6月5日の投稿 「鳥取県民会館梨花ホール」
すみません。鳥取のレポートありました。
前の前のパソコン、すべて削除していたと思ったら、なぜか2004年のツアー、4会場分だけ自分あてにメール送信していたんですね。
私は、それを知っていたのに、しまい込んで忘れてました。何年も。
いつもながら、要領を得ない長いだけのメール。どうしようかと思ったけど、10何年も経って書いた先日の物と、あちこち違う・・・
記憶って当てにらないんだな、と思ったので、ここに写します。こんな同じような物、2度も読めないよー、と言う方はパスして下さいね。
セットリストは改めて「コメント欄」にアップする予定です。


着いたら、まず会場にチケット受け取りに行きました。電話で頼んで当日代金と引き換えになっていたものです。そういう所、親切ですね。
ふと後ろを向くと、拓郎ファンらしい女性が立っていて、「私も・・・」一緒に階段登って行きました。聞けば、神奈川から。中野の後、心配で食事が喉を通らず、山梨延期で、とにもかくにも鳥取、電話したとこのと。

入り口におじさんが座っていて、きちんと名前と連絡先と座席書いた封筒を渡してくれて、「ほう、神奈川から」「東京から」「ご苦労さんです」
「今の飛行機ですか?」「バンドの人、たくさんおったでしょう」なんて話してくれて、
「拓郎さんは大丈夫ですか?」「はぁ、元気ですよ」・・・「帰りの飛行機や汽車は取れたか」、心配までしてもらいました。

文化会館は、とっても近代的な素敵な建物です。色で言うと白と銀色のイメージ。・・・写真、撮るの忘れました。T_T
入ると、広いホール、自由に座れるいくつかのテーブルと椅子と、優しくそれを取り囲む観葉植物、
高ーい吹き抜けになっていて、広々とした空間にゆっくり弧を描いている階段を登ってゆくと、右側が大ホール。
入り口にツアーのポスターが数枚貼ってありました。
お盆で人気もなくシーンとした建物。数時間後には拓郎を聴きに来る人でいっぱいになるんだと思うと、期待で胸がつまるようでした。

このままホテルで、コンサートまでじっとしていようかと思ったけど、時間もあるし、せっかくなので鳥取砂丘まで行ってみることにしました。


あとで、「前日入りして、暇なので砂丘まで行ってみた。何回か鳥取に来たことあるけど、今までは、そういうこと考え付かなかった。行ってみたら、結構な感動だった」という拓郎のMCがあったので、わ!拓郎も砂丘行ったんだ!私も行ってよかった、と思いました。
馬の背から眺める海、綺麗でした。拓郎もこういう景色、見たのかなぁ。

5時30分開演だから、4時半開場かと思ったら、5時開場だったんですね。エントランスホールには、人が溢れてきて、これ、みんな拓郎ファン・
・・30分では入りきれないのじゃないかと思うくらい、人の長い列が出来ていました。
ある人が、タクシーの運転手さんに聞いた話しによると、梨花ホールをいっぱいにしたのは、谷村新司くらいだったとか。T_T
東京から電話をしたときには、まだまだ空席があるような感じだったけど、この分では満席だわ、と確信出来る人の数。
きっとあのアクシデント聞いて、急遽駆けつけたファンも多かったのでしょう。(私みたいに?^^;)

席は2階席で、考えてみれば、昨年も含めて、このビッグバンド、2階で観るのは初めてでした。
ステージを俯瞰するのもいいですねー。すごく綺麗でしたよ。前の方で見ていたのではわからない照明も。
スポットライトは少し控えめだったけど、これは、中野の教訓?

ここまで来れば、拓郎が歌わないなんてことはないでしょう。だけども、ほんとに声を聴くまでは、安心できなくて
定刻より少し遅れて、あの拓郎自身による「諸注意」が聞こえて、ようやくホッ。

