5月27日の投稿「2004年の鳥取砂丘」
「なぁんで昼メシ食いに行くのにこんな時間かけて行くのかなぁ」という番組を見るともなしに見ていた。
ゲストは福士蒼汰さんだったか。究極の蟹料理を食べに行く前に、ちょっと立ち寄った鳥取砂丘。
わーっ、鳥取砂丘だ!懐かしい!
と、ここで拓郎の2004年ツアーを思い出す私。思考回路が拓郎に偏っているんだよね。
あの年、中野サンプラザで倒れた拓郎。次の会場山梨は中止になってしまって、鳥取はどうなるんだろう・・
みんな不安でいっぱい。誰か鳥取まで見届けに行かなくちゃ、という話になった。
それが8月15日という、宿泊も交通も取れないお盆の真っ只中で、行ける人もいない。私、日は空いているけれど・・宿泊、交通、無理だわ・・
と、ある方から、自分が行こうと以前から押さえていたんだけど、帰りの飛行機がどうしても取れず、会議に間に合わない。それを使ってくれないか、という申し出があった。
バタバタと私が行くことになり、鳥取となると、さすがに単身赴任中の夫に内緒と言うわけにも行かず、多少の誇張と嘘を交えて許可を得る。
山梨から引き返した後、拓郎がアップした写真がやつれて見えたんだよね。それをメールに添付して、ほら、こんなに疲れて、体調悪そうで、私がみんなの代表として行くことになった、とかなんとか。
行きの飛行機の中で、通路を挟んで斜め前が瀬尾さんだった、というのは何度も書いたけれど、後方にはバンドのメンバーやスタッフも大勢いたらしい。
朝の鳥取行きなんて、そう何便もないから、乗り合わせるのも不思議ではないのだけど、私は、瀬尾さんの後姿を見ながら、2002年のDVDとペンを出したり引っ込めたり。
サインもらいたけど、こんな身動きも出来ない狭い機内で声をかけたら失礼かと遠慮する。せめて「拓郎さんは元気ですか」くらいは聞きたかったけど。
瀬尾さんが何やら買い物を注文するのを見て、パンフの同じページを見てみたり、竹に寅模様のシャツは、なんだかな、と思ったり。
空港に着くと、バスの隣の席に座った女性は、いかにも拓郎ファン。あなたも?それは、来ないわけには行かないわよね、という感じで、話も盛り上がる。バスの後方に、あの人がいる、この人も、と教えてくれる。
まずは会場に行って、申し込み済みのチケットを受け取らなくては。
初めての鳥取梨花ホール、こんなに素敵な会場だったんだ!

楽しみだわー。
神奈川から来たという彼女とは、ここでお別れ。
一緒に観ましょう、ということにならなかったのが、ちょっと寂しいような、ホッとしたような。
ステージを観た思いは、それぞれが大事にすればいい。
さて、時間までどうしようか。
砂丘を見に行こう!
鳥取砂丘には行ったことがあるけれど、当時米子に住んでいた我が家に観光目的で泊った夫の友人の付き合いだった。
砂丘を見に行きたいったって、米子と鳥取は遠いんだよ・・・
渋々のお付き合いで、ただ砂浜をテクテク歩くだけの、つまらないお散歩だった。砂漠じゃないんだよ、と思ったんだけどね。
砂丘の向こうの海を見たい!
会場からバスで行けそうだ。
良く晴れた暑い一日だった。
お土産屋さんに荷物を預けて身軽になり、さぁ!
砂丘を歩くって、こんなに大変だったの?砂まみれ、汗まみれになって、歩くというより這う?
とても人様には見せられない無様な姿で砂丘をよじ登る。なりふり構わず、砂と格闘する。つくづく一人で良かったと思ったのでした。
先日のテレビでも、福士蒼汰くんが、えーっ!あそこまで!とヒーコラ、きつい、きつい、と言いながら馬の背まで登っていたっけ。
あの頃、私は何歳だったんだろう・・・2004年は19年前だから・・・大雑把に20を引いて・・わ!若い!拓郎もまだ50代?
若いと言ったって、十分お釣りがでるほどのおばさんだ。炎天下、よくあそこまで・・
馬の背から見下ろす景色は、言いようもない程素敵だった。
海、綺麗だなぁ・・・降りて行き、海辺を散歩して、波を触りたかったけど、登って戻れる自信がない。
ただただ海を眺めていた。

