長崎旅行④
帰る日は、平和公園に行って手を合せてから空港に向かおう、と決めていました。
何が出来るというわけでもない。ただ、17年前、初めて長崎に来て原爆記念館を見た時の衝撃、それを忘れてはいけないのだと思うだけ。
発言をするとか、行動で表わすとか、それもとっても大事なことだけれど、
何もしないまま心の中で思うだけなら、思わないと同じなのかもしれないけれど、
私は私なりに心の奥底にあるものとして、あの時感じたものをしまっている。

市内から空港に向かうバスには「平和公園」から乗車出来るものもありました。
バス停、わかるかな。昔は、公園から出てすぐに大きなバス通りだったような気がするけど。
予約はなしだって。満車で乗れなかったらどうしよう。

熊本では大丈夫だったじゃない。
でもねー、何か違うの。あの時あった親近感みたいなものがない。
♪どうにかなるさ~ 最後はそれです。
せめて時間の余裕を持って行動しよう。

平和公園には、ホテルから路面電車で乗り換えなしで行ける。あっさりと電停について、楽勝、と思ったら降りてどちらに行くのか、矢印くらいあってもいいのに。
わからないわけはないと、地図も持たずに来た。だから、スマホ持ってるでしょ、ってT_T

こっちは陸上公園みたい、違うな、と思いつつ、朝の散歩をしていたおじさん二人組に聞いてみます。
逆だよ、あっち行って、こっち曲がって、エスカレーターあるから、それに乗って・・・
エスカレーター?怪訝そうな顔する私を見かねたのか、近くまで行ってやるよ、どうせ朝の散歩だから。
ついでにバス停も教えてくれます。
私が飛行機で帰る前に来たと言うと「原爆落下地点にも行って下さいね」。何歳くらいの方達だったんでしょう。
朝の光が眩しい。良い朝でした。



昔はもっと緑に囲まれた中にあったと思うけど。
通りからエスカレータで来られるようになっているくらいだから。

時間はたっぷりある。だけど、ごめんなさい。原爆資料館までは行きたくない。恐いんです。面と向かうのが。

エスカレーターで来てしまったから、出口が見つかりずらい。私、やっぱり鈍くなってるなぁ・・。
やっとバス停に着く。「空港行き乗り場」と書いてあるから大丈夫でしょう。
バスの到着まで少し待つけど、あまりウロウロして、またここに戻るのに迷うのも嫌だし。大人しく並んでよ。
「福岡行き」のバスが来て、数人が乗り込みます。へぇ・・福岡まで高速バスで行く人結構いるんだ。
そういえば、久留米にいた頃の孫達、小学校の修学旅行が長崎と言っていた。上の子は普通に修学旅行だったけど、下の子はコロナで「ハウステンボス日帰り」になって、日帰りなんてつまんない、と言っていたっけ。
福岡、近いんだね。お隣だもんね。


空港には早く着きました。早過ぎたくらい。展望台で飛行機を眺める。
見て!このモクモクの雲。雲は多いけど、良く晴れている。
一機、飛んで行った。大丈夫だぁ。
自分で「お天気女」と思ったことはないけれど、拓ちゃん「晴れ男」だからね。そのおこぼれ、頂戴していたかもしれない。
バシャバシャの「夕立」もあったけど、お天気に恵まれた三日間でした。

帰ってきて思うんですよ。コロナ、終息したわけではない。
長崎ではマスクしている人見なかったけど、こちらではまだバスの中やスーパーでマスクをしている人、少なくない。入口には消毒液が設置されている。
眼科でも内科でもマスク必須だ。 
そんな中、旅行者を迎えるのは大変なことですよね。
お店がやたら閉店だったり、予想外に閑散としていたり、宣伝ほどのメニューがなかったり。文句を言うのは簡単だけど、そういう事情もあったのかな、と思う。
美術館のカフェでは、コロナ対策の関係上メニューを限定してでの営業って書いてあったもの。
私は、そういう中での旅行だということ、すっかり忘れていた。加えてこの物価高、特に飲食業は厳しいものがあるでしょう。週末に集中したいのもわかる。
路面電車は混み混みで外人さんもいっぱい。駅改札前の施設は、お土産屋さんも食べ物屋さんも、とても賑わっていたけど、全て景気が良いというわけではないんですね。
まだまだ回復途上の中、楽しい旅行をありがとうございました。

そして、久しぶりに聴いた「MUCH BETTER」。もう35年も前のアルバムなんですね。25年前の間違いかと何度も計算しちゃった。
ある掲示板でもめていた時、ある人が書いた一言、「よせばいい」
「MR.K」は誰か?小室さんか?という話もした。あの時、すでに10年も前のアルバムの話をしていたんだ。


アルバムの最後にこういう歌があります。

「現在の現在(いまのいま)」

 歩いてきた道は 絵には書けないが
 ありのままの夢を なつかしみいとおしむ
 肉体の奴は今 鋭さを失って 
 だからこそその肩に 時がみえかくれ

 「どうして」という云う僕は 多分もういない
 新しい唄が みつからないように
 許せない者に 愛さえ感じたり
 ウワサのかたまりを のどもとでかみくだく

 あー 僕の考えていた事は
 自分を自由にさせる事

 ・・・・・・・・・・

拓郎、42歳の時の言葉です。もうこんなこと考えていたんだ。「自分を自由にさせる事」って。
2006年のつま恋も、「ima」でしたよね。拓郎は、ずっと繋がっている・・・そんなこと思いながら聴いていました。
私はやっぱりフィーラーフ時代のアルバム、好きです。


見たコンサートは、なにがあろうと、その時の歌が、景色が、心に残っている。
歌は、こうして、いつでも聴ける。その時々の思いを乗せ、浮かび上がらせながら。
「WANGAN」を観ようと思った。今更だけど。
拓郎、自由になったかな。
2023.09.07 09:23 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 旅行 | com.gif コメント (0)
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