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広島旅行(2)

なぜ、広島に行こうと思っていたのか。拓郎絡みでしょう、と言われるのだけど^^;確かにそれもあるけれど、10年くらい前、夫の単身赴任先を訪ねたとき、一人で長崎の平和公園や原爆資料館に行ったのですね。その時、広島に行かなくちゃ、と強く思ったのです。
この国に生まれた者として、行かずに済ませることは出来ないと。

それから、なかなか機会がなく、歌碑除幕式には行くのだから、機会がない、なんて言い訳にもならないけど、いつもどこかに引っかかっていた。除幕式の時、一泊して平和記念公園に行くことも出来たかもしれないのだけど、一緒にはしたくなかった。拓郎ついでに行くものではないと思った。
昨年、ようやく生活も落ち着いてきて、年に一度は一人で旅行でもしようと思ったとき、まず浮かんだのは広島だった。それが都合で行かれなくなってしまって、今回、長男の孝行旅行。感謝しなくちゃ。

原爆ドームは、くっきりと朝陽を浴びて、静かに立っていた。
不謹慎な言い方だけれど、神様は、よくこういう象徴ともなるべき建物を、こういう形で残してくれたものだと思う。
被爆前は、さぞかしモダンな建物だったのでしょう。無残な姿を晒しながら、美しく、強く語りかける。「原爆が落とされたのです」と。
補強工事が入っていて、資材があちこちに積まれている。保存については、当初から様々な意見があるようだけれど、失くしてしまったのでは、戻らないものもある。

通勤の自転車、登校の学生さん達が行き交う朝。公園の中をゆっくり歩く。祈念館や資料館はまだ開かない。広々と明るくきれいな公園。こいういう清潔さって大事なのだろうと思う。みんなが気軽に足を運べるように。そこで気持ちよく時間を過ごせるように。胸を打つのに暗くある必要はない。


原爆死没者慰霊碑の横には、警備員さんがずっと立っている。立っていなけりゃならないんだね。毎年8月6日になるとテレビで見る慰霊碑だ。
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「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」という有名な碑文を読みながら、私は何に向かって手を合わせているのかわからなくなる。誰が考え、誰が作り、誰が・・・。フト顔を上げると、屋根型になった碑の向こうに原爆ドームが見えた。

平和の時計塔、8時15分にチャイムが鳴るのに気がつかなかった。平和の鐘を撞いてみる。残響の長さに思わず頭を下げる。
原爆の子の像。カラフルな花のように彩る子供たちの折り鶴。たくさんの像、たくさんの石碑、たくさんの言葉・・・。ここは「記念」公園なのですね。「記念」と「祈念」。平和を記念する、終戦を記念する。俵万智さん以来、○○記念日は大流行りだけれど、お祝いの記念日になってしまいませんよう。

追悼祈念館の前で、警備員さんと会う。「まだですよね?」「どうぞ」。ドアの鍵を開けながら、案内してくれる。裏から入っているのかしら?キョロキョロしていたら、受付の前に出た。1分ほど前だったのか、受付の人は、ちらっと時計を見て、少し待って、にこっと笑ってくれた。
地下2階のモニュメントに打ちのめされる。

丸い壁面に被爆後の街並みが、パノラマで表現されていて、その下に当時の町名が表示されている。セピア色のぐるっと丸い空間に一人でぽつんと立っていると、四方八方瓦礫に取り囲まれているようで、身動きが出来ない。
下の方に書いていある町名ほど爆心地に近いのだとか。一つ一つ読んでいく。全国どこでも見かける町名。その土地独特の町名。あんな町の名前、こんな町の名前・・・その町の名前に、どれほどの暮らしが詰まっていたのか。

地下一階で見た被爆体験記をもとにしたビデオには、言葉もなく、何本も見ては、キリがないから行かなきゃ・・・なのに、なかなか腰が上がらない。
ようやく表に出ると、日差しが眩しい。

平和記念資料館。賑わっていると言ったら変だけれど、大勢の人が訪れているのに少し驚く。入館料の50円に何かニコッとする。老年の夫婦連れは、ガイドを頼んでいた。白人系?の外人さんが何人もいる。メモをとったり、撮影したり、熱心だ。三歳の男の子の遺品、ボロボロの三輪車を見ていたら、隣の若い女性のすすり泣く声が聴こえる。それぞれの心に落とすもの。それがこの公園の意味なのでしょう。

