私の遅れてきた青春のようなラジオ番組「クラブ25」「26]で、確かに拓郎は、みんなでハワイに行こう!と言っていた。冗談かと思ったら、ほんとだった・・・らしい。「らしい」というのは、他人事にように聞いていたから。遠くの遠くのことだと聞き流していたから。ほんとにハワイでファンと50才の誕生日を迎えるなんて、ご本人も実現するとは思っていなかったかもしれない。
募集はあったのだと思う。けど、ハナから縁のないことだと思っていた私は、いつどんな風に募集があり、いつどんな風に決まって出発したのか、まったく覚えていない・・・
気が付けば、「教えてハワイ」という本が刊行され、私は、その本を買っていた。
いつか、私も、拓郎があんなに素晴らしいと言っているハワイに行くことがあるかもしれないと、本棚に飾っていた。
それから何年。ニッポン放送でもハワイ旅行の企画があった。
3回ほど続いたのだろうか。私の周りに、拓郎とハワイに行った人が増えてくる。写真を見せてもらい、レポートを読ませてもらい・・・僻むことなんてなく、ただ、いいなぁ、素敵だろうなぁ、と素直に私も喜んでいた・・・と思う。
居酒屋で煮込みをつつきながら、「今は行かれないけど、夫が定年になったら、絶対一緒にハワイに行くんだぁ」と言ったら、その時は僕たちがプランニングさせてもらいますから、とハワイ行き常連の男性たちが言ってくれて、乾杯した日のこと、今でも目に浮かぶ。
もう「教えてハワイ」の本は古いかもしれないけど、あれが私の夢なんだ・・・
そのハワイから、締め出されたような気持ちになっていったのは、いつから、どうしてだったんだろう。私は、「お裾分けでいい」と喜んでいたはずなのに。
「ハワイなんて、誰にでも行ける。行かないだけだ。」ある女性ファンが言い切った言葉が、今でも響く。
そう、行かないだけなのかもしれないけど。あの時、無理に貯金を下ろしたり、ローンを組んででもハワイに行けば、今頃、ローンは返し終わって、思い出だけが残っていたかもしれない。だけど、そんなこと出来ない事情というものもある。いえ、お金の問題じゃない。飛び越えられないものもあるのですよ・・・
あのハワイでのファンとの50歳バースディは、その後の拓郎のファンとの付き合いも変えたと思う。良い時間が持てたのですよね。
「教えてハワイ」の本には、参加できたファンのメッセージやレポが名前と写真入りで載っている。今じゃ考えられないけど、あの頃は、まだそいうことにうるさくなく、ローカルな手作りの味わい残していたのですね。
そういえば、ウクレレ、回っていたみたい。98年頃MLで読んだ。でも、私、手を上げなかったけど。だって、私には、縁の無い話しと思っていたのだもの。
震災の時、拓郎のハワイ中止のことを口にしたら、息子にうんと叱られたっけ。
夫は定年になったけど、死んじまったのでは、一緒にハワイなど行けるわけもない。
私は、きっとこのままハワイに行かずに終わるんだろうな。
「教えてハワイ」の本、欲しい人に譲ろうと思いながら、なんでしぶとくとっているんだろう。
拓郎が、なぜか20年前のハワイの話をしている。
まさか、また「みんなで行こう」なんて言い出さないよね。
もし、そういうことがあったら・・・でも、やっぱり私は応募しないのだろう。そんな集まりに、私の居場所があるわけないじゃん。
誕生日おめでとう。素敵な70歳でありますように。

