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私の記憶が消えないうちに__吉田日出子

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学生時代、男子達の間で、吉田日出子の話題で持ち切りだったことがある。歌がすごい・・・私は、歌手だと思っていた。いつしか、そんなことも忘れ、時折、目にする名前に、「俳優さんだったんだ・・・。」
10数年前、第二回フォークジャンボリーのフィルムが見つかり、公開されるというので見に行ったことがある。その時、あれ?司会のようなことをしているのは吉田日出子さん?・・・そうか、それであの時、話題になっていたんだ・・・かっこいい女性旗手のように言われていた。今、そのことに触れている記述は、あまり見当たらないけれど。

この本「私の記憶が消えないうちに」は、吉田日出子の記憶が消えないうちに、周り人たちが、吉田日出子という人、その自由劇場について記し、残しておこうという本なのかもしれない。高次脳機能障害という病が深刻化する前から長年にわたり行われてきたインタビュー。本人の肉声という感じがしないのは、彼女はもうこういう言葉では語れない、語っていないということを感じてしまっているからだろうか。

それにしても、自分の記憶が欠け落ちてゆく・・・それを知ってしまう恐怖は、どれほどのものだろう。それを受け止め、受け入れ、越えてゆく勇気・・・私だったら、とても持てそうにない。

2007年、「いつもの道がわからない」意識がストンと穴にでも落ちたかのような恐ろしさ、台詞がぼろボロこぼれ落ちてゆく悲しさ。病院で検査を受けた吉田日出子さんは、「高次脳機能障害」との診断を受け、舞台を降板します。

そして、2010年、16年ぶりの再演「上海バンスキング」での復帰を果たすのですが。各公演当日開演一時間前にその日の配役が発表されるという異例の公演。主役がいつでも降板できるように、降板を前提とした、と言ってもいいかもしれない。共演者たちのフォロー、特製プロンプター
・・・。
31年前の初演当時、若かった共演者達は、皆もういい年だ。脚本を書いた串田和美さんが言う。「僕は最近耳が聞こえにくくなってね・・・デコは記憶力が弱っているんだろう。みんな、それぞれ何かあるんだから、お互い助け合って、面白い芝居にしようよ」。
実は高次脳機能障害であることを打ち明けた彼女に、舞台を務められるような演出を最大限考える。千秋楽まで全公演を演っ切った彼女は、もちろん素晴らしいけれど、支え合うみんなが素敵だ。誰が欠けても実現できなかった奇跡の復帰だったのかもしれない。


復帰は、元通りではないのですよね。あれからまた、突然歌を忘れるという悲しさに直面したり、でも、そこを乗り越え、また急に歌が蘇ったり。様々な波にもまれ、波乗りを楽しむこともあれば、波にさらわれそうになったり、それでも彼女は泳いでいる。

「記憶障害も注意障害も、遂行機能障害も社会的行動障害も恥ずかしいことではない」、「障害や認知症を恐れているばかりではつまらないでしょう。障害や認知症のある、なしで境界線を引かずに、ありのままの自分、相手を受け入れてやっていきませんか」

これから高齢化が進み、5人に一人は認知症になるとも言われている。どんなに健康な身体に生まれ、知力体力充実した陽のあたる道を歩いてこようと、次に何が待っているのか、誰にもわからない。若くても、事故で損傷を受けることもあるかもしれない。その時、自分はどう生きるのか。生きていけるのか。
それを考えたら、いま障害を持つ人をよそ者のように排除することなんて出来ないはず。いつか自分も通る道なのかもしれないのだから。

吉田日出子の肉声のように聞こえない、と書いてしまったけど、彼女が今一番思うことを、精一杯伝えようと周りにいる人たちが書かずにいられなかった「吉田日出子伝」。
彼女の言葉そのものなのかもしれない。


それにしても、本の後半に出てくる亡くなった人達の名前、あの人もこの人も。なんと多くの俳優さん、演劇関係者の方たちが亡くなっていることか。客席から身を乗り出すように声援を送り、「デコ、よかったね」と涙を流して復帰を喜んでくれた中村勘三郎さん、自分がまさか先に逝くなんて、思ってもみなかったことでしょう。
人は悲しいね。悲しいけど、生きている間は生きなきゃね。その時、どんな形でいようと・・・ちょっと自信ないけど^^;

「明日からはまた観客のひとりとして、ステージで歌う日出子さんを観る日が来るのを待ちたい」___ライター小峰敦子さんの後書きより。