案外あっけなく見終わってしまった、と思ったら、改築中だったのですね。撤去された展示物もあるらしい。正直、長崎で見た時の息を呑むような衝撃はなかった。私が「慣れて」しまったのかもしれない。
改修が終わった2年後、私は、またここに来られるかなぁ・・・


川の流れをぼーっと見ていた。桜が咲いたら綺麗だろう、と思いながら。ふと「材木町」と書かれた物に目が止まる。東北の夫の実家、印刷工場があった町が「材木町」だった。同じ町名。「この町に材木商が多かったことから・・」同じ由来なんだろうな。

「昭和20年8月6日の原爆投下により、材木町は壊滅し、投下時刻に町内にいた住民は、全員が死亡しました。」
当時の住民が474人、被爆当日に330人が死亡、さらに昭和20年末までに19人・・・

この日は奇しくも3月11日。夫の郷里の材木町は、街中にあるので、ほとんど被害は受けなかったけれど。天災と戦争とは、絶対に違う。

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この左右を川に囲まれ、船のような形をした公園は、旧中島地区。壊滅した町が、もう一度築かれることなく公園として残されているのですね。
この地図は、ひっそりと立っていて、どれだけの人が足を止め、読んでいくのか。思わずここで手を合わせる。銅像や石碑よりも。


広電に乗る。充分歩ける距離だけれど、一日券を買ったので、ちょっとでも乗ってしまう。路面電車はいいですね。一両のコロンと可愛い電車、というイメージでいたら、電車のように繋がって、車掌さんまでいるのもあって、びっくりした。
お土産、何を買いたいということもなく、生もみじ饅頭だのお好み焼きチップスだの伊予柑プリンだの、お彼岸にみんな集まる時のおやつばっかり買ってしまった。いろんな広電が載っているクリアファイル、買えばよかった。


フルーティーなベルギービールにケーキというおかしな取り合わせでお昼を済ませ、さて・・・
修道大は、少し遠い。そのためだけに切符買って行く事になる。どうしようか。でも、せっかくだから♪いってみよか

(続く)

広島旅行(1)

長男が広島旅行に誘ってくれた。昨年、私が広島ひとり旅を計画していたのに行かれなくなってしまったことを、覚えていてくれたみたい。うれしい!・・・けど、いいのかな?親と一緒だなんてT_T
一日目は宮島行くけど、あとは別行動だよ。夕飯は一緒に食べよう。

安芸の宮島。子供の頃は、「秋の宮島」、だから「もみじ饅頭」なんだ、と思い込んでいたT_T


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宮島口で「穴子飯」を食べる。

この大盛りは、さすがに私のじゃない^^;
息子の分だ。私はミニを頼んだ。
思ったよりさっぱりしていて、美味しい。
鰻とは別物であることを確認。


厳島神社の海に浮かぶ赤い鳥居に、ずっと憧れていた。思ったより小さく見える。船の中では、若い女性グループが自撮りに熱中しいて、景色など全然見ない。賑やかだこと。あの自撮りってなんなのだろう、と言うのは、年寄りの証拠か。


船で着く頃は、潮が引き始めていて、潮が引くのはあっという間なんですね。気が付くと、もうたくさんの人が、徒歩参拝というか、ぬかるみの中を歩き、遊んでいる。
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私も入れる格好をしてくればよかった。鹿も一緒になって、鳥居の根元までいて、鹿が可愛い。

厳島神社は綺麗だけれど、厳かという感じはあまりしなかったかな。

「YOKOSO」で、奥田民生がライトアップされた厳島神社で「今日までそして明日から」を歌うのを見て、ワーッと感動したのは、2012年の暮だっけ。録画を見ようと思うのだけれど。


夕飯は、お好み焼き。人気店でも予約できるんだね。長い行列尻目に、申し訳ないような。
あ、ここ、2008年の除幕式の時、みんなで来た店だ!夜のせいか、なんか、あの時と雰囲気違う。
お好み焼き(広島焼き)は勿論だけれど、牛すじの煮込みが、ふわっと柔らかく、とっても美味しかった。焼き牡蠣も美味しかった。
ビールも飲んだ。
こういう時、一人旅じゃなくて良かったな、と思う。
美味しいものを食べて、「美味しいね」と言える。料理を分け合える。息子は便利だ。3分の2は食べてくれる。小さくなった胃でも、いろいろ食べられる。
「沢山食べちゃった」「よかった」だから、一ヶ月くらい前、もう何でも食べられるのかって聞いたんだよ。食べられなかったら旅行もつまらないでしょう・・・なるほど。