お土産屋さんでお礼を言って荷物を受け取り、記念にと買った砂時計。
鳥取砂丘の砂が入っているんですって。
もうずっと使っていないかったけど、トントン、と叩いたら、砂がサラサラ落ちてくれた。
ホテルにチェックインして、シャワーを浴びて、いざ!参戦!
2階席は案外空いていて、ちょっと寂しかった。拓郎を応援に全国から・・という雰囲気ではなかった。
お盆の中日に鳥取まで、それは難しいでしょう。この日程考えたの、絶対に東京の人だわ。
「あー」でも「うー」でも、とにかく拓郎の第一声を携帯で送って、と頼まれていたけど、そんな器用な事出来るわけはない。
拓郎、元気にステージに立ってますよ、そんなメッセージも送れるわけない。
拓郎が変わりなくステージに立っている、私はそれを見ている。それしかない。
だけども、あー、ごめんなさい。
拓郎の元気な姿にホッとしたのか、砂丘登りに疲れたのか、拓郎の元気な声を聴いた途端、睡魔が襲ってきて、「僕の人生の今は何章目・・・」で早くもガクッ!
いけない、いけないと、必死に目を開けて最後まで観ていたけれど、拓郎のコンサートで眠くなるなんて・・
チケット譲って下さった方に申し訳ない、携帯の向こうで報告待っていてくれた方々に、ごめんなさい。
今、ここにステージの模様を書こうとしても、レポートは書いてもすぐ消してしまって、滅多に残して置かない私なので、サンプラから曲目の変更があったのかどうかさえ、思い出せない。
最終日となった山梨のことは、チラホラ記憶にあるのだけど、2004年とはお別れだもの。
同じホテルに宿泊していた人たちと、夜、少し飲んだ時、ある方が「僕の人生・・」で涙が出てきたとおっしゃるので、内心ひたすら恐縮していたのでした。
その時食べた「らっきょう」、美味しかったですね。
帰りは、やはり指定が取れず、特急で立ったままガタゴト揺られて帰るのはきつかったけど、良い旅でした。
お世話になった方、ありがとうございました。ご親切忘れません。
帰るなり、私はパソコンに向かい、レポートを書いたのだと思うけれど、だから、それ、なんで消したの?ってばさ。
あのツアーは、拓郎がマメにレポートをアップしてくれていて、鳥取は砂丘にも行ったんだって。
「素晴らしい景色でした感動でした!」と写真と共に書いてくれている。

よじ登りはしなかっただろうけど、あの景色を拓郎も見たのかと思うと、砂丘の思い出が、より素敵に蘇る。
砂時計、使いもしないのに大事に洗面所の棚に置いているのは、拓郎も行った砂丘の砂が入っているから。
「From Takuro Yshida」の「月夜のカヌーに乗った僕」から、拓郎は本当にマメにいろいろ私達にメッセージをくれていた。
「T's」での、沢山の画像とメッセージと・・・私は、それを手元に置きたくて、一冊の「本」にした。
アナグロな物をwebにあげるのでなく、ネット上のファイルを印刷してアナログで残そうとうのだから、逆行してるでしょう。
製本の知識もなく、あれこれ調べて、見よう見まね。ハンズに行って必要そうな物買い込んだ。
プリントしたものを針と糸で綴じるのも、製本用の紙でなく、ケチって普通のコピー用紙にしたものだから、硬くて、針を通すのにふーふー。
手が真っ赤になって、肩もバリバリ。
今なら、もっと上手に作れたと思うのだけど、裏表紙の紙を貼るのの下手くそで皺皴。
せめてもと、表紙はハワイ柄の布にした。
頑張って、3,4冊作り、どなたかに差し上げたと思うのだけど、今頃行方不明になっているかもね。
一冊だけ、自分の手元に残した。
今回、久しぶりに手に取ってみて、作って良かったと思ったのです。
嵩張って邪魔くさいし、中綴じにしていないので、頁を綺麗に開くことはできないけれど、「私の本」だから。
余った布で、チケット入れなる物も作ってみた。

