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投稿日 | : 2019/07/05(Fri) 21:31 |
投稿者 | : Ryan |
参照先 | : |
拓郎が最後のツアーだという「吉田拓郎コンサート2019 Live 73 years」最終日。
これが最後だという思いと、最後なわけ無いという気持ちと。その「最後」の場にいなくちゃ、と申し込んだ横浜のチケット。当選したときは本当にうれしかった。
2階から見下ろすステージは、お椀の中みたいなのです。なんだかとっても白っぽく見えました。
「市川」「宇都宮」「東京」から、この「横浜」間の情報は、多少入っていた。
行かれなかった「浜松」、行かなかった「名古屋」「大宮」・・・そんな「行っていないレポート」を書こうと思ったりもしたけれど。
あの歌が無くなった、0曲目の最初に付け加えられた歌、いいな、聴きたかったな、どんなふうにステージが変わったか、横浜で見ることが出来るのだから・・ああだこうだするうち、あっという間に迎えたこの日でした。
いろいろ書こうと思っていたけれど、拓郎に「ありがとう」と書かれちゃね、何も書くことはないですよね。
そういえば、途中、どの辺りだったか、誰かが「拓郎、ありがとう!」と声援送ったら、「こちらこそありがとう!」と返す拓郎に胸いっぱい、という場面ありました。
拓郎がこの最終日を大切に思う気持ちの溢れるようなステージでした。
MCは丁寧に、歌は思い切り、演奏がまた素晴らしく、拓郎の歌と溶け合って、
拓郎が書いていた鳥山さんの言葉「今日はとても気持ち良い音でしたね」、それに尽きます。
順不同だけれど、勝手ないくつか。
名古屋に行った友達が、一言送ってきた言葉は「おおいなる」でした。
え?「大いなる」やったということ?そんなの聴いたら、私座り込んじゃうわ。座席に座っているんだけど。
どんな形で歌ったんだろ・・・アルバム「大いなる人」を聴いてみたり、思いはどんどん膨らみます。
最初の何フレーズかを「今日までそして明日から」と繋げて歌っことがわかって、それを聴くのがとっても楽しみでした。
♪ロックンロールの 響きがいい あの娘しびれて くれるはず
つっぱれ 意地はれ はりとおせ かまうじゃないぞ 風の音
♪私には私の生き方がある〜
「大いなる」という歌は、タイトルのイメージほど重くないです。「今日までそして明日から」もそうだけど、どこか軽やかさもある。
深刻になり過ぎない明るさ、それが拓郎の歌だと、私はずっと思っています。
ひとつ減らした歌がある・・「慕情」?と思ったのは、単に私が「慕情」をそれほど好きでなくて、「アゲイン」の次が「慕情」なのは勿体無い、と感じてしたからだけなんだけど^^;
ほんとに「慕情」でした。「アゲイン」でしみじみしたあと、明るい「新曲」になるのは、パッとして、両方が引き立って、良かったです。
この新曲「運命のツイスト」は、新曲でなく、未発表曲なのではないか、という説もあります。
Takuro mania さんのサイト、浜松のレポートへ。http://www.takuro-mania.com/
そう思って聴くと、歌詞や曲調、今の拓郎っぽくないかも。
でも、今回のツアーで初めて聴いた歌だし、拓郎のツイストかっこよかったですもん、新しい歌、ということに。
横浜の拓郎ツイスト、他の会場より長くなかったですか?
長いと言えば、メンバ紹介の後にやる「王様達のハイキング」
演奏もコーラスも、倍ほど長かったような。
拓郎も長く歌ってくれるのかと期待してしまったけど、♪あっそびにいきませんか ぼくらといつしょに〜 で客電落ちて、というのは同じでした。
続くのが「ガンバラナイけどいいでしょう」というのが、何度聴いてもいいですね。
「純」からここへの流れ、このツアーのハイライトだと思います。
「俺を許してくれ」・・・曲名「心が痛い」と初日から書いてしまってごめんなさい。
アンコールが「人生を語らず」なのは、ありきたりだと思っていました。
最終日、あ、この歌こそ、とわかったような気がしました。拓郎は、ツアーの最終を踏まえて「人生を語らず」にした。
この歌しかなかったんです。
そして、穏やかな「今夜も君をこの胸に」
なんて、この最後の夜にふさわしんでしょう。穏やかに穏やかに、優しく拓郎の歌に包まれ、送られて
あぁ、なんて素敵な晩だったのだとしみじみします。
アンコールから「ありがとう」がなくなったのが、寂しいと思っていた。
「市川」で聴いた「ありがとう」に泣いたのですもの。この歌があってこそのアンコールだと思っていた。
最終日横浜で、この歌を歌ってくれやしないかと願ってた。
だけども、拓郎が Message From に 「ありがとう」 って。そうか、ここに繋がるんだ・・・
拓郎が言っていた。(いくつかの会場で言った言葉を、私なりに繋げています)
僕の歌の世界は狭い。広い歌詞はほかの人が書いたものに曲をつけて歌ってきた。
自分自身から出た歌だから、狭い。(市川では、狭い、広い、と、手を狭めたり、広げたり)
今回、自分で書いた歌だけを歌ってきて、そういう歌を歌っていると、ぜい肉が削がれたというか、
なんとなく、広島から出てきたデビュー当時時の自分ような感じもしてきて、清々しい気持ちだ。
確かに、拓郎の歌は身近な歌だと思っていたから。
等身大というか、無理に世界を論じたりせず、自分自身から出た言葉で歌を作る人なのだと思っていたから。
だけど、その拓郎が自分で「狭い」という世界に、ものすごい広がりを感じていた。
これからも歌を書くという拓郎。
音楽の世界からは離れないという拓郎。
次の歌が楽しみです。