帰り道、コンビニに寄って、あの子はウイスキーだのツマミだの買い込んだ。ホテルで一人で飲むのでしょう。そこまで親と一緒は嫌よね。私も缶チューハイを一本。
部屋で飲みながらメールを書こうと思ったけれど、誰に書くというのか。娘たちへのLINE報告にする。
350cc一本飲みきらないうちに、とろとろ眠くなる。

今年も始まった

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慌ただしかった年末年始も過ぎて、松も取れた。明日はもう鏡開きだ。簡単に小豆の缶詰を買ってきて、手抜きお汁粉を自分のためだけに作ろう。
休んでいた刺繍も再開。歌を聴きながら刺繍をしていると、ホッとする。私らしい・・・何が「私らしい」のかわからないけれど、一目一目、目数を数えながらクロスステッチをしていると、背伸びせず、萎縮もせず、誰を気にすることもなく、そのままでいられるような気持ちになる。案外普通なのよね、私。

バックに流れる歌は、今は、みゆきさんの「囁く雨」がお気に入り。もう15年近く前の歌だ。ベストを作るとして、入らないであろう歌。なぜだか、ふと、はまり込んでしまった。


♪囁く雨に身じろぎもせず ただ さよならを全身で聴いている
 泣いてしまいたかった 人目を 気にせずに
 あいつが泣いてしまった それで泣きそびれた
  ・・・・・
 ずるいよね あたしには引き際を飾る花もない

カッコイイ歌なんだ。強がりを言う私に合っている。
イントロには、降りすぎるくらいの雨音がザーザー流れる。


雨音といえば「たえこMY LOVE」なんだけれど。

雨の中、そそくさとタクシーに乗り込むあの人の後ろ姿を思い出す。
私が、その時間、どうやって帰るのかなんて気に留めもせず、そんなふうに急いで帰らなければならないのなら、出てこなくてもよかったのに。
両方にいい顔をしようと、結局両方を裏切るその人の後ろ姿には、弱さと卑屈さ、甘さとみっともなさと、十分な優しさが滲んでいた。
だからダメなのよ・・・。少しでも私を傷つけまいと話を聞いてくれたことに感謝しながらも、あなたはもう少し毅然としなきゃ、逆に肩を叩きたくなったりして。

雨、ほんとに降っていたのかな。
帰り道聴いていた「たえこMY LOVE」の雨音だったのかもしれないけれど。この歌聴くと、思い出してしまうんだ。だって、普通、女性を置いて、自分だけタクシー乗って帰る?

♪・・・・ いたわって微笑んで終わりなんて 
 おとぎばなしにゃならないからね
 「ぶん殴ってしまえば」とやきもき雨がそそのかす
  囁く雨に身じろぎもせず・・・

アルバム「心守歌」では、「あのバスに」もかっこいい。


はは。こんなことを書く私は「おとなしく刺繍に夢中な普通の人」ではない。」


昨年末、ひょんなことから以前パートの先輩だった人と3年ぶりに会った。明後日、また会うのだけれど、30年前にニューヨークで買った刺繍のセットを持ってきてくれるという。買ったまま放りっぱなしで、布にもシミああるの・・・布だけ変えれば?折角から作ればいいのに、勿体無いわ・・・ほんとは、私がどんなセットなのか見たいだけなんだけど。

書いて何になるということもない。誰が読んでくれているのかもわからない。
刺繍ならば、刺してれば形になる。目の前に出来上がりが見える。誰を傷つけるということもない。期待をするということもない。

とにかく、今年の拓郎を見届ける。・・・それからだ。


画像のタペストリーは、いつ作ったのだっけ?戌年だったかな?もう一巡はしているはず。
十二支入っているので毎年飾れると自慢していたけど、洗ったら、赤が滲んでぼろっちくなってしまった。
キットはもうひと組あるので、作り直そうと思いながら、そのまま。デザインも、もう今時ではないね。

刺しかけの刺繍

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ある刺繍の販売サイトを見ていたら、この図案が目に入り、作りたい!つい、クリックしてしまった^^; 他の用で見ていたのにT_T
これは、イギリスの物なのだけど、これまでのデンマークやフランスとはまた違う、上品な家庭的感じに惹かれたのかな。

