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From: yoshie takano <ryan@・・・・・・・・>
To: sevenwines-lst@y7.com
Date: Wed, 04 Aug 2004 20:49:30 +0900
Subject: [02131] 8/3 中野サンプラザ(1)
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高野です。
昨晩の様子は、皆さんも報道等でご存知かと思いますが
(当時のスポーツ紙。当然リンクは切れているので消しました)
拓郎は「ごめんね」とは言わなかったと思うし、少しその場で私が感じたことと違うかな・・・でも、きっと、
みんな同じものを見て、同じことようなこと思っても、一人一人、少しずつ違うのかもしれませんね。
サンプラザ、私なりのご報告を。
曲目等にも触れると思いますので、気にされる方は、読まないで、しまっておいてくださいね。
自分は違うふうに観た、という人もいるかと思いますが、私なりの感想です<m(__)m>
皆さんご存知のように、あの「LIVE'73」の中野サンプラザです。
伝説のサンプラザ、ということで、期待するものも大きかったと思うのですが、拓郎は、MCで、懐かしいな、
けど、全部忘れた、というようなこと言ってました。
みんなのサンプラに対する思いを知りながら、思い出を延々と語らないで、「忘れた」と冒頭から肩透かしの
ようなことを言うのが、拓郎らしかったです。
忘れてなんかない、拓郎にとっても大事な会場だということは、その後のMCのいくつかで感じられるのですが。
7時開演でした。でも、数分早かったのではないでしょうか。
拓郎自らの、開演にあたっての諸注意。カメラはご遠慮ください、とか、携帯はメールならいいだろうと思うかもしれませんが、それもいけません、とか・・・
ほんとは、ここからコンサートが始まっているのかもしれないけれど、何か、「つま恋」の時のように、待ちに待って始まったという感じは無く、まだ場内ざわざわしているうちに、拓郎の声が聴こえてきた、という感じでしたし、あの「清流」が、すぐに続けて流れたようだったのが残念でした。
「つま恋」では、半野外だから、周りがほんのり明るいうちに、この曲が始まったのかと思っていたのだけど、
まだ、客電が落ちる前の始まりの曲だったのですね。みんな、あんまり真剣に聴いていないんじゃないかなぁ、
という雰囲気もしたのですけど、私は、目をつぶって、聴き入ろうとしました。はやり、暗くなってからの「清流」の方が素敵でした。せっかくこういう曲を持ってきたのに、残念。
その「清流」が流れる中、バンドのメンバーがステージに現れ、最後に拓郎が・・・という趣向です。
瀬尾さん指揮の演奏が始まって、あれは、「人間なんて」だそうです。
みんなで、♪人間なんて ららららららーら、なんて歌ってしまったら、びっくら!で面白いんですけどね、
あの厳かな演奏に、そんなアホなことする輩はおりませんでした。T_T
「あぁ、青春」が始まり、ん?つま恋と声が違うぞ、という感じが、まずしました。
「マークU」も、とっても良かったし・・・あの「みんな大好き」バージョン、もともと好きだし、もうそろそろ歌わなくてもいいかな、と思っていた「僕の人生の今は何章目ぐらいだろう」も、良かったし。
ここでMC。
MCの後の「結婚しようよ」、よかったです。もとはたいして何も思わなかった歌なのですが、ここ数年、聴くごとに「いい歌なんだ」と再認識。しみじみ明るくて、幸せ感じさせて、結婚て、いいな、と思わせる。
ずっと後のMCですが、首を絞めたくなるような妻でも、お尻を蹴飛ばしたくなるような夫でも、連れ合いがいたほうがいい、というようなこと、言っていましたね。自分は3回も結婚したのに、まだ一度もしていない瀬尾さんの将来が心配だ!誰かお嫁さんになってくれないか、って。このサンプラで決めてしまおうか、って。
・・・終了後の「反省会」で、どうしてあの時、誰も「はい!」って手を挙げなかったの?と、そんな話で盛り上がりましたけど。
でね、見当違いかもしれないけど、私は思うのです。
「つま恋」では、美代ちゃんの名前あげていました。サンプラでは、73年頃、僕は結婚していたっけ?ととぼけていたけど、今回のツアーのテーマ、吉田拓郎を振り返る、って、歌の歴史だけじゃないんですね。「清流」を流したことからも感じられるように、自分自身の家族のことも振り返っている・・・
この「結婚しようよ」は、フォークをメジャーにしたと言われる大ヒット曲で、吉田拓郎を語るには欠かせない歌だけれど、次の「おやじの唄」と並べたように、当時の拓郎の私生活、というか、心の状況も表しているんじゃ
