち止まって考えて見る。無料に頼りすぎることに。
子供の利用とは、違う。
こんなことを書きながら、私は、又、買わずに借りるのだろうけど。


この件に関する市の図書館の見解
http://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/bunka_geijutsu/cul/cul08library/announce/announce03.html

しとしと降る雨

奥の家のご主人が亡くなった。

ある日、「奥さん」、上の方から声がする。
顔をあげると、優しそうな年配の男の人が「その蔓、こっちから切ってもいいかね」

お隣りというのではない。ぐるっと回らないと、その家には行けないのだけど、うちの塀とそのお宅のフェンスが、少し接していて、うちの羽衣ジャミンの蔓が侵入している。
菊や薔薇や丹精込めた花が綺麗に咲いている庭。さぞかし迷惑だろうと恐縮すると、「いやいや・・」
「前に住んでいた人にも頼んで、切らせてもらっていたんですよ」

チョキチョキと器用にハサミを入れて行く様子は、迷惑というより楽しそうで、それからは、伸びすぎないよう、私も気を付けて切っていたのだけど、うっかり、「あ!しばらく切ってない!」慌てて庭に出るといつの間にか綺麗に、といって切りすぎもせず、羽衣ジャスミンらしさのまま刈っていて下さっていた。

「おはようございます」
時々だけれど、朝、挨拶をした。

「猫ちゃん、最近見ないけど?」
息子の部屋の出窓から外を眺めるうちのジーナを、楽しみに見ていたのだそう。
子猫の時は、息子の部屋で飼っていたのだけど、だんだんに出すようにしたら、最近は、下の部屋にいるようになって、あまり2階には行かないんです。

可愛いよねぇ~。あまり見かけなくなったのを残念そうに、「おはようございます」のあとは、必ず「猫ちゃん元気?」

会話といったらそれだけだ。
「すみません、いつも切って頂いて。」
「猫ちゃん、元気?」
「最近は、一階のベランダから外を眺めて・・・」、近況報告すると、目を細めてニコニコと。
ほんの数分。

奥さまがいらっしゃるのはわかる。あと、どんなご家族がいらっしゃるのか、年齢もなにも知らない。

最近見ないなぁ、と思っていた。
夏は、私も体調悪かったし。

回覧板で訃報が回ってきたとき、すぐにはわからなかった。
あれ?2,3度読み返して、ようやく気付く。
あの「猫ちゃん元気?」のおじさんだ!
80才・・・80才だったんだ・・・70代かと思っていた。


しとしとしとしと雨が降る。
羽衣ジャスミンの葉が揺れる。
6月になると、白い花をつけ、良い香り、というよりちょっと臭いのよね。
どんどんやたら伸びて、邪魔なんだけど、秋でも冬でも緑色の細かな葉が、良い目隠しになってくれて、私は好きで、バッサリ切ってしまう気にはなれなくて・・・だから、ごめんなさい。よく侵入して。

会話する人が、また一人いなくなっちゃった。