図案だけの販売だから、布や糸は自分で、必要量を割り出す。どのリネンにしよう・・・webでは色もはっきりせず、手触りもわからない。といって、近くの手芸店に全て置いてあるわけではない。ああでもない、こうでもない。これっと決めて、注文した布が届いく。ふふ、ぴったり!ちょっと目が細かいけどね。
糸は、色番号を書き出し、だいたいの目数(ったって、多いのは5000とか3000とか)から、これは何束、これはあるから買わなくていい・・・その作業が楽しいのよね。

この大きさだと、スクロールフレームが欲しいなぁ。いつもは、作るものによって、丸枠を使ったり、枠なしで刺したりするのだけど。枠で糸をつぶしたくないし。
スクロールフレームは、結構な値段する。これからどのくらい大きな物を作るのかもわからない。検索してみると、自作というのも案外出てくる。作っちゃおうか・・・。

ホームセンターで丸棒と板を寸法にカットしてもらう。1カット38円。便利なものだね。ケチな私は、90センチのを2本、60と30にカットしてもらい、2種類の大きさにしようかと。
ナットや蝶ボルトも買って、よしよし・・・。
ところが、穴を開けるのが、おもちゃのようなドリルでは大変のです。鬼目ナットを押し込むったって、入ってくれない。木が柔らかく、ボロボロ崩れる。う~っ。
せっかくの材料無駄にはしたくない。たぶんそう何度も使わないだろうから、取り敢えず四角くなれば。Ryanさん得意の誤魔化しで、ボンドも使って、どうにかこうにか。
布を止めるのは、マジックテープを使うらしいのだけど、粘着テープ付きのマジックテープも高いしねぇ。で、考えて、両面テープにしてしまった。布側は、どうせ切り落とすのだし、本体についたのは、取れないこともないと思うから。
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で、出来たのがこれ。一見、クシャクシャT_T 麻なのですもの。

これでも一応、横棒が回るので、巻いた布を、使うところだけ出しておけるし、これは60センチだけど、30センチのに付け替えることも出来る。穴も4つ開けたので、高さも変えられる。
スタンドも作れば良かったかなぁ。畳や床に座って膝の上で刺すことが多いので、ま、その辺は適当に・・・いい方法考えたんだけどね。

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今作っている赤糸のクリスマスは、1cm6目で、

こんな細かいの、よく・・と言われるけど、今度のは、1cm6.3目だ。その0.3の違いがきつくて、目がチカチカ。なかなか進まない。でも、面白い。
他の物と並行して、長期戦で刺して行こう。完成まで何ヶ月かかることやら。

若い時は、よく編み物をしていて、編みかけのマフラーやセーターやあるというだけで、家に帰るのが待ち遠しかったり、家にいるのが楽しいものだと思ったことがある。
ネットの始めの頃、PCの向こうに人が待っていてくれるような気がして、家に帰るのが楽しみだったのも、それと似てるかな。

今は、正直、PCの向こうに人がいることを感じることが少なくなった。帰り道、早くPCの電源つけたくて、急ぎ足、なんてこともなくなった。スマホがあるから、でなくてね^^
けど、刺しかけの刺繍は、私を呼ぶ。待っていてくれる。
そこに刺しかけの刺繍があると、そこは、ほっこり暖かい。
歌を聴きながら手芸をしていると、歌に引っ張られて手がおろそかになったものだけど、近頃は、手元に神経が行って、歌が聴こえなくなる。ふと気が付くと、CDが終わっている。

何の歌、どんな歌・・・私には書けない。
言葉がどんどん下手になる。
ビスコーニュは、沢山できたけど、「おとなしくしていなさい」かぁ・・・私は、おとなしくないからオフ会したのかなぁ・・・

藤城清治影絵展

銀座で開かれていた「藤城清治影絵展」に行ってきた。
藤城さんの影絵といえば、新聞の日曜版で毎週見慣れていたせいか、綺麗だと思うものの、あまり有り難味がなくて^^;特別な感想を持ったことがない。
それが、新聞に載っていた「ヒロシマ」の大きな作品の美しさに見とれ、急に行ってみたくなった。銀座での作品展の会期は今月15日まで。急がないと。こんなお天気の日に、予定の用事を放り出して出かけるのは気が引けるけど。

人気なんですねー。エレベーターを待っていると、影絵展目当てらしきご夫婦や女性グループがポツポツとやってくる。そう大きくない会場は、歩くのにも、ちょっぴり窮屈だ。
受付では、チケットはもうないと言う。入場料だけ払って入るらしい。変なの・・記念になりゃしない・・と思うのは私だけ?皆、大人しく入っていく。