ないか、って。
私は、この歌でも、ほろっとしちゃった。青春だった頃の拓郎。
なんて、いちいち書いてるときりがないですね。
ステージがよく見えました。照明がスモークで・・・なんていうんだろう、キラキラした霧みたいで、
拓郎が、何度もお尻をこっちに向けてギター弾いて、そのお尻がすごくかっこよくて
「つま恋」では、「またか」なんて思って、ここから不満だった「流星」と「サマータイムブルースが聴こえる」、
同じ歌なのに、なぜかこの日は心に沁みました。気持ちは、NHKの時のような、と言ったらいいのか・・
総立ちの「落陽」。
こんなに先にやってしまっていいの?と思わなくもないのですが
もともと「落陽」って、最後に歌う歌ではなかったんですよね。
拓郎が、初めてこの歌をやったのは、このサンプラザだ、と言ったとき、あー、やっぱり拓郎にとって、この会場は特別な場所なんだ、と思いました。
「LIVE'73」を大事なアルバムとして聴き続けてきたファンにとっても、うれしい一言だったのではないでしょうか。
Ryanさんは、この歌好きだったのでしょう、とある人から言われた「君のスピードで」。ごめんね、「以前は」です。
あ、こんなラブソングが、もう若くない私達には合っているんだ、としみじみ思った時期もあったけど^^;
昨日は「恋唄」が、すごくよかった。涙ものでした。
「どうしてこんなに悲しいんだろう」は、あまりよく覚えていないです。
ただ、次の「家へ帰ろう」あたりから、あれっ?という感じはしました。
私には、恋唄のあとのMCの時、拓郎の体がはぁはぁしているような感じがしたのです。
身体がはぁはぁ、って変な言い方だけど、何か急いでいるような・・・バランスとれていないような。
「家へ帰ろう」、どうしてこんなに気張って歌うんだろうかと思いました。
「つま恋」では熱唱だったけど、これじゃ、熱唱すぎるわ、と思いました。
「家へ帰ろう」がこんなきつい歌だと思わなかった、(もうやめて)家へ帰りたくなっちゃうよ、甲州街道・・・みたいな話、してましたよね。
冗談かと思っていたけど、拓郎は、ほんとに、もう体調悪くて、帰りたかったんですね。
「唇をかみしめて」も、よかったです。演奏も歌も。やっぱり今日の歌は「つま恋」よりいいわ、って思ってました。最初に拓郎の声が出なくなったとき、迂闊にも、感極まって声詰まらせたのかな、なんて思ってしまって。
次の終わりの繰り返しで、また声が出なくなって、おや?と思ったけど、
拓郎は「失礼しました」って。
「この照明がいやなんだよ」と言ったのは、すぐ後でしたっけ?
この日、拓郎へのスポットライト、確かに強かったです。薄暗いステージの中、拓郎がぽっと浮かび上がる感じ・・・私は、それを「LIVE'73」のジャケットみたい、なんて喜んでしまって。
会場も暑かったです。空調が効いてなくて、私には「つま恋」よりムシムシする感じがしました。その暑さが堪えたのでしょうか。
「つま恋」では、声も無理に出している感じで、体調心配していたのですが、長野でものすごく元気だったと聞いていたものですから、上り調子、どんどん良くなっていく拓郎なんだなぁ、って安心していたのです。
「朝陽がサン」が始まって・・・スポットライトは、もう強く当らなくなって・・もう、歌うどころか、座り込んで動けない拓郎でした。
バンドのみんなは、心配だったはずです。でも、そのまま演奏を続け、
スタッフに抱えられて、運ばれていく拓郎・・・ほんとに、運ばれる、という感じでした。
私は、とにかく「朝陽がサン」、立って、振りをしていました。
音痴だし、リズム感ないし、踊りは大の苦手だし、一呼吸も二呼吸も遅れるけれど、とにかく、コーラスの4人に合わせて、サン!サンサン!手を振ってました。
瀬尾さんの胸中はわかりません。でも、「全部抱きしめて」も演奏が続きます。
私は、席がどちからというと、左側でしたので、目の前のコーラスばかり見て、一生懸命、真似しました。
あの手を、右左に1,2,3、肩やって、腿叩いて、頭の上でパン!ようやく「パン!」が合ってきたかな?と
いう頃、演奏が終わり、て、アナウンスがあって、貧血、10分ほど休憩ください、って。
トイレに立ったり、煙草を吸いに行く人もいたみたです。
私は、ただ座っていました。
このまま終わってもいい、もう、無理して歌わないで、そんな気持ちでした。
(このまま終わる、というのは、今日はこのまま、という意味です。)
公演中止とか、再演とか、そんなこと考えませんでした。野球でも、何回かまでやったら、試合成立でしょ、
雨でコールドゲーム、というの?