「清流」が流れて、会場暗くなって・・・2階から見るステージの美しさに感動して・・・音、すごくいい会場にように思ったのは、
2階から全体聞いていたからかなぁ・・・インスト、3回目にしてしみじみ聴きました、
あのピアノのイントロも一番届いた・・・拓郎が現れ・・・ドキンとしました。その一瞬、なんとも言えなかった。
待っているみんなに「歌った!」ってメール送信するとか、携帯で聴かせてしまうとか・・・冗談に頼む人もいて、始まる前は、あれこれ考えたけど、
拓郎の「諸注意」で、さっと携帯の電源切っていた私でした。というか、もう、知らせることなど忘れちゃった。
声、どうだったのでしょうか。普通、だった。
MC、少しハーハーしていたようだけど、すぐに元気になったし。よく喋りましたよね。

鳥取の会場は、一言でいうと、「静かに熱い」でしょうか。
特別な掛け声とか野次はなかったけど、拍手と歓声の波、2階にいる私にまで押し寄せるようで感動しました。
「落陽」で、全然立たなかったんですよね。NHKの時、立っていいのかどうかわからず、でも、みんな一生懸命手拍子していた感じに似てるかな。
私も立てませんでした。立つのがいい、というわけではないけれど、拓郎復活のステージに少し気がかりで、ワーワーしていいのかどうか迷ってしまった。

「全抱き」座ったままトンチンカンにフリをする私に、両隣は知らん顔、ったって、知らない人なのだから仕方ない・・・
本編最後の「まにあうかもしれない」も、私はこれでお終いと知っていたから、立って声援送りたかったけれど・・・全くその気配なし。
「いいや!」後ろの人が見えなくなろうがなんだろうが、私はこのために来たのだ!・・・立ってしまいました。
周りは、変な人、と思ったかもしれない^^;。

一人で聴くのもいいもんだ、と感動に浸っていた私ですが、端々にみんなが懐かしくなったりもしました。
拓郎の声にはじけるように反応する人、「全抱き」踊る人、静かだけれど、好きな歌のイントロに、呟くように曲名言う人・・・
ここずっと、そういう人たちに囲まれて、一緒に聴いていたから。

ところが、アンコールの拍手の素晴らしかったこと。
なんというのか・・・心からの拍手、というのがわかるのですね。熱い熱い声援でした。
アンコール曲が始まると、一階席、後ろの方からわーっと立ち始めて、2階一番前だった私は、後ろ振り向く余裕もなく。
そのうち、前の方も立ち始めて・・・もう目の下が人の波・・・波が揺れる・・
覗き込むと落ちそうで恐いけど、拓郎ファンの海の中にいるんだ、という感動ったらなかったです。

後で聞いたところによると、2階も3階も総立ちだったとか。
後ろの方から立った、ということからも、前が立ったから立った、というのじゃないのがわかります。
ほんとに、わー、という感じで立ち始めた。

アンコール2曲目では、手拍子でした。あの歌、ほかの会場で手拍子してましたっけ?大人しくて双眼鏡ばかり覗き込んでいたお隣さんも、
アンコールでは、すっと立ち、手拍子していて、盛り上がっていましたね。
おー、鳥取、熱いじゃないの!
騒がなくても、心の中、熱かったんですね。拓郎を待っていた人達ばかりだったんだな、と、
落陽で、「静か過ぎる・・と」余計な心配していた自分が恥ずかしかったです。

表に出ると、花火の音が「ドーン」「ドーン」
打ち上げ花火が目の前に・・・だったら、さらに感動だったのですけど、そんな映画のワンシーンのようなことは、起こらない。
音はすれども姿は見えずの鳥取花火大会の夜なのでした。

「出待ち」をしようと誘われて、初めての体験もしました。
出口一つしかないからと教えられて待っていたら、黒塗りのハイヤーがいかにも、という感じで何台も並んでいて、
やがて出てくる瀬尾さんやバンドの面々。
一旦静かになったあと、後ろに控えていたハイヤーが車を前に進め、やがて出てくる拓ちゃん。一瞬、横顔見せて、車に乗り込むのでした。
「お疲れさまー」「ありがとう」声援おくるだけで満足の、なんて可愛い拓郎のファン達なんでしょう。拓郎の顔、暗くてよく見えんかった;_;

拓郎が元気に歌ってくれた・・・「その一瞬」過ぎれば、ああだこうだ、文句も言う私。
でも、この晩の拓郎、ずっと忘れない。
鳥取の会場、素敵だった。雰囲気、とてもよかった。
野次もなく、静かに熱い拍手を送る会場は、久しぶりなような気がしました。