後ろからのライトで浮かび上がる大きな影絵は、さすがだ。印刷で見るのとは大違い。ケースに鏡と水をしつらえ、何色もの光が、逆さ富士のように水辺に映るよう展示されていたものは、美しく、何度も見入ってしまう。
民話や童話の影絵は、いつか見たように懐かしい。

なにより、添えられた説明文が良い。長年続けて来られた人の文章って、なぜこんなに沁みるのだろう。特別なことが書いてあるわけじゃない。淡々と自分がしてきたこと、したことを書いているだけなのに。

奥の丸い壁の上には、自筆のメッセージが貼ってある。90歳で手術をしたこと、思うように回復しない中で、ゆっくりとデッサンをする話。高齢のご婦人が、一生懸命、ノートに言葉を書き写している。その姿に胸打たれながら、ごめんなさい、私は、ちょっとスマホで^^;

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素敵な文章。素敵なデッサン。

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会場内は、フラッシュをたかなければ、撮影OKだ。あちこちでシャッターの音が聞こえる。
レンズより、目に焼き付けよう・・・理屈では思うけれど、記憶に自信がなく、カメラの記録に頼ろうとしてしまう・・・情けなく、せっかちな私。

目的の広島原爆ドームの影絵があった。
色とりどりの千羽鶴が飛んで、光に向かうような透明な絵だ。
その隣には、長崎・山王神社の楠が。私は、こちらの方が好きかも。両手を広げたほどの、ジャンプしても届かないほどの高さがある見事な大きな絵・・・影絵、切り絵を超えている・・・ゆっくり眺めたいと思うけれど、悲しいかな、狭くて、数歩下がるのがやっと。全体を眺められる所で、後ろにコツンと当たってしまう。
それでも、会場の狭さをカバーして、斜めに通路を作ったり、沢山の作品を見せる工夫はたいしたものだと思う。

軍艦島の絵が良かった。
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私が撮ったのは色が出てない。もっと静かな色彩。
切り絵で、よくこんな海を表現できたものだと見とれてしまった。


下の階、パネルや本、絵葉書の買える売店は大賑わい。
一冊絵本を持ってレジに向かったら、まぁ、行列だこと。
買ったのは、60年前、藤城さんが初めての絵本として選んだアンデルセンのお話を、数年前、新たに筆を加え、描き下ろしたものだ。「ぶどう酒びんのふしぎな旅」。
原題は「びんの首」というらしい。それが気に入った。
あとで孫たちにあげてもいいし、なんて、自分が読みたかったくせに、すぐ言い訳をする。


銀座に行くには、有楽町線にしてる。
永田町の乗り換えにも慣れた。端から端まで歩かなくてもいいように、一番前に乗ることも覚えた。
この家に来てから、何回フォーラムに行っただろう。ほんの数回なのかもしれないのに、何度も通ったような気がして、この線に乗ると、懐かしさにツーンとする。
来年、フォーラムに行けるかな。
そしたら、また永田町で、長~いエスカレーターで乗り換えて、有楽町まで行くんだ。フォーラムに地下から行ったときの、下から眺める舟のような天井が好き。

AGAIN

「AGAIN」を聴いていた。
何ヶ月ぶりだろう・・・「LIVE2014」が発売されてから、完全版「アゲイン」ばかり聴いていたから。
と言っても、その「LIVE2014」のCDだって、つい最近久しぶりに聴いたところなのだけど。

拓郎の声が細い! まず、そう感じてしまった。
ボイストレーニングをしていたのだという。高音が出るようになったと喜んでいた。そうなのだけど。
真っ直ぐに丁寧に歌っているという感じはした。その分力強さ、昔なら、荒っぽさがなくなっているのは仕方のないことだけど。

アレンジの違和感というのはなくなった。
アレンジというより、拓郎の歌い方なのかな、とも思った。

「僕の大好きな場所」が、とってもいい。

「素敵なのは夜」も、すごく好き。
この時の拓郎の声にとっても合っている。

そして、ポッと雨が降るようにイントロが始まって
「アゲイン」

「未完」で十分なんだ。
たくさんの拓郎の歌を聴いて、最後に降るように聴こえてくる「アゲイン」
それがいいんだ。
この歌だけ繰り返し聴いても、こういう気持ちにはならないのかもしれない。
泣きたいような、振り返らずにそっとそのまま立っていたいような・・・

