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沢田研二50周年記念LIVE

行ってきました!沢田研二50周年記念コンサート。

新しい友人の一人がジュリーファンなのです。
コンサートの話などを聞くにつれ、あぁ、いいなぁ・・・自分の拓郎のことを思って、「わかる、わかる」・・・ずっと好きな歌、好きな人の歌を聴き続けていられることの幸せを、一緒に感じていました。
なにせ、拓郎が、ほんとはジュリーになりたかったという、あのジュリーですよ。「YOKOSO」一回目のゲストに指名した沢田研二さん。先日のラジオでも、CMに提供した「いま、このときめきを」をきかせてもらいましたね^^
そのジュリーが50曲歌うという50周年記念LIVEが、市民ホールに来る!自転車で行ける!
チケット獲得に走らないわけ行かないじゃないですか。

2枚無事ゲットしたものの、そのジュリーファンは、すでに数箇所確保済みとのこと。う~ん・・・拓郎ファンにも希望者見つかるかもしれない。一言伝言で呼びかけようかとも思ったけれど、この際、別口の新しい友人仲間に声をかけてみようかなぁ。
地元でやるのだから地元の友人もいいかも。サッと手が上がり、あげそこねたと残念がる人までいた。さすがジュリー。速攻で決まった。

一緒に行くことになった人は、昔、ジュリーを聴いていたというわけではない。「だって、そういうのも楽しそうじゃない?」
何か違う場所に身を置いてみたい・・わかるような気がする。でも、大丈夫かな?若い時からあまり流行りの歌には縁がなかったような、今年古稀を迎えるという人、楽しくなかったららどうしよう・・・。楽しくなかったら、なんて、お節介か。自分で行きたくて行くのだものね。


定員862名の小さな市民ホールです。
開演前にデパートのレストランで一緒に食事をして、グラスビールを一杯ずつ。「飲もうよ」というのは私が言った^^; 6時30分開演に、6時過ぎ、そろそろ行こうか・・・拓郎のではないから呑気なものです。
ホールに着くと女性でいっぱい。なに?この長い行列は?・・トイレだったT_T

初めに、スクリーンに子供の頃のジュリーが映ります。わ、さすが、可愛い!タイガースの頃、白いスーツで、コロコロ笑うジュリー、素敵なカッコイイジュリーが次々と。ファンがにはたまらないだろうな。ファンじゃなくても、うれしいわ。
一緒に行った人は、「やっぱ、キムタクに似てる!」と言います。だんだん、少しずつふっくらして来るジュリー。
と、ステージが始まり、キラキラ刺繍をほどこした緑のジャケットを着た沢田さん登場。

「大入り袋」が出たのだそうです。ありがとうございます。」
高校野球の話してました。花咲徳栄が勝ったのが悔しいらしい。昔の広陵高校の話もする。野球詳しいんですね。ここは関東だからと、変に気を使わず、好きなチームの話をするとことが、拓郎に似ている(なんでも拓郎と比べるな、との声が聞こえそうT_T)


一曲目からみんな立つ。私も!
聞き覚えのある歌・・・調べたら「あなたに今夜はワインをふりかけ」。ワー!声、同じ!
2曲目に「君だけに愛を」が始まったら、もう、不思議なことに、緑のカーネルサンダー(失礼)どころか、若い頃の顔が重なって、紛れもなくジュリーなのです。さっき見た映像の、すらりとカッコイイジュリーが立っている。艶のある、甘い声。

「僕のマリー」、「青い鳥」・・・と聴いてたら、なぜか涙が出てきてしまった。懐かしいというより、なんだろう・・・この年になって聴くジュリーの素敵さ。歌、同じよね。
知っている歌も、知らない歌も・・・私、こんなにジュリーの歌、知っていたっけ?みんな聞いて知っている歌のように感じてしまう。

どんどんどんどん歌います。声がすごく出るのです。普段から、余程鍛錬しているのでしょう。
一曲歌うと、「ありがと。サンキュー。ありがとおーね。」関西のおじさんぽいイントネーション。毎回、それだけ。
歌って、「ありがとおね」。また歌って「ありがとおね」。私には、それが可笑しくて、クスッとするけど、誰も笑わない。

「追憶」を歌う。(安井かずみさん作詞だったのですね)
「サムライ」を歌う。

曲名がすぐに出てこない歌は、新曲なのか。(私が知っていた沢田研二以降の歌、という意味です)
わからないので、書けませんm(_ _)m だから、書くのは昔の歌ばかりになってしまうけど。
誰もが知っているだろう歌は半分、25曲くらいと言ってました。不完全な感想です。