もうこれに新しいチケットが入ることはないんだろうな・・・
共立講堂がコンビニチケットなのが残念。
ゲストは福士蒼汰さんだったか。究極の蟹料理を食べに行く前に、ちょっと立ち寄った鳥取砂丘。
わーっ、鳥取砂丘だ!懐かしい!
と、ここで拓郎の2004年ツアーを思い出す私。思考回路が拓郎に偏っているんだよね。
あの年、中野サンプラザで倒れた拓郎。次の会場山梨は中止になってしまって、鳥取はどうなるんだろう・・
みんな不安でいっぱい。誰か鳥取まで見届けに行かなくちゃ、という話になった。
それが8月15日という、宿泊も交通も取れないお盆の真っ只中で、行ける人もいない。私、日は空いているけれど・・宿泊、交通、無理だわ・・
と、ある方から、自分が行こうと以前から押さえていたんだけど、帰りの飛行機がどうしても取れず、会議に間に合わない。それを使ってくれないか、という申し出があった。
バタバタと私が行くことになり、鳥取となると、さすがに単身赴任中の夫に内緒と言うわけにも行かず、多少の誇張と嘘を交えて許可を得る。
山梨から引き返した後、拓郎がアップした写真がやつれて見えたんだよね。それをメールに添付して、ほら、こんなに疲れて、体調悪そうで、私がみんなの代表として行くことになった、とかなんとか。
行きの飛行機の中で、通路を挟んで斜め前が瀬尾さんだった、というのは何度も書いたけれど、後方にはバンドのメンバーやスタッフも大勢いたらしい。
朝の鳥取行きなんて、そう何便もないから、乗り合わせるのも不思議ではないのだけど、私は、瀬尾さんの後姿を見ながら、2002年のDVDとペンを出したり引っ込めたり。
サインもらいたけど、こんな身動きも出来ない狭い機内で声をかけたら失礼かと遠慮する。せめて「拓郎さんは元気ですか」くらいは聞きたかったけど。
瀬尾さんが何やら買い物を注文するのを見て、パンフの同じページを見てみたり、竹に寅模様のシャツは、なんだかな、と思ったり。
空港に着くと、バスの隣の席に座った女性は、いかにも拓郎ファン。あなたも?それは、来ないわけには行かないわよね、という感じで、話も盛り上がる。バスの後方に、あの人がいる、この人も、と教えてくれる。
まずは会場に行って、申し込み済みのチケットを受け取らなくては。
初めての鳥取梨花ホール、こんなに素敵な会場だったんだ!

楽しみだわー。
神奈川から来たという彼女とは、ここでお別れ。
一緒に観ましょう、ということにならなかったのが、ちょっと寂しいような、ホッとしたような。
ステージを観た思いは、それぞれが大事にすればいい。
さて、時間までどうしようか。
砂丘を見に行こう!
鳥取砂丘には行ったことがあるけれど、当時米子に住んでいた我が家に観光目的で泊った夫の友人の付き合いだった。
砂丘を見に行きたいったって、米子と鳥取は遠いんだよ・・・
渋々のお付き合いで、ただ砂浜をテクテク歩くだけの、つまらないお散歩だった。砂漠じゃないんだよ、と思ったんだけどね。
砂丘の向こうの海を見たい!
会場からバスで行けそうだ。
良く晴れた暑い一日だった。
お土産屋さんに荷物を預けて身軽になり、さぁ!
砂丘を歩くって、こんなに大変だったの?砂まみれ、汗まみれになって、歩くというより這う?
とても人様には見せられない無様な姿で砂丘をよじ登る。なりふり構わず、砂と格闘する。つくづく一人で良かったと思ったのでした。
先日のテレビでも、福士蒼汰くんが、えーっ!あそこまで!とヒーコラ、きつい、きつい、と言いながら馬の背まで登っていたっけ。
あの頃、私は何歳だったんだろう・・・2004年は19年前だから・・・大雑把に20を引いて・・わ!若い!拓郎もまだ50代?
若いと言ったって、十分お釣りがでるほどのおばさんだ。炎天下、よくあそこまで・・
馬の背から見下ろす景色は、言いようもない程素敵だった。
海、綺麗だなぁ・・・降りて行き、海辺を散歩して、波を触りたかったけど、登って戻れる自信がない。
ただただ海を眺めていた。