だから、今日は、このアルバムを何度も何度も聴いた。
最後の曲「アゲイン」を聴くために。


拓郎はどうしているのでしょう。
久しぶりの更新が「なでしこ、照ちゃん」じゃぁ・・・
拓郎を信じて待つ、待たない、というのじゃない。
不安なだけ。だって、この10年、
全てを乗り越えた、とは思っていない。新しいことはじめよう、なんだよね。

あのつまらなかったラジオ。記念すべき放送になるって、なんなのよ。幸拓が最後になるというわけでもないのなら。

一ヶ月が経った

術後一ヶ月が経ちました。
昨日は診察日だった。
その日は自転車で行こうと、決めていた。自転車なら15分足らずで行くから。電車→バスまたはバスの乗り継ぎなんかよりずっと早いのもさる事ながら、一ヶ月経てば、もう病人じゃない、普段の生活に戻る第一歩がその自転車だと思っていたから。

ところが、思ったより体調回復してなくて、息子に反対される。また転んだらどうするの?タクシーで行け、と。
そうね・・・実はこの間、内緒でバスで買い物に出かけ、貧血を起こしそうになっている。ここは、おとなしく自転車はやめておくか・・・せっかく雨上がっているのにな。
けど、ここでケチ根性が。タクシーは勿体無い。バスにしよう・・・

バスは、いつも無料パスを持った年配の人でいっぱいだ。バス停一つ二つで降りる人もいて、バスは各駅停車。お年寄りが気軽に外出できる、それはいいことに違いないし、私だって、すぐにその年齢になるのかもしれない。けど、なんだかな。終点でパスを見せるだけで降りていく人に混じって、ICカードをチャランと鳴らす私が、なんだか肩身が狭いような気がするのはどうして?


お腹もよく動いている。心配なし。次は9月。ただ、市の検診は必ず受けて下さいね。胃以外にも大腸や女性関係のがん検診。そうね、受けなきゃね。

良し!と言われたって、朝起きた時の軽い吐き気、近くのスーパーに行っただけでフーフーいう体力のなさ・・・訴えたってしょうがないんだけどね。私が自分で乗り越えて行かなきゃならないことだから。
第一、元通りと言ったって、この一年、怪我続きでゴロゴロしていることが多かったから、何が元の生活なのかわからない。根が怠け者だから、目の前にやること突きつけられなければ動かない。
こういう時、拓ちゃんのツアー日程でも決まれば、パッと動き出すのかしら?こうしちゃいられないとジョギングでもするかしら?
メッセージの更新ないね。沈黙の時は進んでいる時?・・と思う事にしよう。

さて、私は何時自転車に乗るのだろう。自転車で遠くのスーパーより、歩いて近くのスーパーと心がけているものだから、アシスト付きの自転車、バッテリーは充電器にささったまま。

今年の梅雨は、ことのほか長いような気がする。
自転車で坂道登って、紫陽花を見に行けたら、と思うのだけど。

ガンバルもガンバラナイも

手術の翌日、「今日から歩いてもらいますよ。頑張りましょうね。」
最初は看護師さんについてもらって一周。あとは自分で頑張って練習して、「一人で歩いてレントゲン室にも行ってもらいます。」
・・・の予定が、歩くどころか座れない!身体をベッドに腰掛けようとしたとたん、吐き気と冷や汗とで、はぁはぁと苦しいこと。無理だァ。
「しばらく休んで、また頑張りましょう」

一時間ほどして、またやってきた看護師さんは、「ゆっくり身体を起こして・・・」優しく手を添えてくれるけど、やっぱりダメ。1分と座っていられない。

レントゲンは午後にしてもらいますから、また頑張りましょう・・結局、その日はレントゲンの機械を病室まで運んで撮ってもらった。

次の日の朝もだめだった。情けない・・・歩けなければ、何も進まない。管が外れても、トイレにも行けない。
回診があって、その中の一人の女医さんが「背中から入っている痛み止めがじゃましていることもありますから」安心して、というように、ニコッと笑ってくれた。
主治医も来て、「落としてみましょう」

看護師さんが血圧を計る。「これなら大丈夫かもしれない」
座っても大丈夫。あ、立てた! ソロソロと病棟内を一周する。「あとは、自分で頑張ってね」


怠け者の私は、ガンバラナイ。こんなフラフラで、一人で歩いたら転ぶかも知れないもんねー。
私が、根性無しなんじゃない。原因があって、薬で血圧下がるから身体起こしたとたん貧血、だったんじゃない。まずは外的要因を疑え、だわ。ガンバルもガンバラナイもないじゃない。心の中で毒づいてみる^^;