「コバルトの季節の中で」「君をのせて」・・・なんて素敵なんでしょう。あぁ、ジュリーだ・・・「コバルトの季節の中で」、好きだなぁ。

「にくみきれないろくでなし」「時の過ぎ行くままに」「勝手にしやがれ」・・・阿久悠作詞が続きます。
聴きながら思いました。なんて、阿久さんの詩が似合う男になったんだろう、って。若い時も素敵だったけど、来年古希を迎えるという今歌うのは、更に深味が増したよう。色褪せない歌詞というのは、あるよね。
阿久さんが生きていらしたら、そうなんだよ、この詩は、って喜んだかな。


「ここまで24曲歌いました」と言いました?25曲でした?記憶、あやふやで、ごめんなさい。
とにかく、ここまで、ひたすら歌い続けています。あの艷やかな声で。息切れなんてしない。すごいパワーです。
勿論、フルコーラスではありません。後で、「一番だけ。時々2番も入っていた」と言ってました。

最初、50曲と聞いたとき、さすがに全曲フルではないでしょう、と思ってはいたけれど。ところどころ「さわり」だけ繋げたようなメドレーになるのかな、と。
どの歌も公平に一番だけ。こういう歌い方もあるのですね。聴き応えありました。
(拓郎も、LOVE2の頃のような細切れメドレーなんかじゃなく、沢山歌うのなら、せめて、こんなふうに歌って欲しい。)


やっとMCです。
50年、山あり谷あり、崖あり。幸せなことに大事件には出会わなかった。ハイジャックとか飛行機が出ないとか・・・あ、この間の松山千春さんのことだ!
自分は、あんなふうに出ていけない。だいたい歌える歌がない。
♪あなたはすっかり疲れてしまい・・・これじゃ困るでしょ。
♪落ちてゆくのもしあわせだよと・・・困るよね

会場大爆笑。
「だいたい千春は(わ!拓郎も「千春」と言う。同じだ!)坊主頭に太い金の指輪やネックレス、あの風貌で、ああいう歌を歌うんだから・・・。
昔、お芝居で丸坊主にしなくてはならないことがあって、鏡見るたびに「千春だ!」と思って嫌だった。」
「ああいうのって、必ず誰かが撮って、SMSで広まるでしょ」「だいたい、SMSってなんなんだ。気に入らない」

話が止まらない。面白い。話し声は、少しかすれていた。


「25曲目の歌です」と言って「ラブ・ラブ・ラブ」を歌ったのかな?
上着を脱いだ。白いシャツ。「抱きしめたい」も歌った。
白いシャツの袖をまくった。「TOKIO」と「危険な二人」の時は、ネクタイも外してたっけ?次は何を脱ぐのかと思っちゃった^^;
「危険な二人」盛り上がったよね。思わず、帽子を投げる仕草をしてしまう。

このあとは、わりと新しい歌が続いたのだと思います。
どこでだったか、東北大震災のことが入った歌があって、歌い手として、向き合う姿勢に感心した。


40曲歌ってMC。

タイガース解散の裏事情、PYG結成の話。こんなことまで話していいの?というようなことまで。今はもう、みんな知ってるか。こういう話に、沢田研二の骨っぽさが出ます。
PYGで、大野克夫、井上堯之のお二人と出会ったことの素晴らしさも語っていた。そこで歌手として変わった、って。
「時の過ぎ行くままに」で紅白に出場することになったとき、井上堯之バンドの音でなければと、こだわった。それまで紅白はフルバンドで歌うのが当たり前だった。
(ジュリーも先駆者だったんだ。拓郎が紅白に出場したとき、バンドにこだわったけど、そのずっと前に、ジュリーが、きっかけを作っていた)

前のMCだったかもしれないけど、上京してすぐ、タイガースで売れて、ソロで売れて、またソロで売れて、また売れて・・・だんだん売れなくなって、たまにテレビに出ても、「話題曲コーナー」なんかで、つまらなくて出なくなって、
還暦で80曲やった頃から、なぜか、また少しずつ人気が出てきて、今、こうして満員の会場で歌えてる。
でも、自慢なのは、ヒット曲が出たからでも、本を書いたからでもなく、ただ、歌ってきて、歌でまた売れた、ということです、と言っていた。