拓郎、これで自信つけて、どんどん元気になっていったらいいな、と思います。
ちゃんとクリアして進んで行く拓ちゃんだもの。
2023.07.20 15:29 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 拓郎 | com.gif コメント (1)
5月27日の投稿「2004年の鳥取砂丘」
「なぁんで昼メシ食いに行くのにこんな時間かけて行くのかなぁ」という番組を見るともなしに見ていた。
ゲストは福士蒼汰さんだったか。究極の蟹料理を食べに行く前に、ちょっと立ち寄った鳥取砂丘。
わーっ、鳥取砂丘だ!懐かしい!
と、ここで拓郎の2004年ツアーを思い出す私。思考回路が拓郎に偏っているんだよね。

あの年、中野サンプラザで倒れた拓郎。次の会場山梨は中止になってしまって、鳥取はどうなるんだろう・・
みんな不安でいっぱい。誰か鳥取まで見届けに行かなくちゃ、という話になった。
それが8月15日という、宿泊も交通も取れないお盆の真っ只中で、行ける人もいない。私、日は空いているけれど・・宿泊、交通、無理だわ・・
と、ある方から、自分が行こうと以前から押さえていたんだけど、帰りの飛行機がどうしても取れず、会議に間に合わない。それを使ってくれないか、という申し出があった。
バタバタと私が行くことになり、鳥取となると、さすがに単身赴任中の夫に内緒と言うわけにも行かず、多少の誇張と嘘を交えて許可を得る。
山梨から引き返した後、拓郎がアップした写真がやつれて見えたんだよね。それをメールに添付して、ほら、こんなに疲れて、体調悪そうで、私がみんなの代表として行くことになった、とかなんとか。

行きの飛行機の中で、通路を挟んで斜め前が瀬尾さんだった、というのは何度も書いたけれど、後方にはバンドのメンバーやスタッフも大勢いたらしい。
朝の鳥取行きなんて、そう何便もないから、乗り合わせるのも不思議ではないのだけど、私は、瀬尾さんの後姿を見ながら、2002年のDVDとペンを出したり引っ込めたり。
サインもらいたけど、こんな身動きも出来ない狭い機内で声をかけたら失礼かと遠慮する。せめて「拓郎さんは元気ですか」くらいは聞きたかったけど。
瀬尾さんが何やら買い物を注文するのを見て、パンフの同じページを見てみたり、竹に寅模様のシャツは、なんだかな、と思ったり。


空港に着くと、バスの隣の席に座った女性は、いかにも拓郎ファン。あなたも?それは、来ないわけには行かないわよね、という感じで、話も盛り上がる。バスの後方に、あの人がいる、この人も、と教えてくれる。
まずは会場に行って、申し込み済みのチケットを受け取らなくては。
初めての鳥取梨花ホール、こんなに素敵な会場だったんだ!

楽しみだわー。

神奈川から来たという彼女とは、ここでお別れ。
一緒に観ましょう、ということにならなかったのが、ちょっと寂しいような、ホッとしたような。
ステージを観た思いは、それぞれが大事にすればいい。

さて、時間までどうしようか。
砂丘を見に行こう!

鳥取砂丘には行ったことがあるけれど、当時米子に住んでいた我が家に観光目的で泊った夫の友人の付き合いだった。
砂丘を見に行きたいったって、米子と鳥取は遠いんだよ・・・
渋々のお付き合いで、ただ砂浜をテクテク歩くだけの、つまらないお散歩だった。砂漠じゃないんだよ、と思ったんだけどね。

砂丘の向こうの海を見たい!
会場からバスで行けそうだ。

良く晴れた暑い一日だった。
お土産屋さんに荷物を預けて身軽になり、さぁ! 
砂丘を歩くって、こんなに大変だったの?砂まみれ、汗まみれになって、歩くというより這う?
とても人様には見せられない無様な姿で砂丘をよじ登る。なりふり構わず、砂と格闘する。つくづく一人で良かったと思ったのでした。
先日のテレビでも、福士蒼汰くんが、えーっ!あそこまで!とヒーコラ、きつい、きつい、と言いながら馬の背まで登っていたっけ。

あの頃、私は何歳だったんだろう・・・2004年は19年前だから・・・大雑把に20を引いて・・わ!若い!拓郎もまだ50代?
若いと言ったって、十分お釣りがでるほどのおばさんだ。炎天下、よくあそこまで・・