次男が来て、「一緒に歩こうか」。息子に手を取ってもらって歩くのは恥ずかしいけど。
「日頃の運動不足がこういうところに出るんだよ」「呼吸の練習もしてなかったでしょう」・・・口にパイプをくわえて、フーフースースー、馬鹿らしくてサボってたんだった。医療機関に務める次男は、優しいけど、手厳しい。


流動食が始まっていた。
夜、またトイレの中で、フラフラになる。気持ち悪い・・・。トイレでナースコールは恥ずかしいから、回復するまでじっと座って待って、ようやく歩き始めたら、看護師さんが「どうしたんですか」病室まで連れて行ってくれた。吐き気止めの点滴をしてもらい、やっと寝る。
次の日も同じ。

ちゃんと時間をかけてゆっくりよく噛んで食べていますか・・・時計、前に置いて、時間見ながら30分かけて食べているわよ・・・食後、すぐに横にならず、上半身持ち上げて、しばらく休む、それもしてるってば。それでも半分しか食べられないのに、気持ち悪くなる。お腹も痛くなる。冷や汗も出る。それって、私のせい?私がガンバらないから?


一日6食、おやつに「うどん少々」だの「おじや少し」だのは、もう食べないことにした。ウエハス、カステラの時は食べる^^;
夕食と一緒に置いておかれる「9時の夜食」も食べない。第一、9時消灯じゃん。「寝しなに物を食べるな」って親に言われてきたしさ。自分のお腹は自分で大事にする。
か細げに「食べられなくて・・」と言えば、看護師さんも「いいんですよ。無理に全部食べなくても」優しく言ってくれる。

金曜日、主治医が「月曜に抜糸して退院です」えーっ、こんなに調子悪いのに?
3分の1になった胃に身体全体が慣れるまで半年くらいかかります。ゆっくり慣れて行ってください。

私のフラフラ具合を見ていた家族は、誰も月曜に退院出来るなんて思っていない。すみません、迎えの都合がつかないので火曜日にしてください。

退院となったら、急に元気になったような気がする。今食べていいもの、食べられないもの、ちゃんと考えて、美味しく作ろう。工夫しよう。マイペースで過ごせるじゃん。


家に帰って来たら・・ショックなことに、猫のジーナが私を忘れてる!たったの8日間なのに?ふすまの向こうからじっと私を見て、さっと逃げる。
猫は人につかないというけど、あんまりじゃん。撫でてやればゴロニャンするけど、人様に撫でられているような距離感。ま、いいさ、そのうち・・


朝は薄いミルクティーに柔らかいパンを一口。10時のおやつは、フルーツとヨーグルト。お昼は煮込みうどん。半玉でも今は多くて、残してしまうけど。3時は、蒸しケーキだったりプリンだったり。これも、半量なんて言われなくても、半分も食べられない。自分の胃がストップをかけてくれる。
夕飯はおかゆお茶碗半分とあれこれ。百均で買った小さな土鍋でコトコト煮たおかゆの美味しいこと。
夜食は食べない。胃が重くなつてしまう。

カルシュウム不足かも知れないし、カロリーも足りていないかもしれない。でも、いいじゃん、メニュー通りにガンバらなくったって。無理して食べて気持ち悪くなるより、快適に過ごせたほうがいいもの。そのうち、食べたくなってくるに決まってる。今、多少痩せても、ちょうどいいくらいなのだし。

全然お腹が空かないので、今日はお昼もおやつ兼で、バナナ半分で済ませてしまった。そしたら夕方お腹がすいて、久しぶりの空腹感だ!とうれしくなった。

♪がんばらなくてもいいでしょう
 私なりのペースでもいいでしょう

拓郎のこの歌が、やっと馴染んだ・・・・

長男が言う。「ついでにお腹の脂肪吸引もしてもらえば良かったのに」・・・馬鹿!

