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無料貸本屋とは言わない

ここに越して来てから、よく図書館を利用する。
昔は、本は買って読む物だと思っていたけど。
それほど取っておきたいような本を読むわけじゃなし、溜まった本の処分にも苦労するのだし。
売るのにも抵抗あれば、ゴミに出すのにも心が痛む。何度、あーあ、と思いながら、紐で縛って集積所に運んだことか。
すっきり暮らそうと思ったら、本は要らない・・・。ネットで予約して、メールで「資料確保のお知らせ」が届いたら取りに行く。
利用勝手もいいのです。

売れっ子作家の人気本は、予約者数300とか、400とか。図書館側もそういう本は20冊とか30冊とか。
取り敢えず予約しておけば、忘れた頃には読めるのです。何か月待ってもいいような本は、だいたい、読まなきゃならないような本でもないから。

で、今回4冊いっぺんに「確保のお知らせ」が来て、借りたばかりの本もあるので、2週間で5冊。「寝る前の睡眠薬代わりの読書」では、読み切れないので、昼も読む。
そうすると、単純な私は、本の世界から抜け出せなくて、ぼーっとしてしまうのですよ。
ふと、顔をあげると、今何時だっけ?・・・慌てて冷蔵庫開けて、ばたばた・・・頭の中は読んだ本でいっぱい、というように。

読んでいたのは、そんなに大変な本ではない。
発売されてすぐに予約したので、そう待たずに読めた。

角田光代「笹の舟で海を渡る」、川上弘美「水声」、篠田節子「長女たち」・・・うーっ、偏っている。

角田光代さんは、出来不出来と言ったら申し訳ない。好き嫌いかな・・・結構差があって、今回の「笹の舟・・・」は、なんだかな、の部類です。
こういうことを書こうとテーマを持って、ほんとのところあまり理解できていない世代を主人公に持ってくると、ぎくしゃくしてしまう。「ツリーハウス」もそうだった。
出す本、出す本、毎回何らかの賞をもらうけど、どうなんでしょ。私は、やっぱり「空中庭園」が好き。


川上弘美さん「水声」・・・水の声って、なんんなのだろう。水の音・・・音ではない、「声」なのだから。
流れるものも発する声、溜まりゆくものの声なき声。
きっと、姉と弟の、という形に囚われてはいけないのだと思う、そういう関係に読むほうが惑わされては。
1969年、96年、間の86年。時は行きつ戻りつ、亡くなった「ママ」は、消えつ、現れつ・・・

ゆっくり読み返す、それが出来ないのが図書館で借りた限界かな。惹かれた言葉を、ここに写すことも出来ない。


篠田節子「長女たち」 一日で読み終わってしまった。
家と親を抱えて生きて行かなきゃならない3人の長女を描いた物語です。


偶然にも似たような(違うけどT_T)3冊を読んで、共通して思ったのは、「誰と暮らす」ということ。
誰かと暮らす、暮らしてきた。
これからは?
この先、長男と二人で暮らして行くのは、お互いあまりいいことじゃないなぁ、と思うのだけど。
「長女たち」のように長男がならないようにしなくては。と言って、「笹の舟・・・」の左織のような選択は納得行かない・・。

出来ることなら、「時々」あなたと暮らしたい、なんて思うこともあったのは、遠い昔のこと。
好きな人と一緒にいる・・・一緒にいれば、好きでなくなる、ということも知ってしまった今、誰とも暮らせない。これまで一緒に暮らしたことのない人とは、例え姉妹親子でも、きっと疲れる。
感がえてみれば、一人暮らしをしたことのない私。取りあえず、今は長男か・・・T_T

「水声」は、甘美だけれど、倫理にはずれていて、だからこそ、こういう暮らしもあるのかもしれないと・・・きっと自然でいたいのです。


「金田一家、日本語百年のひみつ」は、面白かったです。買おうかと思ってしまった。
でも、よくよく読めば、面白いけど、ちょっと底が浅い。そこが三代目の限界かな。

子供の時、なんだかわからないけど、目に触れた辞書にある金田一京助の名に憧れに似たものを持ったのよね。大学に行って、国語の勉強したい、って小学生の時思ったのです。親は、「可愛くない!」と。
初代は、いつだって偉大なのです。


一番面白かったのは、桜庭一樹「ほんとうの花を見せにきた」

これって、若い子が読むような本かもしれないけど。少女漫画みたいなのかもしれないけど。
バンブーという吸血鬼に助けられ、育てられる「梗ちゃん」。大人になるというのは、切ないことのです。ムスタファへの想い、大人になれば知らずに遠ざかる想いに、胸きゅんとして、年老いれば、やっぱり帰る昔。
抗う(あらがう)何度も出てくるこの言葉。生きることは「抗う」。

・・・拓郎の「RONIN」の歌詞♪我が友の苦しみに 我が友のあがらいに
この「あがらい」は、「あらがい」の間違いじゃないか、と突っ込んだあなたを思い出す・・・

3つの連作からなっているけど、どれも好き。どれも繋がっている、廻っている。

直木賞受賞の「私の男」を買いに行って、そっちよりもこっちだ、と買った「赤朽葉家の伝説」、やっぱり捨てられずに本箱にある。

それで、何を書きたかったというと、図書館は、有難いのです。
けど、ふと思う。30冊も購入した本、流行の本はすたれるのも早い。あとは、どうするのだろうか、と。CDだってDVDだって、借りるののお金がいる。発売してすぐは、取り決めでレンタル出来ない。
本は・・・文化だから?
確かにそうだけど、買えない本を無料で借りられるのは有難いけど、これって、もしかして公的無料貸本屋?とも思ってしまうのです。
利用しておいて、何を言うか、だけど。
確かに、300ものリクエストがある本、2冊くらいでは、借りるのに何年もかかってしまう。市民のリクエストにお応えするために、そうなのだろう。
借りられるから買わない。買わないで借りるから、どんどん希望者が増える。本は売れない。それなのに、街の本屋で扱っていないようなある本を探したとき、図書館になくて、取り寄せて買ったことがある。案外調べ物が出来なかったりする。
図書館て、なんだろうか、と。
これから、ますます年金暮らしの年寄りが増えて、利用者も増える一方になるのでしょう。老人福祉のためにも役に立つ。
けど、ちょっと立ち止まって考えて見る。無料に頼りすぎることに。
子供の利用とは、違う。
こんなことを書きながら、私は、又、買わずに借りるのだろうけど。


この件に関する市の図書館の見解
http://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/bunka_geijutsu/cul/cul08library/announce/announce03.html