馬の背から見下ろす景色は、言いようもない程素敵だった。
海、綺麗だなぁ・・・降りて行き、海辺を散歩して、波を触りたかったけど、登って戻れる自信がない。
ただただ海を眺めていた。


お土産屋さんでお礼を言って荷物を受け取り、記念にと買った砂時計。
鳥取砂丘の砂が入っているんですって。
もうずっと使っていないかったけど、トントン、と叩いたら、砂がサラサラ落ちてくれた。

ホテルにチェックインして、シャワーを浴びて、いざ!参戦!
2階席は案外空いていて、ちょっと寂しかった。拓郎を応援に全国から・・という雰囲気ではなかった。
お盆の中日に鳥取まで、それは難しいでしょう。この日程考えたの、絶対に東京の人だわ。
「あー」でも「うー」でも、とにかく拓郎の第一声を携帯で送って、と頼まれていたけど、そんな器用な事出来るわけはない。
拓郎、元気にステージに立ってますよ、そんなメッセージも送れるわけない。
拓郎が変わりなくステージに立っている、私はそれを見ている。それしかない。

だけども、あー、ごめんなさい。
拓郎の元気な姿にホッとしたのか、砂丘登りに疲れたのか、拓郎の元気な声を聴いた途端、睡魔が襲ってきて、「僕の人生の今は何章目・・・」で早くもガクッ!
いけない、いけないと、必死に目を開けて最後まで観ていたけれど、拓郎のコンサートで眠くなるなんて・・
チケット譲って下さった方に申し訳ない、携帯の向こうで報告待っていてくれた方々に、ごめんなさい。
今、ここにステージの模様を書こうとしても、レポートは書いてもすぐ消してしまって、滅多に残して置かない私なので、サンプラから曲目の変更があったのかどうかさえ、思い出せない。
最終日となった山梨のことは、チラホラ記憶にあるのだけど、2004年とはお別れだもの。

同じホテルに宿泊していた人たちと、夜、少し飲んだ時、ある方が「僕の人生・・」で涙が出てきたとおっしゃるので、内心ひたすら恐縮していたのでした。
その時食べた「らっきょう」、美味しかったですね。


帰りは、やはり指定が取れず、特急で立ったままガタゴト揺られて帰るのはきつかったけど、良い旅でした。
お世話になった方、ありがとうございました。ご親切忘れません。
帰るなり、私はパソコンに向かい、レポートを書いたのだと思うけれど、だから、それ、なんで消したの?ってばさ。

あのツアーは、拓郎がマメにレポートをアップしてくれていて、鳥取は砂丘にも行ったんだって。
「素晴らしい景色でした感動でした!」と写真と共に書いてくれている。


よじ登りはしなかっただろうけど、あの景色を拓郎も見たのかと思うと、砂丘の思い出が、より素敵に蘇る。
砂時計、使いもしないのに大事に洗面所の棚に置いているのは、拓郎も行った砂丘の砂が入っているから。


「From Takuro Yshida」の「月夜のカヌーに乗った僕」から、拓郎は本当にマメにいろいろ私達にメッセージをくれていた。
「T's」での、沢山の画像とメッセージと・・・私は、それを手元に置きたくて、一冊の「本」にした。

アナグロな物をwebにあげるのでなく、ネット上のファイルを印刷してアナログで残そうとうのだから、逆行してるでしょう。
製本の知識もなく、あれこれ調べて、見よう見まね。ハンズに行って必要そうな物買い込んだ。
プリントしたものを針と糸で綴じるのも、製本用の紙でなく、ケチって普通のコピー用紙にしたものだから、硬くて、針を通すのにふーふー。
手が真っ赤になって、肩もバリバリ。
今なら、もっと上手に作れたと思うのだけど、裏表紙の紙を貼るのの下手くそで皺皴。
せめてもと、表紙はハワイ柄の布にした。
頑張って、3,4冊作り、どなたかに差し上げたと思うのだけど、今頃行方不明になっているかもね。

一冊だけ、自分の手元に残した。
今回、久しぶりに手に取ってみて、作って良かったと思ったのです。
嵩張って邪魔くさいし、中綴じにしていないので、頁を綺麗に開くことはできないけれど、「私の本」だから。