さてさて

なんだかんだ慌ただしい、と言ったって、どうでもいいようなことばかりしているからなのだけど。
例えば、刺繍をした布でバインダーを作り、もうボロボロのノートに書き込んである料理メモを整理してファイルした・・・

ファイル 21-1.jpg 整理してみれば、もう作らない古いケーキのレシピだの、書くまでもないわかりきったものが沢山で、どうしても残しておきたいものなど、ほんの数ページ。
しかも、金具の穴が、一般的なものとは違っていて、自分でパンチで開ける羽目にT_T


中はこんな ファイル 21-2.jpg


 

もう一つ凝っていたのは、ビスコーニュという八角形の座布団のような針刺し。
4年くらい前に作ってみたっときは、ピンと来なかったのに、ふと、雑誌に載っていたのを試しに作ってみたら、案外面白い。

正方形の布の角をずらしてかがると、八角の立体形になるという・・・図案の出方も面白く、自分で図案を起こせたらと思うのだけど、デザイン力のな私だから、まずはフランスの図案集など買って、あれこれ挑戦。ほんとは退院した後の退屈しのぎにしようと、材料揃えたんだけど・・・入院前の忙しい時に作ってどうする^^;
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ファイル 21-4.jpg苺の柄がお気に入り。同じ図案でも布が違うと雰囲気違う。

パンダのは、パンダ好きの娘のために。案外苦労した。ファイル 21-5.jpg


沢山作りためておいて、来年、拓郎のライブがあって、その後、元気にオフ会が出来たら、みんなのお土産にするんだ。
なんて、生前 夫が言ってたな。
「お前、そうやって作るのはいいけど、あちこちに配るなよ」
なんでも、患者さんから、古布で作ったワラジだの、コインで出来た俵だの、折り紙の箱だのくす玉だの・・・頂いて、お礼を言うものの、正直、始末に困ることも多かったらしい・・・自分で満足するだけにしとけ、って。

でも、本には、刺したい図案がいっぱい。フランス語なんて読めなくても、見ていると楽しい。あれもこれも刺してみたくなる。
もしも、ビスコーニュいっぱい抱えて、オフ会に登場したら、「拓郎グッズじゃないの?!」と呆れて下さいな。

というわけで、ちょっくら入院します。一週間か十日くらい。
結婚してから10キロも太った私。良いダイエットになるかなぁ・・・

三分の二

この春3年生の孫は、今、折り紙に、はまっているらしく、春休みには、ぶ厚い折り紙の本持参で遊びに来ていた。バラの花だのパンダだの、せっせと折ってゆく。谷折り、山折りを教えたのは、ついこの間のような気がするけれど。本を見ただけで、もうこんなに出来るんだ。ちょっと面倒な折り方だと、私は、もう投げ出してしまう。折ってあげる方から、折ってもらう方になってしまった^^;

今度は、折り紙の本、お人形のページに挑戦。茶色で頭を折った。洋服は縦半分の大きさだ。水色のワンピースが出来た。手と足・・・うんと、同じ大きさの紙だと大きすぎて変だから・・・独り言を言いながら、肌色の折り紙を4つに切って、丁度いい、とご満悦。紫の折り紙も4つに切りブーツを作った。
並べてみて、「頭が大きい、小さくしよう・・・」「おばあちゃん、これ、そのままだと大きいし、四つに切ると小さすぎるし・・・」3分の2にしたら?・・・3分の2?
「紙を、上の方だけ三つに折って、少し折り目をつけるでしょ。その二つ分のところを真っ直ぐに折って・・・角を持ってきて・・・四角くするの」
あ、丁度いい!
横で見ていたお父さんが、「顔のところが裏になって白いよ。クレヨンで塗ったら?」・・・・「そういうのは嫌なの」。肌色の折り紙を外表に重ねて折り直した。
よしよし、、なかなか賢い。

次の日は、ディズニー土産のオラフのナノブロックに挑戦。
長男の助けを借りて、、細かいパーツを必死に重ねて行く。小三には、少し難しそう。
「ふうっ。やっと出来た!」頑張ったね。半分位自分で出来た?
「もうちょっと自分でした。う~ん・・・3分の2くらい」
3分の2!! 思わず笑った。
あの子には、きっと「3分の2」が定着した。まだ学校で分数は習っていないのだろうけど。
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拓郎は肺の75%を切った、と言っていた。75%が残っているのだっけ?
もう12年も経つと、切ったことさえ忘れてしまう。
75%は、4分の3。3分の2とどっちが大きかったっけ?分母を12にして計算してみた。なにやってんだろ、私。

拓郎は69才になったのですね。60代最後の年か・・・
70才の区切りに、拓郎は、きっと何かやってくれる、とずっと思っている。今年は間に合わないだろうけど、来年なら2016年。「2006つま恋」からちょうど10年だ。もう、拓郎に大きなものを背負わせるのは気の毒、という考えもあるかもしれない。けど、いつも空に向かって、大きく手を広げていて欲しいのです。
無理に「つま恋」というのじゃない。でも、何らかの形できっと。
その時、みんなと一緒に、元気で楽しく見られたらいいな。