50年、ずっと順調だったワケじゃないと言っていたけれど、その間、たゆまぬ努力を続けて来たのでしょう。キーがどうとか音楽的なことはわからないけれど、同じ声、すごいと思う。
ステージ、最初走ったとき、どうせ市民ホールは狭いし、なんて思ったけど、とんでもない!踊ったり、ジャンプしたり、声も体も鍛えているのがよくわかる。売れる売れないでなく、ずっと沢田研二として、大事なものを守り続けてきた。

ジュリーって男っぽいんだよね。ヤワなアイドルじゃない。
2回目のMCの時だったか、会場のどこからか「頑張って」の声が飛んだ。
そしたら、「頑張ってないみたいじゃないか」って。怒りはしなかったけど、笑いに紛らすような口調ではなかった。
最近の拓郎は、柔らかく「いなす」。


さて、残すとことあと10曲。数えながら聴いてました。
「シーサイド・バウンド」以外は、私の知らない歌ばかりだったのかな。
それが、また、これまで以上の盛り上がり。ラスト前の曲なんか、始まる前から熱かったので、知ってる歌かと構えたけど、知らなかったT_T
待ったましたとばかりの熱狂。

ファンはすごいね。会場では、どんなフリでも、みんなポーズして、踊って。この小さなホールは古いので、ちょっと跳ねると床が揺れるのです。安普請め!と思いながら、私は私のペースで、立っているのに疲れたら座って、一緒に手拍子したり、じーっと聞き惚れたり。
沢田研二さんには、こういうファンがずっといてくれたんだ。50年歌い続けることの素晴らしさテレビでしか知らなかったジュリー。LIVEはいいものですね。

拓郎は、あと何年で50周年なんだろう。拓郎の方が年上なのに、沢田さんの方が先輩なんですね。拓郎は、きっと50周年も歌える。そして、沢田さんは、拓郎の年まで間違いなく、拓郎の年を越えても、こんなふうに歌う。
「YOKOSO」、拓郎は話を引き出そうと、自分のことばかり喋って、ああいうことが苦手そうな沢田さんは言葉少なめで、対談成功という感じはしなかったけど、今思い出すと、味があった。録画、保存してあったっけ?探してみよう。


「50曲目です」と歌ったのは、静かな、しみじみ聴く歌でした。

さぁ、アンコール、と思いきや、みんな手拍子しない。ん?どうして?
座っていたら、スクリーンに、何年頃のジュリーでしょう。少し太めで可愛らしい。「渚のフリフリ」?加瀬邦彦さん?
みんな、これがあるの、わかっていたんですね。だからコールしなかったんだ。

映像が終わって、ステージにジュリー登場。皆さん、すっと立ち上がります。挨拶です。

歌い続けていきたい。足腰が弱っても、座っても歌える。怖いのは耳が聴こえなくなること。
時代を先取りしたり、時代に合わせるのでなく、好きな歌を好きに作って、ヒットしたらいい。

51曲目。「いくつかの場面」(これも調べました)
ほんとに、いつかまた、みんながいてくれたらいいね。
もう会えない人、会わない人。
会いたくても、もう会えない人もいるのだから、会えるのに「会わない」などと言わず・・・、素直にそんな気持ちになれたらいいのだけど。

歌い終わって、ジュリーは、上着を脱ぎ、きちんとたたんで腕にかけ、深々とお辞儀をしました。
バンドの皆さんも、丁寧に頭を下げます。
何度もお辞儀をし、最後にもう一度メンバー紹介をし、自分を「ジュリーです!」だって。
わ!沢田研二です!とは紹介しなかった^^
静かに、50周年、50曲+1が終わりました。懐かしい歌に戻りはしない終わり方。


思ったこと。
「ジュリー」というと、まず返ってくるのは「太ったよね」。私も、そういう反応していたかもしれない。
だけど、違う。大事なものを見よう。
真っ直ぐに見つめよう。聴こう。
「食べられるんだからしょうがない」、そう言っていた・・・


帰り、友人に付き合って、駅まで歩いた。
「どうだった?」
「よかったぁ。夢のような時間だった。この年になったから、わかるのよ」
そうよね。もし、10年前、20年前にジュリーライブを観たら、こんなに感動したどうか。この年になって、初めてジュリーのLIVEに出会えた幸せ。
そして、ジュリーファンの手芸仲間(?)、一緒に行った体操仲間、この年になって新しい友達ができるって、うれしいことですよね。ん?私って、もしかしたらジュリーと同い年かも?


それにしても、ジュリーはやっぱりスターだ!今朝は、ずっと♪僕が マリーとあったのは・・・甘い歌声がぐるぐる。
ほんと、声、変わらないんだから。素敵よ、みんな聞いてごらん。