その日の拓郎、もう十分、試合は成立したと思いました。こんなことを言うと、つま恋にも行っているからだとか、東京にいるからだ、とか言われるかもしれないけれど、なんだか、もう拓郎、可哀想で。
休憩が終わったら、ちゃんと始まって、拓郎は、あの少し暑そうに見えたパーカー脱いで、楽そうな、白い半袖着てました。裸足に靴だったのは、後から気がつきました。
ステージは、座って歌えるように、用意されていました。
座ってギターを持つ拓郎。
昔、吉田拓郎は、座って歌っていたんだから、と、「青春の歌」少し弾き語り。わっとどよめく会場。
もう他では聴くことのない、サンプラだけの、少しの弾き語りでした。
どこから歌い始めるのかと思ったら「朝陽がサン」に戻って、仕切り直しなのです、続く「全部抱きしめて」も。
これには感心しました。こんな事態だから、はしょったり、この2曲はやったことにしてしまってもよかったのに、私たちは文句なんか言わないのに、拓郎自身がそれでは、許せなかったのでしょう。全部きちんと、アンコールもきっちり、やりました。
「座ったら、なんか、元気になってきちゃったなぁ」なんて言いながら。
休んだ拓郎が、ステージにもう一度姿を見せた時、なんで立って拍手で迎えなかったのか、という意見もあるみたいだけど、私は、そんな余裕もなかったし、休んでいる間も、「たくろー」と呼んだり、拍手をしたり、という気持ちにはなれませんでした。呼んではいけないような、気がしたのです。呼んで、無理してステージにあげるようなことはしたくなかった・・・
出てきてくれたときも、さぁ、また歌ってとか、歌ってくれてうれしい、頑張って、みたいな声援送りたくなかった。
座っている拓郎の目線に合わせて、私も座っていたかった。
後で、前の方にいた人は、なんで立たなかったの?」言われて、腹が立ちました。
その時の私の気持ちなんか、わかるもんか、もう休んで、と祈るような思いだった私の気持。
もう頑張らなくてもいい、と思っていた。
立たなかったんじゃなくて、座り込んでいた。人に「立て」というなら、自分が立てばよかったでしょう。席が前とか後ろとか、関係ないじゃないの!・・・なんてね。
けど、拓郎は、さすがだった。
全部見事に歌って、その日を乗り越えてしまった。
きっと、甲府から、また何事もなかったように、ステージ、続けるのでしょう。ちょっと、サンプラ事件をネタになんかして。
バンドは下がらないままの、アンコールじゃないアンコール・・・「人生を語らず」では、ほんとに燃えたし、
「純情」では、身体が揺れました。
終演は10時30分を過ぎていたでしょうか。
とにかく書いたけど
おかしなところ、あるかもしれない。
とにかく書いて、途中でも送信します。
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そして、次の公演「山梨」は、ご存じのように中止になってしまいました。
それを知ったとき、頭が真っ白になってしまって、どうしよう、どうしよう、と。
だけど、次の鳥取で、拓郎は、とっても自然で、さりげなく。
↓鳥取の感想に書いたことです。
「中野でああいうことがあり、山梨を延期した後・・・感激的なこと、お涙ものなんて何もない。
普通にステージ立って、それがいい。」
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