お土産屋さんでお礼を言って荷物を受け取り、記念にと買った砂時計。
鳥取砂丘の砂が入っているんですって。
もうずっと使っていないかったけど、トントン、と叩いたら、砂がサラサラ落ちてくれた。
ホテルにチェックインして、シャワーを浴びて、いざ!参戦!
2階席は案外空いていて、ちょっと寂しかった。拓郎を応援に全国から・・という雰囲気ではなかった。
お盆の中日に鳥取まで、それは難しいでしょう。この日程考えたの、絶対に東京の人だわ。
「あー」でも「うー」でも、とにかく拓郎の第一声を携帯で送って、と頼まれていたけど、そんな器用な事出来るわけはない。
拓郎、元気にステージに立ってますよ、そんなメッセージも送れるわけない。
拓郎が変わりなくステージに立っている、私はそれを見ている。それしかない。
だけども、あー、ごめんなさい。
拓郎の元気な姿にホッとしたのか、砂丘登りに疲れたのか、拓郎の元気な声を聴いた途端、睡魔が襲ってきて、「僕の人生の今は何章目・・・」で早くもガクッ!
いけない、いけないと、必死に目を開けて最後まで観ていたけれど、拓郎のコンサートで眠くなるなんて・・
チケット譲って下さった方に申し訳ない、携帯の向こうで報告待っていてくれた方々に、ごめんなさい。
今、ここにステージの模様を書こうとしても、レポートは書いてもすぐ消してしまって、滅多に残して置かない私なので、サンプラから曲目の変更があったのかどうかさえ、思い出せない。
最終日となった山梨のことは、チラホラ記憶にあるのだけど、2004年とはお別れだもの。
同じホテルに宿泊していた人たちと、夜、少し飲んだ時、ある方が「僕の人生・・」で涙が出てきたとおっしゃるので、内心ひたすら恐縮していたのでした。
その時食べた「らっきょう」、美味しかったですね。
帰りは、やはり指定が取れず、特急で立ったままガタゴト揺られて帰るのはきつかったけど、良い旅でした。
お世話になった方、ありがとうございました。ご親切忘れません。
帰るなり、私はパソコンに向かい、レポートを書いたのだと思うけれど、だから、それ、なんで消したの?ってばさ。
あのツアーは、拓郎がマメにレポートをアップしてくれていて、鳥取は砂丘にも行ったんだって。
「素晴らしい景色でした感動でした!」と写真と共に書いてくれている。

よじ登りはしなかっただろうけど、あの景色を拓郎も見たのかと思うと、砂丘の思い出が、より素敵に蘇る。
砂時計、使いもしないのに大事に洗面所の棚に置いているのは、拓郎も行った砂丘の砂が入っているから。
「From Takuro Yshida」の「月夜のカヌーに乗った僕」から、拓郎は本当にマメにいろいろ私達にメッセージをくれていた。
「T's」での、沢山の画像とメッセージと・・・私は、それを手元に置きたくて、一冊の「本」にした。
アナグロな物をwebにあげるのでなく、ネット上のファイルを印刷してアナログで残そうとうのだから、逆行してるでしょう。
製本の知識もなく、あれこれ調べて、見よう見まね。ハンズに行って必要そうな物買い込んだ。
プリントしたものを針と糸で綴じるのも、製本用の紙でなく、ケチって普通のコピー用紙にしたものだから、硬くて、針を通すのにふーふー。
手が真っ赤になって、肩もバリバリ。
今なら、もっと上手に作れたと思うのだけど、裏表紙の紙を貼るのの下手くそで皺皴。
せめてもと、表紙はハワイ柄の布にした。
頑張って、3,4冊作り、どなたかに差し上げたと思うのだけど、今頃行方不明になっているかもね。
一冊だけ、自分の手元に残した。
今回、久しぶりに手に取ってみて、作って良かったと思ったのです。
嵩張って邪魔くさいし、中綴じにしていないので、頁を綺麗に開くことはできないけれど、「私の本」だから。
余った布で、チケット入れなる物も作ってみた。

もうこれに新しいチケットが入ることはないんだろうな・・・
共立講堂がコンビニチケットなのが残念。
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