余った布で、チケット入れなる物も作ってみた。

もうこれに新しいチケットが入ることはないんだろうな・・・
共立講堂がコンビニチケットなのが残念。

2023.07.18 07:09 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 拓郎 | com.gif コメント (0)
5月6日の投稿「バーボンはもう飲めない」
わけあって、井の頭線に乗ったのです。
ほんとは、以前住んでいた駅の近くにあった公園に行ってみたかったけど。

あれは20年くらい前のGWの頃だったか、携帯を握ったまま、ふと見上げると、大きな大きな木の上で薄い黄色の花が、柔らかに風で揺れていた。
何の花だろう・・・数日して行ってみると、その花はうっすらとピンクがかって、桜?
一言伝言版で聞いたら、どなたかが「あれはウコン桜です」と教えてくれた。
ウコンは「鬱金」、遅咲きの八重桜の一種なのだそうです。日本酒の「黄桜」は創業者がウコン桜を愛して命名したのですって。
もう一度あの桜を見たいと思いながら、開花の時期に合わせて公園に行くこともなく、引っ越してしまったけれど。


あの公園のウコン桜、まだあるかな?見上げるほどだった大きな大きな樹。
もう切られてしまっているかもね。東京でウコン桜を見られる場所を検索しても、あの公園は出てこない。
あの日の電話を含めて後悔ばかりの公園なのだし、降りる必要など・・ウコン桜は来年どこかで見ればいい。

最後に井の頭公園に行ったのはいつだろう。
この家に越してきてからも、1,2度行ったような気がするけれど。。
新しい駅ビル、初めてだ。
どこへどう行ったら良いのやら。取りあえず、わかりやすい井の頭公園だ!
桜も咲き終わっていたけれど、家族連れでいっぱい!なんだか私には場違いのような。焼き鳥の「いせや」を横目に駅まで戻る。
通りは昔のままでいるようで、一軒一軒違うよね。月日ということもあるでしょう。コロナの影響も大きいと思う。
あの店であれを買った、ここで夫と飲んだ、パスタもケーキも美味しくて、店構えが素敵だった人気の店は、同じにあったけど、よく見ると、大きなチェーン店の一つになっていた。
年年歳歳・・・花も違うのかもね。

駅ビルには、吉祥寺ならここ、というケーキ屋さんが出店していたような気がするけれど。
北口広場がなんだか狭く感じる。駅前路上ライブなんて、今もあるんだろうか。高田渡さんの真似事などしたら、すぐに追い払われてしまいそう。
通りは昔と同じ通り。区画は変わらないもんね。
だけど、ここに限らずだけど、ドラックストアとチェーン店ばかりで、どこか味気ない。昔行った店が探せない・・・店名も覚えていないけどT_T

東急百貨店まで行ってみる。渋谷は閉店になってしまったけど、ここにはまだ同じにあることにホッとする。
夫が好きだった蕎麦屋さんが、東急に支店出しているんだよね。
昔、このあたりは、生地屋さんや、アクセサリーの部品などを扱っている店もあって、手芸好きには嬉しい界隈だったんだけど。

相変わらず人気の街、吉祥寺。
通りの途中には昔ながらの横丁も健在だ。
一度入ってみたいと思いながら敷居が高くて通るだけだった「SOMETIME」は、今もにぎわっているらしい。
私が年を取った、というしか。


吉祥寺でのオフ会の帰り、ある人が、足元の写真を撮っていた。何してるの?
覗き込むと、「PENNY LANE」の敷石。何を見ても拓郎なんだから!全ての道は「PENNY LANE」に通ず?感心しつつ笑った。
あれから、もう幾年月。
沢山の人がここを踏み、ビートルズを思い出す人はいたかもしれないけど、拓郎に繋げて思う人なんて、他にいたのかどうか。

あの敷石、まだあるんだろうか?地図で「ぺニーレーン通り」を探せばわかるかな?探してまでは・・・と、足元を見たら・・あら?私、そこを踏んでいた。
真似をして写真を撮ってみた。
よく見ると、縦に一本ヒビが入っている。また行くことがあった時には、敷石は取り払われて、もうなかったりして。

2023.07.18 06:41 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 拓郎 | com.gif コメント (0)

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